第17話 身分証

 イリアは自分のアビリティーの詳細をギュスターブには言えなかった。

 言えば恨み言につながってしまう気がした。あの『適性試験』さえなければ、あるいは。それでも武技系には目覚めなかったかもしれないが、異常なアビリティーと共に人生を送るはめにはならなかったのではないか。


「どうした? アビリティー種別の見当はついたのか、つかなかったのか」

「わかっていません」


 イリアは嘘をついた。それほど隠し立てする気はないし、ユリーから父に伝わるのは構わない。だが自分の口から言うことはやはり躊躇ためらわれた。

 ギュスターブは特に疑うそぶりもなく、「そうか」とだけ言った。


「……お前の所属についてだが、『黒狼の尾』が受け入れてもいいと言っているんだが、どうする?」


 照明の明かりを背にしたギュスターブの表情はあまりよく見えない。だが普段の毅然とした印象と違い、今はイリアと目を合わせないようにしている様に見えた。


 「黒狼の尾」は先代の「白狼の牙」頭領が立ち上げに協力した戦士団だ。ノバリヤに拠点があり、人数は40人ほど。魔法系アビリティー保有者や、そうでなくても魔法行使が巧みな者、すなわち「魔法使い」が多いらしい。

「白狼の牙」と提携関係にあり、遠征の際は必ず帯同している。魔法が巧みな者が居なければ森の奥地まで遠征するのは困難なのだとギュスターブは言っている。


 武技系アビリティー保有者しかいない「白狼の牙」だが、武技系は本質的に魔法が苦手ということはない。武技系異能は余剰マナを消費するので『マナ出力』が育ちやすく、むしろ魔法行使にも向いていると言える。

 だが実際には「白狼の牙」の団員に魔法使いと言えるほど魔法が巧みな者は居ない。おそらく頭が悪いからだとイリアは思っている。


「父さん、俺は『黒狼の尾』には入りません」

「では、どうする」

「ノバリヤを出ようと思います」

「……」


 ギュスターブは大きく息を吸い、そして吐いた。革張りの椅子に深く腰かけ、イリアの顔をじっと見る。


「私は、お前がどんなアビリティーに目覚めようと身の立つようにさせると言ったな」

「はい」

「言うまでもなく、その考えは変わっていない。イリア、お前がノバリヤを出たいという理由はなんだ」

「この街が戦士の、戦士団の街だからです」


 ついさっきまで迷いがあったが、父の口からはっきりと言われて決心がついた。「黒狼の尾」に入れということは、「白狼の牙」には入れられないという意味だ。

 そもそも、魔法を重視すると言っても「黒狼の尾」もまた戦士団である。戦士失格のイリアにはやはりふさわしくない。


 だからといって、イリアは自分の人生を悲嘆にくれて終える気はなかった。世の中にはイリアの事を気に入ってくれている人間もいる。

 家庭教師もどきのハンナはイリアのことを賢いと言ってくれたし、ユリーとも仲良くなれた。

 王国の法律上イリアは大人としての権利を持っている。自分が否定される場所に住み続ける必要は無いのだ。魔境のほとりではない、魔物との戦いだけがすべてではないどこかほかの場所なら、自分を生かして暮らせるのではないか。


 ギュスターブは机の左の引き出しから何かを取り出し、イリアの方に押しやった。近づいて、その綿布の巾着袋を手に取るイリア。

 中には手のひら大の薄い金属板が入っていた。


「お前が王都の研究処に出向くなら必要になると思って、作らせていたものだ」


 文字がたくさん刻まれている。一番上の行はイリアの名前だ。「ノバリヤ戦士団・白狼の牙・頭領家男子・ギュスターブの子イリア」と、最も長い名乗り方。下にはもう少し小さい文字で何行も箇条書きがあり、文字の下には精巧に「白狼の牙」の紋章が彫刻されていた。

 おそらくは銀の合金でできている。これは身分証だ。


「もうすぐ夏の遠征が始まる。研究処に行くにせよ、どこか別のところに向かうにせよ。私はついて行ってやれない」

「……はい」

「……今日はもう、休みなさい。私も考えをまとめたい」


 ギュスターブは背もたれに背中を預け、ひじ掛けにおいた右腕で頬杖をつくと東側の壁に顔を向けた。壁には額に入った歴代頭領の肖像画が並んでいる。

 その列から外れて、机の近くに掛けられている小さな額。中には亡くなった母の肖像画が入ってた。母の髪色はイリアやサーシャと同じ、くすんだ茶色だった。


 階段を上り、3階の自室に戻ったイリア。

 今日はダンゴネズミを2匹倒し、初のレベル上昇を経験した。自身のアビリティーの異常性を確認し、心身ともに疲弊している。だが自室に戻ったイリアはその晩、夜半過ぎまで眠りにつけなかった。




 ノバリヤを北に1キーメルテほど。クワ川という小さな川が流れている。クワ川から水路で引いた水のおかげで街の井戸は枯れない。また農地を囲む水堀の水源でもある。

 なにより川が障壁代わりになってくれているので水を好まない種類の魔物は黒森から出てこない。この川があったからノバリヤが開拓されたと言っていい。

 大きすぎる川には巨大で凶悪な魔物が潜んでいることが多く、普通水辺というのは魔境同様か、あるいはそれ以上に恐ろしい場所なのだ。だがクワ川は水が澄んでいて水深が浅いので、昼間であれば魔物が居れば見える。

 橋を架けることも簡単で、黒森に向かう人間が渡るための立派な木橋がある。魔物もまれに渡ってくるのが問題だが。


 6月下旬の水温はまだ冷たかった。木橋のそばに作られた人工の水場。下着一枚でイリアとユリーは水浴びをした。川から水を引き込んで、下流の方に流している半円形の水場。半円の半径が5メルテもある広い水場にはイリアたちの他にも利用者がいて体を洗っている。

 二人はすでに洗い終えて焚火で体を乾かしていた。


「さすがにまだ早かったのでは」

「そうだね。でも大人は真冬以外はこうしてる人多いよ」


 イリアはまだ震えが収まらない。『耐久』のステータスは人間の体の温度変化を防ぐ効果もあり、短時間なら冷水に浸かっても平気なのだ。

 屋敷には風呂があるが、風呂がある家庭は珍しい。イリアは行ったことが無いがノバリヤには2軒の公衆浴場がある。

 大きい街ならどこにでも公衆浴場があるらしい。入浴料は一回で小銀貨1枚が基本なのだという。


「イリア君、本当にノバリヤを出るの? こういう思いをするの嫌じゃない?」

「まぁ頑張りますよ。夏場ならかえって気持ちよさそうだし。店の料理一食分の金が浮くんだからお得ですよね」

「とりあえずはどこに向かうつもり?」

「州都に行こうと思います」

「ソキーラコバルまで、イリア君の足なら三日はかかるか…… やっぱり僕がついて行こうか? 一人だと危ないよ」

「ユリーさんは俺と同じ歳でボーロトニエから通ってきてたじゃないですか」


 ノバリヤ、ソキーラコバル間とボーロトニエ間の距離はだいたい一緒だし、人通りが多い分ソキーラコバル方面の方が魔物の危険は少ない。


「うーん…… でもなぁ……」

「俺はもう頭領になる可能性は無いんだし、そんなに大事にされる価値は無いですよ。ユリーさん今年の遠征では食料輸送するんでしょ? 今のうちにレベル上げとか、頑張ってください」


 ダンゴネズミ狩りに協力してもらったお礼として、ユリーには8つある箱罠を全部譲ることにしている。計算上ノバリヤでも毎年100人以上の子供が14歳になる。魂起たまおこし直後の者ならダンゴネズミでも十分レベル上げの足しになる。うまくやればなかなかの小遣い稼ぎになるのではないだろうか。

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