第29話 ハインリヒ邸にて

 学問書を多く買っている家はいくつもあったが、ほとんどはアビリティー学園分校の教授の家である。違ったのは一件。市の評議会の前議長ハインリヒ家。

 陶器の卸商をしている家なのに、年間10冊近い学問書を毎年購入している。

 ハインリヒの家はやはり中央区にあるらしく、イリアは行き方を書店の店主に教えてもらった。


 一度中央広場に戻って南に延びる道を進み、2つ目の十字路を左に。建ち並ぶ石造りの住居の中で一つだけ、黒っぽい材木で出来ている3階建ての住宅。


 材料が森で手軽に手に入るので、木造住宅は簡単に建てられる。その代わりすぐに駄目になる、貧しい者のための家と思っていたが、ハインリヒ邸は印象が違う。

 壁板一枚一枚が普通より大きく、黒光りしている。木目の細かそうなその素材は高級な輸入材の黒ユミの木ではあるまいか。

 鉄柵の門扉を押し開けて、狭い庭を抜け重厚な入口扉を叩いた。


 ほんの数秒で扉は内側に引き開けられ、上下揃いの黒染の服に革チョッキを着た、白髪の男が現れた。老人ではあるのだろうが背筋は伸びて肌艶もいい。レベルが高いと年齢が分かりにくくなる者がたまにいる。


「ご用件はなんでしょう」

「ハインリヒさんのお宅で間違いないですよね? イリアというものです。家庭教師を仕事? ……にしている、ハンナという女性を探しているのですが、ご存じありませんか」

「その方とのご関係は?」

「生徒の一人です。ノバリヤの戦士団の家で指導を受けていました」

「……わかりました」


 執事役を務めていると思われる男は玄関にイリアを導くと、扉を閉めてから「少しお待ちを」と奥に引っ込んだ。

 それほど大きくない家であったが、内装はイリアの目から見てもはっきりと上品で華麗であることが分かる。艶のある木材と真っ白な漆喰の組み合わされた壁に、額に入った絵が飾られている。美しい服を着た娘の立ち姿が描かれていた。


 赤みの強い金色をした、巻きの強い豊かな髪の毛。年頃はイリアと同じか少し下だろうか。しばらく見ていると、廊下の奥から絵に描かれている娘が出てきた。


「ごきげんよう、あなたがイリアさんでよろしいのよね? 応接間にいらしてくださいな、先生は今いらっしゃいませんの」


 そういって踵を返した娘にイリアはついて行った。

 先を歩き、応接間のあるという家の奥に案内する娘。絵に描かれている豪奢な服装とは違う、襟の大きな白い絹の服を着ている。室内履きの靴は紺色で、白い靴下が布のたっぷり使われた赤いスカートの裾からちらちら見えていた。


 応接間は思いのほか狭かった。向かい合わせになっている布張りの椅子が2脚と、その間にある白っぽい油石の茶卓が置かれているだけでいっぱいだった。しかし決して貧相な印象は無く、床一面に獣毛の絵織物が敷かれていて東向きの窓は美しい色ガラスの組み合わせ。壁際の台の上には花瓶があり生の花が飾られていた。


「えーっと……」

「わたくしはジゼル。ハインリヒは祖父ですのよ。ハンナ先生には6年前から指導を受けていますわ」

「そうですか。俺は5年と少しくらいです」

「あら、ではおとうと弟子ですのね」


 にこやかに笑ったジゼルに座るように言われ、イリアは背負い袋の荷物を降ろした。

 一人用としてはだいぶ大きな布張り椅子は柔らかい詰め物がたくさん詰まっているようで、イリアの体が深く沈みこんだ。

 向かいに座った目鼻立ちのはっきりとした丸顔の少女。玄関に飾られていた絵よりも成長して見える。


「ジゼルさんは、何歳からですか? その、先生に指導を受けてるのは」

「わたくしは10歳からですわね。魂起こしまでの約束でしたのに、ずるずると続いてしまって…… 学園の授業が思っていたよりも少し、退屈でしたので、まぁよろしいといえばよろしいんですが……」

「なるほど」

「イリアさんはひょっとしてわたくしよりお若いのかしら」

「はい。14歳になったところです。なのでイリアでいいです」

「じゃあそう呼ばせてもらいますわ。同じハンナ先生の生徒ですものね」


 執事役の男が陶器瓶に入ったお茶を持ってきた。白の取っ手付き茶碗に淹れられたお茶は「本茶葉」を使った紅茶である。イリアは一度飲んだことがあるだけだ。

 香りは悪くないが少し酸味のある味はあまり好みではなく、色が美しい以外は代用品の草茶などの方が口に合った。




 ジゼルの話を聞くところでは、ハンナがこの家を訪れたのは15日。

 ジゼルの課題を採点し、自然学やアビリティー学などを中心に指導を重ね、新たな課題を製作し終えてそろそろソキーラコバルを離れるところだったらしい。危なく会えなくなるところであった。

 指導は午前中に行われ午後は頻繁に外出するという。夜にまでにはたいてい帰ってくるので待っていればいいと言ってくれた。


 イリアがどんな指導を受けているかも聞かれた。

 ジゼルと同じく自然学やアビリティー学、基本的な数学の他、歴史学は本を読まされるだけ。地理学は基礎知識をすべて覚えることがまだ出来ていない段階だ。

 研究のための協力をちょくちょく強いられることを話したら、「あなたもですのね……」と同情された。ジゼルは分校で学園生の魔法使用頻度とステータス成長傾向を調査させられているらしい。



 イリアの腹が空腹のために音を立ててしまい、ジゼルが家の使用人に言って軽食を用意してくれた。鶏卵を平鍋で炒った物を挟んだ白パン。二切れ食べる。

 今日は学園は休みだそうだ。もっとも戦闘訓練や合同魔石採集の日以外、ジゼルは登校しない日の方が多いと言うが。


 8刻が過ぎて、ジゼルが書庫から蔵書を数冊、暇つぶしにと持ってきてくれた。

 中にハンナの著書『北東部森林魔境における小型魔物の繁殖について』も含まれていて、研究協力者として自分の名も記されているとイリアが教えると羨ましがられた。


 ほぼ読んだことのない本ばかりで、イリアは読書を楽しんだ。

 10刻も終わりごろ、廊下の方から無遠慮な足音。応接間の扉が開いた。


「やあジゼル、ここにいたのか」


 あいかわらず全身黒い格好のハンナが入ってくるなり、イリアをずらして大きな布張り椅子の隣に無理やり座った。


「北の森で見つけたんだがね、古代のナラの木の炭なんだ。現在のそれより年輪がずっと詰まっているだろ? 大型樹木がマナの影響を受けているという説の証拠として提示されている物なんだよ」

「そうですの……」

「キミにあげよう。ナラの木の炭とそれ以外の炭の見分け方は分かっているだろうね?」

「いいえ。それより先生」

「うん」


 ハンナはジゼルに拳ほどもある真っ黒な木炭を手渡すと、イリアの方を向いてまじまじと顔を見た。鉄板入りのつば無し帽子を脱いで茶卓に置く。


「なんでイリアがここに居るんだ? 生徒に他の生徒のことは教えないようにしてるんだ。向こうに比べて報酬が高いとか、言われるのが面倒でね」



 イリアはハインリヒ家を突き止めた方法を話した。ハンナがノバリヤを出てソキーラコバルに向かったことは本人の言葉で知っていたが、ソキーラコバルに生徒がいてその家に滞在し、本の報酬を受けているという予想に確信は無かった。

 ここ最近で一番うまく目論見が当たったと言っていい。


「なるほどね。さすがはイリアだ。それで、ただ私に会いたくなって追ってきたわけでは無さそうだね」

「……」

「ジゼル、悪いのだが席を外してくれたまえ。応接間を少し貸してくれ」

「あら、わたくしはのけ者ですのね?」

「アビリティーの情報にかかわること。そうだよな? そうらしい。ジゼル」

「分かりましたわ」


 ジゼルは応接間を出て行った。ハンナは立ち上がり、茶卓の反対側、ジゼルが座っていた方の椅子に座った。茶碗に冷えた茶を注ぎ直し、一気に飲む。


「ではイリア。事情を話してくれたまえ。【能丸】にでも目覚めて家を追い出されたのかね?」


 ハンナの顔に同情のような色は無い。ただ面白そうに目を輝かせている。

 イリアは魂起たまおこしを受けたあの日から、自身に起きたすべての事を一つ一つ順番に話して聞かせた。

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