第30話 学園編は始まらない

 ソキーラコバルにはもうすぐ夜の帳が下りる。ハンナはイリアがすべて語り終わるまで、軽く相槌は打っても質問を挟んだりはしなかった。

 昨夕、魔石剤を齧ってみて『砂化』した事を話して、終わる。



「……」

「……ということなんだ」

「うっそだぁー!」

「嘘じゃない。けど信じられないのもわかる。その、ユリーって親戚の人に信じてもらうのにも4日かかってるし」

「協力の礼にあの罠を全部あげたって、あれの材料費は私が出したんだけどなぁ」

「使う当てなんて無かっただろ。何度もくず屋に売られそうになってたのを有効利用しただけだ。それよりも——」

「じゃあまずアビリティー鑑定に行こう。夜になる前に早く」


 ハンナは立ち上がり、応接間を出ていく。玄関に向かう途中で会った執事役の男をハンナはマルクスと呼び、「すぐ帰ってくるから」と告げた。

 イリアも自分の荷物が応接間に置いたままであることを言っておいた。


 玄関から飛び出し、どんどん建物の間を通り抜けていくハンナを追うイリア。仕事から帰ってきたのだろう人々とすれ違いながら、しばらく。

 どうやら第一防壁の外に出て西に進んでいるようだ。

 飲食店の立ち並ぶ大通りを行く。行き来する人々の年齢が若い。若いというより明らかに10代であり、「半大人」の年齢層だ。


 通行人が多くなり、速度を落としたハンナがイリアの隣に並んだ。


「100年前はあの交差点辺りに大防壁があったんだそうだよ。少しして、アビリティー学園の分校が全州に作られることになって、拡張再工事をしたんだ。だから今、ソキーラコバルの第二防壁は全周14キーメルテくらいになってる」


 向かっているのはアビリティー学園分校らしい。ベルザモック州全土からアビリティーを得た14歳が集まり、3年ほどかけて「大人」になるためのレベル上げに励み、教育を受けるための施設。

 総人口70万人近い州の14歳から17歳、その7割が集まっている。3万人近い若者の集まる南西地区はなにやら空気まで瑞々しい気がした。


 住居と比べてずっと大きな建物が建ち並ぶ地区が見えてきた。その地区はイリアの胸ほどの高さの煉瓦塀で囲われている。塀が途切れたところ、錆止めの塗られた真っ黒な鉄の門が現れる。装飾的に形作られた門は開け放たれていた。

 上部の青銅の銘板には『国立アビリティー学園ベルザモック分校』の文字。

 地区全体が分校の敷地。3万人が学ぶのだからその広さは小規模の街に匹敵するだろう。

 門の内側、小さな詰所に居た男に軽く手を挙げて、ハンナは分校の中に入り込んだ。


「ずいぶん簡単に入れるんだね」

「学問の世界で一番権威があるのはどの分野だと思うね?」

「アビリティー学?」

「正解。なのでここの分校長もアビリティー学の教授なわけだが、お年を召していて、かつ生徒たちを導くのに忙しい」

「……それで?」

「近年の分校長の研究成果の4割は、私が手柄を譲ったものだ。そういう縁もあってしょっちゅう出入りさせてもらっているんだよ」



 なんだか嫌な話を聞いたと思いながらハンナの後をついて行く。石畳の真ん中にぽっかりと土の地面があって、小さな木が数本生えている広場。その向こう側。4階建ての灰土建設が見えてきた。

 開いたままの正面玄関から堂々と中に入るハンナ。

 美しく艶のある、年代を感じさせる木板の床に気を使い、靴にこびりついた土を蹴り落としてからイリアは後に続いた。



 4人くらい横並びで登れそうな広い階段を昇り、二階に上がってすぐ右側。見たところ普通の扉を挨拶も無しにハンナが押し開けた。「お、居た居た、ついてたなぁ」と言って入っていく。


 イリアが続くと、中で男が壁の照明器具に火を灯していた。

 背伸びをし、右腕を伸ばした男が持っている銀色の棒のは着火の魔道具だろう。


「ハンナさん、あんたね。勝手に入ってこないで下さいよ」

「ここは学園の施設であってキミの家ではないだろ? この子のアビリティー鑑定をしてくれ。イリア君だ」


 男は暗い色合いの髪を横分けにしている。身長はあまり高くなく、イリアを少し下回る。年齢は30過ぎのハンナと同年代だとは思うが、運動不足を感じさせる太り方をしていて若々しさは感じない。

 部屋に照明は2つある。男は逆側の灯も点け終わった。



 狭い部屋である。机と備え付けの椅子、そして手前に小さな茶卓。

 来客用かくつろぐための物か、茶卓の横に革張り椅子が一脚だけ。それだけでいっぱいになっている。『魂起たまおこしの水晶球』は見当たらない。

 おそらく右奥の扉の向こうに設置してあるだのろう。廊下に続く扉より重厚そうで外付けの錠がついている。


「事務局を通して予約してくださいよ。そういう決まりになってます」

「そりゃ学園生が守るべき決まりだろ? いいからつべこべ言わずにやりたまえ。分校長にいいつけるぞ!」

「何をだよ! ったく……」


 ぶつぶつ言いながら男は右奥の扉を開けた。錠はぶら下がっているだけで鍵が掛かっていなかったらしい。扉から外付けの錠を外して、それと着火の魔道具を手に持って男は扉の奥に入っていった。


 ハンナとイリアが後を追って入室すると、やはりそこは水晶球がある部屋。これまでイリアが行った場所と違うのは設置台が高く、椅子が無いことだ。

 座って使うことを想定していないということは、ここでは『魂起こし』はしないのだろう。


「イリア。この男はゲオルクといって分校に勤める【マナ操士】だ」

「うん。……よろしくお願いします、ゲオルクさん」

「はいはい。明りをつけるからちょっと待って」


 こちらの部屋の照明も灯したゲオルク。真っ白な薄手の襟高綿服を着ている。胸の物入れから鍵を取り出すと、扉に内側から錠をかけた。

 ノバリヤ政庁でやった時と同様にして、アビリティー鑑定をする。水晶球を挟んでゲオルクと向かい合い、数分後。鑑定塵かんていじんが形を成した。薄暗いロウソクの明かりの元、ゲオルクとハンナが水晶球をのぞき込む。


「ふむふむ……」

「ハンナも読めるの?」

「成長系だという事くらいはわかるよ。あとステータスが小さくて、どう見ても低レベルな事とか」

「……」

「ハンナさん、この子未判定アビリティーじゃないですか。分校で判定検査するんですか?」

「間違いなく未判定なんだね?」

「この間ボセノイアの技師が来て情報更新したばかりだから、間違いない。分校長に知らせに行ってくるから」


 そう言って扉に向かおうとするゲオルクを、襟首を掴んでハンナが引き戻した。

 「ぐぇ」という声を出したゲオルク。


「ドミトリ教授に教える予定はない。イリア君の検査は私がするので、このことは誰にも漏らさないように」

「あのねぇ、あんたここをどこだと思ってるの? ただの訓練校みたいに思われてるけど、もともとはアビリティー研究処が母体なんだよ? そこに未判定の子連れてきておいて——」

「公開しなければいけない義務など無い! アビリティー差別禁止法万歳!」

「義務じゃないって言ってもさ、道義的責任ってものが——」

「黙れ! 奥さんにあのこと言いつけるぞ!」

「何をだよ! いいかげんなこと言って鎌かけてるだけだろ! 毎回毎回!」

「どうかな? 賭けてみる? やめておきたまえ。我々は帰る。錠を」

「判定検査を在野のあんたがやったって、どうせドミトリ教授が再検査することになるだろ? 二度手間じゃないかなぁ……」

「早く開けないと引きちぎるよ?」


 ぶつぶつ言いながら錠を外すゲオルク。ハンナは出て行ってしまった。

 無作法に頭が痛い。イリアはおずおずとゲオルクの方を向き、話しかけた。


「あの……」

「ん?」

「料金は小銀4でいいんでしょうか」

「いや、いいよ。あの女関係の経費は分校長に請求することになってるから。……まだ何か?」

「水晶球の事なんですけど、亜種の情報が統合されてるって言っても150種以上あるわけですよね? このよく分からない鑑定塵で、そんなに見分けられるものなんですか?」

「……まぁ、それでお給料もらってるし? たまたま【マナ操士】に目覚めたってだけで、この仕事やってるわけじゃないっていうか?」


 ゲオルクは不格好な姿勢で台の上の水晶球に左肘を乗せ、鼻をうごめかした。

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