第23話 三脚

 ラクダに曳かれて2刻間ほど進んだろうか。ハンスに言われ、荷台から顔を出して南側を見る。一面の畑には背の低い雑草のような作物が育っていた。奥の方に建物の集合。あれがイリアの泊ろうとしていた村だろうか。


「あの村で稼ぐ方法はコトナーに綿花を売りに行くくらいしかない。この辺りにはまともな水源が無いから、綿花くらいしか育たないんだ。新しいが貧しい村だ。他所者を泊める余裕はない」


 人口規模は数百人だろうか、防壁も無い小さな村。州都に近いこのあたりは10キーメルテ進んでも自然の魔境森林は無い。管理された人工管理魔境はあるはずだが、低級魔物しかいないので収入源にはなりにくい。

 チルカナジア王国の人口増加は著しく、そのためにこういったあまり恵まれていない土地にでも国民が住まなければならなくなっている。

 千年以上昔。マナ大氾濫で大地のほとんどが魔境の森に呑まれ、人類が絶滅寸前に追いやられたことを思えば贅沢な悩みでもあるが。


 コトナーへの道は下りになってきた。それなりの速度でもう3刻間走り続けている。馬ならば絶対に休憩が必要だがさすがは半魔物のラクダである。ここまで一度も止まらなかった。

 街道を横切って小川が流れていて、小さな石橋が架かっている。

 橋のそばに小屋があり、縁台で鎖鎧に麦藁帽の男が揺り椅子に背中を預けて座っていた。


 特に何を言われることもなく、橋を渡って幅4メルテほどの小川を越えた。

 カールによればここは昔あった関所の名残であり、今でもあまりに怪しげな者が通ろうとすれば止められるという。

 揺り椅子の男はあれでかなり高レベルの遣い手なのだとか。引退した兵士などが老後の副収入として見張りの役を勤める事が多いそうだ。


 小川のそばの藪で4人と1頭で用を足し、再出発。さらに少し進むと辺りは畑地になっていた。コトナーに着いたらしい。

 獣車はイリアでもついて行けそうなくらいまで速度を落とした。イリアは荷台から降ろしてもらって駆け足で前の方に回った。


 ラクダに跨っているイジーに挨拶をする。頭に紺色の布を巻き付けた小柄な男は手綱から片手を離し、手を挙げて答えた。顔の下半分が茶色い髭で覆われている。


 数百メルテ前方に見えるコトナーの街は立派な防壁のある町だ。州都ソキーラコバルまで20キーメルテ弱の距離にあるこの街は人口約5万を誇る州第4位の大都市。 

 だが外から見ただけではあまりノバリヤと規模が違うようには見えない。

 さらに3倍以上、16万人が住むという州都なら一目で違いが判るのだろうか。

 後ろからカールがやってきてイリアの左に来た。


「なぁイリア、お前コトナーに用があるのか?」

「いや、用があるのはソキーラコバルです」

「そっか、んじゃ野宿でいいよな?」

「えっ?」

「宿代がもったいねぇだろ? それとアクーを連れて街に入るのに、手続きとか面倒なんだよ」



 アクーとはラクダの名前なのだろう。イリアとしては野営をしてみたかった事もあり、特に反対する気はなかった。

 街道の延長に石畳の道があり、門が見えてきた。両脇に高さ10メルテはあろうかという矢倉塔が建ち、それが上の方で橋のようにつながっているコトナーの門。

 門扉は開いているようだ。防壁から20メルテほどの距離に空堀がめぐらされ、その内側は少し小高くなっている。農地などに利用されていない硬く踏み固められた地面だ。その空き地で泊まるのだという。

 ハンスたちの他にも野営をしようとする者は居るらしく、初夏の太陽はまだ明るく空を照らしているのに幕屋を建てている集団がいくつかある。


 空堀の内側、門から南に50メルテほど離れた壁際に獣車を停めた。イジーが飛び降りてラクダの首をボフボフと叩いている。ハンスとカールが背負子しょいこの荷物を壁際に降ろした。

 二人が獣車と繋がっている鎖を外すと、ラクダは足を折りたたんでその場に座りこ。唇を震わせ、ブフゥと一息吐いた。


 ラクダの首の下に着いていた装具を外し、荷台の下に放り込んだハンスがイリアの前に立って話しかけてきた。


「街で夕食を買ってくるが、お前はどうする」

「あー……」


 コトナーの街の中を見てみたい気もするが、もう1刻もすれば日が暮れるだろう。ハンスに観光案内を頼むのも筋が違う。わざわざ入街審査をうけてまで勝手の分からない街に入っても仕様がないので、イリアは自分の分も食料を買ってきてもらうことにした。

 首にぶら下げている財布袋を引っ張り出すと、小銀貨1枚をハンスに渡した。買い出しにはカールも同行するようだ。イリアとイジーが二人で残された。


「今日は本当にありがとうございました」

「……いいさ。礼は、アクーに言ってやってくれ」


 おそらく30歳は超えているだろう見た目のイジー。身長はイリアとほぼ変わらない。ハンスもあまり饒舌ではないがイジーはさらに話すことが苦手なように感じた。


 イリアは大人しく座っているアクーに近寄ると、感謝の言葉を心の中でつぶやいた。警戒するそぶりも無く、ふてぶてしくイリアを見上げる半魔物ラクダ。

 改めて近くで見ると実に奇妙な顔である。目が異様に大きくまつ毛が長い。




 イジーに言われて日のあるうちに幕屋を張ることにした。夜はけっこう冷えるという。3人は毛布を敷いたり被ったりして、てきとうに寝るらしいがイリアはまだ体が弱いからと言われてしまった。


 その辺りに落ちている石を車輪にかませて動かないようにし、直径1メルテある車輪の上端に吊り綱の一端を結びつける。もう一端は防壁の石積みの隙間にねじこんで、これも石をかませて固定した。わずかとはいえ防壁を破損しかねない行為に、大丈夫なのかと聞いたが、イジーによれば「ばれやしない」とのことだった。

 本来推奨される使い方と比べて、だいぶ低い位置に吊られた幕屋はだらしなく横に広がってしまっているが、まぁ寝られないことはなさそう。


 イジーは荷台から半メルテはある立派な鉄杭を出してきてそれを拳で3度殴りつけて地面に打ち込んだ。アクーの手綱を、頭の広がったその鉄杭に結わえる。そうしないと夜中に逃げてしまうそうだ。慣れて大人しくしているようでも油断は禁物なんだとか。


 夕焼けが赤く空を染める頃合いになってハンスとカールが街から戻ってきた。ハンスは両手に紐でくくられた荷物をぶら下げ、カールは薪と大きな素焼き壺を持っている。


「せっかくだから火を焚いてちゃんとしたもんを作ろうと思ってよ。イジー、三脚用意してくれ」


 イジーがまた荷台に登って何か持ち出してきた。1メルテほどの細長い鉄棒が3本、上端を部品で接続されている。

 鉄棒をちょうどよく広げ、軽く地面に押し付ける。

 部品から垂れ下がる鎖に中型の深鍋を吊り下げた。カールは薪の束をほどくと半分ほど鍋の下に積み上げ、もう一本手に取ると呪文を唱えだした。


「ゼ ファンヴルクン オグゴン グロップ ロンノーフ ロッコロン」


 精霊言語の呪文が最後まで唱えられると、カールの手中の薪の先端が煙を上げ、そして煙が炎に変わった。

 6本積まれている薪の下に燃えている薪をつっこむと、やがて全体に火が回った。

 イジーが素焼き壺から水を注ぐと、深鍋は「ジュゥ」と音を立てた。

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