第24話 勘違い

 料理は時間がかかるものだということを、イリアは生まれて初めて実感した。玉ねぎや人参は煮えていても、鹿の魔物の脛肉が柔らかくなるのに時間がかかるのだという。煮始めて既に1刻半。何度か水を足しつつ、煮上がるのを待つ。イリアの胃袋は悲鳴を上げていた。


 辺りはすっかり夜になり、周辺で野営する他の隊の者らも多くは焚火を囲んでいる。調理用の大きな木匙で肉をつついていたカールが、頃合いだと言って岩塩の欠片かけらを砕き入れた。さらに数分かき混ぜる。


「出来たぞ!」


 ハンスとイジーも集まってきて食事が始まった。

 大きな木椀の中の黒パンの上。脛肉の煮込みが掛けられる。汁は茶色く色づいていて、玉ねぎやニンジンの葉の部分は形が完全になくなるまで煮崩れている。匙で肉を掬って口の中に入れると、火傷するほど熱い脛肉はイリアの口の中で解けて柔らかい繊維になった。

 香辛料は少しも入っていないのに肉臭さが無い。塩の具合もちょうどよく、野菜の自然な味だけでなく、もっとはっきりとした甘みがある。「隠し味に干しブドウを使ってんだ」と、カールは自慢げに言った。


 食事をしている間、饒舌なカールが「つ脚ラクダ」の事を教えてくれた。

 ラハーム教自治領を越えてさらに東、皇帝国本領で半魔物ラクダのアクーを捕らえたハンス。獣車をあつらえ東方との交易を始めるにあたり、若いころから交流のあったカール、イジーと「三つ脚ラクダ」を組んだのが5年前。

 ラハーム自治領の中心都市で東方の産物を仕入れ、王都ナジアまで運んで売る。そしてチルカナジア全土や、時には隣国まで出向いて西部世界の新しい物や特産品を買い集め、また東方に売りに行く。

 そういう旅商を年に何度も繰り返して金を稼いでいるらしい。

 非友好国である東方国家との取引は失敗することもあるらしいが、普通の3人隊の倍の荷を一度に運べるので成功した時の儲けは大きいという。

 話している間皆料理をお代わりするので、材料費の一部を負担しているイリアもそれにならった。




「アクーには何か食べさせないんですか?」


 すっかり中身のなくなった深鍋。食器を洗い流した水をその中に注ぎ、それを飲まされているアクー。洗剤など使っていないので害は無いだろうが、なにやらかわいそうである。


「ラクダは数日飲み食いしなくても平気なんだぜ」

「嘘でしょう?」

「うそじゃねぇよ。食わせないとコブがどんどん痩せてくんだ」


 なんと便利な生き物なのか。魔物だろうと半魔物だろうと、そしてアビリティーを得た人間だろうと、飲み食いしなければ動けないし戦えない。

 マナの恩恵はそういう部分までは満たしてくれない。

 それが当たり前だとイリアは思っていたが、ラクダはマナの影響を受けていなくても元からそういう能力があるのだという。



「うちの馬なんか、2刻くらい走ったら桶一杯飲ませないと動かなくなります」

「うちの馬って、イリアの家では馬なんか飼ってんのか」

「はい。もう年寄りですけど」


 焚火の向こう側でハンスがため息を吐いた。


「おい、イリア。あんまり簡単にそういうことを漏らすな。俺たちが金に困っていたら、お前をさらって金持ちの実家から身代金を取るぞ」


 イリアはギョッとした。そんな罪を犯せば一生強制労働の刑に処される。悪事を働かずにはいられないというような、破滅的な犯罪者のすることである。


「……それはちょっと、やめた方がいいと思います」

「やらねぇよ! 商売もうまくいってんだ、今は!」

「例えばの話だ。というか、金持ちでなくともお前みたいなのが一人でうろうろしていれば出来心を起こす奴も出てくるぞ。身のこなしはレベルが上がらなきゃどうにもならないが、せめて旅慣れたように見せるとか、工夫をしろ」


 ハンスの言葉にイリアは首を傾げた。いまいちよくわからない。

 たしかに今、イリアは子供とさして変わらない力しか無い。犯罪者に襲われればひとたまりも無いだろう。

 実家が裕福なことを漏らさない方がいいのは分かったが、そうと分かっていないならイリアを狙う意味が分からない。イリアから奪えるのはせいぜい大銀貨8枚くらいの額でしかない。


「イリア、お前、ノバリヤ辺りの出身だろう?」

「わかるんですか」

「やっぱりな。あそこは魔境のほとりだから人間がみんな素朴というか、魔物だけが敵だと思ってる節がある」

「そんなことないと思いますけど。東方との関係にはみんな敏感ですよ?」

「政治とか戦争とか、そういう大げさな話とは別だ。人間が多いところだと人間が人間の敵になることが、下らない理由で起きるって話だ」


 ハンスはそう言って、残っていた薪の最後の一本を火にくべた。これが燃え尽きれば今日はもう寝ることになる。

 カールはまだ熱いはずの三脚を掴んで焚火から外し、畳んで自分の後ろに置いた。


「ノバリヤの出なのか。あそこで金持ちっていうと戦士団の偉いさんくらいしか思いつかねぇが、イリアの親は役人か何かか?」

「何でそう思うんですか? 俺の父親が戦士団長です」

「はぁ? なんで戦士団長の息子がアビリティー学園行くんだ? 実家で修業すりゃいいだろ」


 州都ソキーラコバルには国立アビリティー学園の分校があり、イリアは確かにソキーラコバルに用があると言った。だが学園に用があるとは言っていないし、今のところは訪れるつもりさえ無い。


 戦闘訓練や教養教育。それにレベル上げの後援を受けるため、一般家庭の生徒が学園に入校するのは4月と10月である。仮に入校するにしても6月生まれのイリアは10月まで待つ必要がある。

 勘違いを正そうと口を開こうとしたら、ハンスが険しい顔でカールの言葉に反応した。


「そういう事情は、俺たちが一番わかってるだろ」

「あ……」

「イリア、これを見ろ」


 ハンスは薪を結わえていた麻紐を摘まみあげると、それを顔の前にぶら下げた。右手の人差し指を添えて動かすと、その部分で麻紐はぷつりと切れて下に落下した。


「【小刃】ですか」

「知ってるのか。だがその呼び方は世間にまるで浸透してない。アビリティー差別禁止法以前の呼び名は【巾着切り】。盗っ人アビリティーの代表だ」


 【小刃】、またの名を【巾着切り】というアビリティーは『現象系』に分類される。異能名はそのまま≪小刃≫。体の外に出したマナに物理的な現象を起こさせるのが『現象系』なのだが、≪小刃≫は体の周囲にある物体を切断できる。

 そう聞けば強力な異能のようにも思える。

 だが実際は体からほんの少しの距離しか間合いが無いし、何でも切れるというほどの切れ味も無い。魔物や人間相手に使っても皮一枚切るのがせいぜいだ。

 そのため、イリアが首から紐でぶら下げている財布袋のような、そういったものをこっそり奪う事。すなわち「窃盗、スリ行為」の役にしか立たない、盗っ人専用のアビリティーだと揶揄やゆされているのだ。


「俺は【梟】でイジーは【縄抜け】だ。今の呼び方は【夜警】に【軟体】だったかな? 呼び方だけ変えても人の気持ちはなかなか変わらんもんだよな」


 カールの【夜警】も盗っ人アビリティー扱いされることがある。

 夜でも目が見えるという『体質強化系』のアビリティーは戦士団や軍隊、警士隊、どんな戦力組織においても間違いなく有用なはずだ。

 本来バカにされるいわれは無いはずなのだが、現実の問題を言えば【夜警】の持ち主が「夜盗」を働く事件がけっこう起きるため、そういう評価になってしまっている。


 イジーの【軟体】は盗っ人アビリティーの中でも異質だ。いちおうは『武技系』の一種。分類によっては『特殊武技系』とされていて、その異能は文字通り体を軟らかくする。

 本来マナを纏わせた物体を強靭化するはずの『武技系』の異能なのに、逆の効果をもたらしてしまう≪身体軟化≫。必ずしも無意味ということは無く、頭蓋骨さえ入る隙間があればどこにでも侵入が可能。拘束具で捕えておくことも難しく、ある意味で最も盗っ人アビリティーらしいともいえる。逆に正しい目的に使う方法をイリアは思いつかなかった。




「イリア。お前がどんなアビリティーに目覚めて家を追い出されたのかは、言わなくていい。今のこの国の王の、アビリティーで人を貶めるなって方針のおかげで、お前の世代は俺たちみたいな嫌な思いをしなくても済むようになる。きっとそうなるから、気を落とすんじゃないぞ」

「……俺は自分から家を出たんですけど……」

「そうだな。それでいいんだ」


 ハンスは厳めしい顔立ちに似合わない優しい顔で微笑んでいる。カールもイリアを見て頷き、イジーに至っては涙ぐんでさえいる。


 イリアはいたたまれなくなってしまった。確かにイリアに目覚めた新種のアビリティーは戦士団にふさわしくないものだが、一般社会においては評価が変わるだろう。

 臆病者のアビリティーと言われる可能性はあるが、そんなことよりも異常性や希少性の方に驚かれるはずだ。「盗っ人アビリティー」のように迫害を受けることは、たぶんない。


 いっそ3人に打ち明けてしまおうかとも思った。だがユリーとやった検証実験には数日かかっている。他者に新種アビリティーの性質を証明してみせるのが、かなり困難なことだと経験から分かっている。

 言っただけではどうせ信じてもらえないので、イリアは告白するのを諦めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る