第20話 釣瓶

 14年間過ごした生まれ故郷であるノバリヤを背中に、イリアは南西方面に延びる街道を歩き続けた。9日前トーロフの曳く馬車で通った道。

 イリアの周りを歩む者は居ない。皆走っているのだ。


 『黒森』で採れたいろいろな資源を背負った大人たちが、イリアの全力疾走並の速度で次々に追い越していく。男性だけでなく女性も、か細い老人ですら背負子に肉の塊を満載して駆けてゆく。

 アビリティーを得たばかりの「半大人」と、少なくとも20レベルにはなっているだろうちゃんとした大人の違い。あまりに頻繁に追い越されるので、イリアは遠慮して街道を1メルテほど横に避けて進むことにした。


 街道沿いは見える範囲をほぼ伐採されているが、ノバリヤ近くではほんの1キーメルテも横に逸れればまだ木の生い茂っている場所はある。

 大人のレベルの足しになるような強力な魔物はそう出ないが、イリアのレベル上げに使える低級魔物なら当たり前に居る。寄り道をしてみたい衝動がわいたが、イリアは我慢した。

 いくら低級だろうと魔物を一人で狩るのは無謀だ。最低でも3人。普通は4、5人の隊を組むのが魔物狩りの常識だった。


 半刻ほど進んだろうか、後ろの方からイリアの名を呼ぶ声がする。

 これまで追い越された誰よりも速い速度でイリアに走り寄るのは「白狼の牙」副団長のイヴァンだった。


「よぉ、会えてよかったぜ。イリア。まぁ一本しかない道だし、行き違うってことは無いけどな」


 息切れ一つしていない。たしか去年の暮れに40歳になったはずのイヴァンは、戦士として最盛期にある。レベルは「白狼の牙」内で団長のギュスターブに次ぐ52だ。

 人のレベルは上げようと思えば死ぬまで上げられるわけだが、老いによる肉体的な衰えが進めば総合的な力は上がらなくなっていく。戦士の現役はどんなに長くても60歳までだろう。


「ったく一人で行かせるってどうなってんだ? ギュスの野郎は何考えてんだ?」

「俺が望んだことですから。……それよりもイヴァンさん、アレクが例の『適性試験』を受けたようなんですが」

「あぁ、今朝ギュスの部屋でいろいろ話してたんだが、そこにアレクが入ってきて生首見せられたよ。誓っていうが俺もギュスの野郎…… 団長も知らなかったことだ」


 イリアが適性試験の失敗の結果、一時期刃物を見るだけで体に異変をきたすようになったことはイヴァンも知っている。

 今回の事をイヴァンが知っていれば必ず止めただろうと思ってはいた。


「誰がやらせたか、分かりますか」

「おい、ちょっと顔が怖いぞイリア。関わった奴はちゃんと探し出して叱っておく。防壁内に魔物を入れたことも問題だしな」


 イヴァンは眉をしかめて鼻の横を掻いた。


「だが、それ以上のきつい処分は、ちょっと難しい。ジジイ共の誰かが関わってるみたいだし、なにしろギュスターブ自身が、な」


 『適性試験』は頭領たるギュスターブが一昨年イリアに対して行ったことでもある。確かに偉そうに団員を処分できる立場では、無い。


「……わかりました。アレクも自分で望んだと言ってましたし、成功したんだからまだよかったんでしょう」

「それよりもお前のことだ、イリア。アビリティー取ったばかりでひとり立ちなんて無茶だ。考え直せ」

「考え直してどうするんですか? 黒狼の尾の見習いに入って、息子さんの水くみでもやらせたいですか?」

「おい、それは……」

「……」


 イリアは自分の言葉がいつになく刺々しかったことを自覚した。だが実際にノバリヤに残っていれば、いずれ今言ったような事態は本当に起きる。

 イヴァンの長男は今19歳で、「白狼の牙」の見習いとして寮に入っている。遠征における「黒狼の尾」の主な役割は「白狼の牙」の後援だ。

 戦闘にまったく参加しないという事はないだろうが、主戦力とは見做みなされず魔石の分配も平等という訳にはいかない。

 余剰マナに水精霊への同調適性があるイリアが「黒狼の尾」に入れば、まず期待されるのは『浄水』の魔法を使っての飲み水の確保だろう。


「すいません、ちょっと気が立ってて」

「いいか、イリア。俺も団長もバカじゃない。武技系だけで戦士団を組むなんてやり方が古臭いってことくらい、わかってるんだ。実際黒狼の尾と組んでなきゃ団の運営は今みたいに順調にいってない」

「はぁ」

「長老のジジイどもを黙らせられるくらい実績を出せば、黒狼の尾との合併も有り得る。前団長もそのつもりで作ったんだと聞いている。あるいはジジイ共が皆くたばってくれりゃ、すぐなんだがな」


 いずれにしろ今日明日の事ではない。来年再来年の事でもないだろう。

 というか、イリアにはそんなことは別にどうでもよかった。戦士団での派閥争いや発言力争いなど、イリア自身の当面の問題とは関係ない。

 自分に目覚めたこの珍妙なアビリティーをどうするのか、どう向き合うべきなのか。いま世界でイリアしか悩んでいないだろう、この突飛な問題に比べれば戦士団の運営方針の課題など陳腐である。


 誰かそういうのが好きな奴らが考えればいい。アレクやサーシャのことと比べても、くだらない問題だ。イリアはそう思った。


「まぁともかく、俺はしばらくノバリヤから離れます。決めたことなので」

「どうしてもか」

「どうしてもです」

「……わかった、もう俺からは何も言わん。ギュスターブが認めてることだしな。イリアも、大人になったってことか。これギュスターブからだ。大慌てで用意したらしい」


 イヴァンが右手にずっと持っていた袋の中にはボロ布が詰まっていた。開いてみろと言われて、ボロ布に包まれていたものを見つけた。

 7本の小さなガラス瓶。紙と蝋で厳重に封じられている。中には無色透明な液体が満たされ、黄色や橙色や赤色の、半透明な石が一つずつ沈んでいた。


「イリアなら知ってるよな? 魔石剤ってやつだ。蓋に書いてる数字が魔物の仮想レベルだから、ちゃんと計算して効率よく使えよ?」



 魔石は本来、持ち主の魔物が死ねばその瞬間から成長素が抜けていってしまう。半日放置すればからになるらしい。


 人の体ほども大きさのある魔道具『魔石固定がま』で魔石を加工すると、この成長素の漏出を止めることが出来る。専用の溶液に漬けておけば数か月間は成長素をほとんど損なわずに保存できる。それが魔石剤だ。

 『魔石固定窯』は魔法行使の要領でマナを流して動かせるので、【マナ操士】でなくとも使用が可能だ。魔石剤の技術が開発されたことで、人類はより効率的に魔石資源を活用できるようになっている。

 魔物を倒したはいいが仮想レベルが低く、倒した者らには利用できない場合。あるいは逆に仮想レベルが高すぎる魔物を倒した場合は、魔石を食っても浪費になってしまう。そういった場合に魔石剤に固定し、人里に戻ってから適したレベルの者に渡すのだ。


 多くの戦士団の収入源の一つとなっている魔石剤製造だが、「白狼の牙」では行っていなかったはず。

 日ごろから「戦わずして魔石を食うべからず」と公言しているギュスターブなのだが、これはどうした心境の変化なのだろう。

 ともあれイリアはありがたく魔石剤を受け取った。蓋に書かれている数字は1から10までと小さい。イリアのような駆け出しでなければ使えない物だし、断っても意味がない。通常こんな格の低い魔石を魔石剤に加工することはしないものだ。




 グラリーサの街に到着するのにイリアは5刻間もかけてしまった。平地ではあまり感じなかったが、スドニ丘陵へと上っていく緩やかな坂で背中の荷物の重さを実感する。

 イヴァンはグラリーサの街まで付いて来てくれた。荷物を持ってくれたりはしなかったが。

 昼過ぎに到着し、ノバリヤに引き返すイヴァンを見送って入街審査を受ける。9日前と同じ東門。銀板の身分証を見せたらすぐに通された。

 屋台で塩漬け腿肉の薄切りを挟んだパンを買い食いする。何の腿肉なのかは教えてもらえなかった。値段は銅貨で6枚。小銀貨1枚を渡して14枚のお釣りをもらった。


 水筒の水を飲みつつ屋台の横で肉パンをかじりながら考える。少し疲れたが上り坂はもう終わり、しばらくは平たんな道が続く。午後も頑張って歩けば十数キーメルテ先のビスト村に着けるはずだ。


 肉パン売りの太った男に水を汲める場所はあるかと訊いたら、アール教会のすぐそばに旅人用の井戸があるという。

 行ってみると立派な井戸小屋があり、番人の老女に銅貨1枚を渡したら釣瓶つるべで水を汲んでくれた。釣瓶を井戸の底から引き上げる老女の腕力は明らかにイリアよりも強そうであった。

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