第18話 弟

 ノバリヤには王国全土から戦士たちが魔物狩りにやって来ては、目的を果たしたり挫折したりして帰っていく。なので旅に必要な物は何でも揃っていて金さえ出せば手に入る。だがイリアが現在自由になる金は大銀貨11枚と小銀貨3枚しかない。大銀貨は10枚で金貨1枚の価値だ。普通の鉄剣一本買える額でしかない。

 水浴びから帰ったイリアはヴァシリを探した。まず旅に絶対必要な物を教えてもらいたかった。

 ヴァシリは裏庭にいて、どこかから刈ってきたのだろう大量の草を荷車からトーロフの餌箱に移し替えていた。



「ソキーラコバルまで行くのに必要な物? 特に何も要らないと思うが」

「大人ならそうかもしれないけど、俺が行く場合です」

「イリアの場合でもだよ。街道沿いに行けば20キーメルテくらい先にグラリーサがあって、その先にビスト村があるだろ。コトナーの街に直接行くと少し距離があるが、途中分かれ道を南にちょっと行けばファブリカ鉱山街が見えてくるはずだ」

「……つまり、どういう?」

「道中ずっと人里があるってことだよ。着の身着のまま行ったって、飢えも乾きもしない。幕屋で野宿なんかしようとするなよ? 一泊で行くのか二泊するのか知らないが、ちゃんと宿をとれ。危ないから」


 イリアは図書室に入り改めてベルザモック州の地図を見てみた。ヴァシリの言う通り街道沿いにはいくつもの街や村がある。本で読んだ英雄物語のような、水も食料も背負っての冒険行といった旅にはならなそうである。

 とりあえず、何を持っていくにせよ荷物を運ぶのに背負う物が必要になると考え、イリアは街に出た。


 中央通りに面する「アイローデ・ノバリヤ」という店。新品から修理不能のガラクタまで、品ぞろえがいいと評判のその店にイリアは入った。

 戸を開けると左右と奥の3方に展示棚があり、様々な道具が雑然と並んでいた。着火の魔道具を見て欲しくなったが中古品でも大銀貨6枚する。

 展示棚の向こう側に店主らしき半白髪の男が居たので、背負い袋はあるかと訊いた。

 男はイリアことをしばらく見つめると、一度店の奥に入ってすぐ出てきた。手には茶色い革で出来た小さな背負い袋を持っている。


「大銀貨1枚半でいいよ」

「えーっと、これだけですか? 選べないんですか?」

「あんた、まだ子供だろ? いや、子供とそう変わらないレベルだろってこと。でかいの背負っても疲れちまうから意味ないよ」

「でもそれだと、レベルが上がるとすぐ使えなくなるじゃないですか。今はまだ重いなら、中身を減らせばいいんだし」

「わかってないね。革袋ってのは何も入ってなくても結構重いんだよ。ほれ」


 手渡された背負い袋を持ってみると確かに予想より重い。持つ手にずしりとくる。腕力が上がって感覚がまだつかめないが、1キーラム半ほどある気がした。

 全体は背負い紐も含めて防水性も高そうな丈夫な厚革。背中が当たる部分だけが革ではなく厚手の布だ。金属部品で長さを調節できる背負い紐の縫製も、しっかりしている。

 大人たちが背負っている物に比べて小さく見えたが、中身を詰めてふくらめばイリアの両手で一抱えくらいの大きさにはなりそうである。


「ちゃんと一流の職人の品だぜ。子供に荷物背負わせるやつなんてあんまり居ないから、売れなくて困ってたんだ。仕入れ値そのまま、掛け値なしだ。買って損はしねぇって保証するぜ」


 確かに見た目は地味だが良い品のようだ。適正価格を知らないが安い気もする。

 買うことに決めた。あまり持ち金が減らなかったので、イリアは水筒も買うことにした。20キーメルテ歩き続けるなら途中で水くらい飲みたいものだ。


 水筒を見せてくれと言ったら今度はたくさんの商品を見せられた。

 昔ながらの革の水袋。魔物の膀胱を利用したもの。時代遅れのそれらは中を洗ったりできず、すぐ腐る消耗品なので買わない。

 密度の高い木を筒状に削って作られた物。軽さは魅力だがぶつければ割れるらしい。無駄に高いのでこれも駄目。

 店主のおすすめは銀合金製の水筒だった。はめ込む栓ではなくネジ式の蓋が付いていて、水漏れしない新商品だという。値段は大銀貨3枚だった。


 結局イリアは大沼ガメの腕の骨で出来た水筒を買った。見た目がおどろおどろしいが手入れが簡単。銀合金の物より少し重くてかさばるが、値段は半分だ。

 専用の袋に入れて肩に掛けて持ち運ぶ。容量は5口で飲み干せるくらいだ。

 背負い袋と合わせて3枚の大銀貨を支払い、商品を受け取った。店を出る時、後ろから「がんばれよ」と声をかけられた。言われなくてもイリアは頑張るつもりだった。


 屋敷に戻って荷物の支度をする。これから夏になるので嵩張かさばる毛皮の外套はしばらく要らない。衣類は下着の替えと綿服一着と革の上着。それと雨具だけだ。

 ヴァシリは野宿をするなと言っていたが、なんとなく旅と言えば野営道具も持ち歩くものだという気がした。ガラスの覆い付きの灯壺は野営でも照明として使えるだろう。イリアが小遣いで買ったわずかな私物の一つだし、持っていきたい。

 買った時に入っていた細長い木箱に緩衝材のボロ布と一緒に詰め込む。買った時付いてきた小さな火打石が一緒に入っている。

 寝台の布団の上の敷布を剥がし、木箱をさらに包んで背負い袋の右側に縦に入れる。これでガラス覆いは割れないだろう。

 幕屋を一度広げ、改めて押しつぶすように丸める。吊り綱としても使う獣毛の編み綱で巻いて締める。それでもなかなかの大きさで、荷物を詰めた背負い袋の半分ほどのかさがある。

 背負い袋の中にはまだ若干の余裕があるので、板駒戦戯を作るのに使った工具を入れることにした。別に木工をする予定はないが工具袋の中に入っている小刀は何かと使えそうである。

 他に何か持っていくべきものはあるだろうかと考えたが、考えても経験のないイリアにはよくわからなかった。




 その日の夕食は珍しい海魚料理だった。

 ベルザモックの南に位置するバスポビリエ州。その南端は大湖海とつながる小さな内海、小湖海が面している。

 バスポビリエから運ばれてくる塩漬けのタイヌーゾの肉を、塩抜きしてから煮たもの。パサついた食感で塩辛く、鉄臭い。まったくおいしいと思わなかったが生前のタイヌーゾは大きな魚らしく、海のそばで暮らす者にとっては力の象徴なのだとか。

 硬く焼かれたパンと一緒に食べきって、イリアは家族が食べ終わるのを待った。


「父さん。明日の朝に出発しようと思います」

「……なに?」


 ギュスターブはお茶の入った陶器杯を置くと、イリアに向き直った。


「……もう少しレベルを上げてからにしてはどうだ。夏の遠征まで、まだ少し間もある。手が空いている者を付き添わせるから、黒森の外縁を巡ってみろ」

「そういう訳にはいかないでしょう。正団員はもちろん見習いの人も、俺のために手を煩わせていい人なんて居ないはずです。もう準備は出来ているし、一つ二つレベルを上げたからって倒せない魔物を倒せるようになるわけじゃない」


 暇を見つけて木剣を振るっていたが、一日では上がった筋出力にまだ対応できていない。違和感を無くすまでにはもう少しかかるだろう。下手にレベルを上げても総合的な戦闘力が向上するとは限らないのだ。


 サーシャは会話内容がよく分からないらしく、「お出かけ? 森に行くの?」とアレキサンダーに聞いている。

 いつもはよくサーシャの相手をしている弟が、何も言わずにイリアを見ていた。

 サーシャは椅子に座ったまま左腕を伸ばしてアレキサンダーの袖を引いた。

 アレキサンダーは向き直り、その手に自分の左手を重ねた。

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