第16話 執務室

 門を通って庭に入ると屋敷の玄関口から誰かが出てきた。膨らんだ袖の服の上に金属の胴鎧を着ている。左肩に黒い毛皮をかけ、右手には身長よりも長い鉄棍。先端部が膨らんでいる。


「誰?」

「わからないです」


 立ち止まっているイリアとユリーに向かってその人物は歩いてきた。近くで見れば老人である。70歳は明らかに超えているだろう。髪と同じく真っ白になった口髭を伸ばしている。身長はイリアよりも少しだけ高く、ユリーと同じくらいだ。


「貴様がギュスターブのせがれか。屋敷にこもってばかりだそうだな。なまっちろい顔をして。そんなのだから、まともなアビリティーにならんのだ」

「ちょっと、誰ですか、あなた」

「貴様はなんだ。小僧のお守りか」


 ユリーは自分が「白狼の牙」の仮団員だと名乗った。


「ふん。見習いか。見習いだろうと頭領家の長老の顔くらい覚えておくことだな。前3番隊隊長、偉大なるエミールの血を引く【大武器使い】のアダルベルトだ。見知りおけ」

「見習いじゃなく、仮団員なんですけど……」


 老人は鉄棍の柄尻を自分の足元に突き刺した。石畳が割れ、八方にひびが走る。


「レベル30にならねば遠征には参加できん。それより下は見習いだ。わかったか」

「……はい」


 老人は左手でユリーの肩を押して退かせると、イリアの目の前に立った。その目にあるのは侮蔑の色だ。

 頭領家一族と言っても、その根源であるエミールは130年も前の人間だ。イリアにとっては6代前の先祖にあたる。

 大昔に血が別れたきりでそれ以降結びつきの無い一族の方が多い。遠すぎる血縁はほとんど他人のようなものだ。肉親の情など無い者がいるのは仕方ない。


「貴様のような者でも、わしは名を知っておるぞ、イリア。『白狼の牙』に責任ある者の一人として、生まれ日まで知っておったわ。ギュスターブがいつまでも報告せんからわざわざ出向いてみれば、案の定。半端なアビリティーに目覚めたというではないか。頭領の長男ともあろう者が、嘆かわしい」

「いやちょっと、アダルベルト、様。イリア君のアビリティーは——」

「ユリーさん」


 自分をかばおうとするユリーをイリアは止めた。


「俺のアビリティーの事は、信頼できる人以外には話さないでください」

「あ……、うん……」


 イリアの言葉に含まれる意味に、アダルベルトは特に怒りの感情を見せることも無かった。ただ侮蔑の色をより濃くしただけだ。


「ふん。種別が何であろうが、成長系など育ちがいいだけ。魔法使いよりなお悪い。一度戦場に出てしまえば能無しと変わらんではないか」


 能無しとは【能丸】の昔の呼び方だ。蔑称として今でも使う者が居る。

 まだアビリティーを持つ人間も知識も少なかった時代。兵士の募集などで名簿を作る際、アビリティーを持っている者の名の横にはその異能の詳細を記し、アビリティーは持っていても異能が無いか、分からない者の横には丸印を書いた。それが【能丸】の名の由来らしい。信憑性は不明。


 ともかくアダルベルトの言う通り、もし同じレベルの戦士同士がぶつかり合えばレベルが上がりやすいというだけの成長系の戦士に有利な点は無い。

 レベルが上がりやすいということは同じレベルに上がるまでの経験が少ないということでもあり、【能丸】の持ち主の方がまだ強いとさえ言える。


「ふん。せいぜい弟がまともなアビリティーに目覚めるよう協力するんだな。木剣の的くらいなら務まるだろうよ」


 イリアは何も答えなかった。ユリーは顔色を青くしている。

 悪態を呟きながら頭領屋敷を出ていく老人。その背中を見送るイリアの耳に「出来損ない」という言葉だけが聞き取れた。




 祝い事のある日は別だが、遠縁の親類であってもユリーは家族の食卓に参加することは無い。執事役のヴァシリや家事当番の女たちと食べているらしい。

 そちらの方が楽しいのだろう。厳格でどちらかと言えば寡黙なギュスターブが上座に陣どるこの食卓。よく話すのは6歳の妹サーシャくらいだ。

 イリアもアレキサンダーも作法通りに黙々と食べ続ける。

 今日の献立は赤グマと豆の包み焼きだ。ひき肉にされた赤グマの肉と、エンドウ豆と、細かく切った人参などの野菜を強く味付けして小麦粉の生地で包み、窯で焼いている。

 草食性の獣や魔物に比べて癖のある赤グマの肉を食べるために、香辛料を多く使うこの料理は手がかかるごちそうと言われる。手がかかるならわざわざ食べなければいいのではないかとイリアは思う。イリアが幼いときは辛すぎて嫌いであったこの包み焼きだが、サーシャは喜んで食べているようだ。

 食べ終わると。イリアは後で執務室まで来るようにと父に言われた。




 イリアは夜の4刻頃執務室に向かった。弟妹はすでに自室だろう。サーシャはもう寝ているかもしれない。

 ギュスターブの執務室は屋敷の二階、階段を上がって突き当りにある。一枚板でできた重厚な扉を3度叩くと中から「入れ」という声がした。


 大きな机の向こう側、北側の窓を背にしてギュスターブが座っている。夜なので窓には覆い布がかけられているが、窓の両横にある照明で室内は明るい。

 イリアの自室よりも狭い執務室。西の壁一面の書棚には面白そうな英雄物語などは並んでいない。書簡や名簿など戦士団の仕事にかかわりのある書類ばかりだ。

 イリアが扉を閉めると、机の上の書類を箱にしまいながら父は口を開いた。


「顔に傷が出来ていたようだが、消毒はしたのか?」

「はい」


 ダンゴネズミにひっかかれた傷は政庁舎に向かう前、屋敷で治療している。水で洗い、酒精で拭いて軟膏を少し塗りつけておいた。噛まれたわけではないのでそこまで気にする傷ではない。二日もすれば治るだろう。


「この数日ユリーと一緒に何かしているのは知っていた。それで、アビリティーの見当はついたのか?」

「……」


 見当はついた。ほぼその性質は解明済みである。

 魔石を介さず、魔物を打倒するだけで成長素を吸収できる。前代未聞、正真正銘、真正の新種アビリティー。

 現在、イリアはおそらく世界で唯一の存在だ。

 もし父が戦士団頭領でなければ、イリアがその子でなければ。喜んで報告したのかもしれない。


 いつか治るのかもしれない。時間が心の傷を癒してくれれば、いつか。

 しかし現時点で、自分が魔物を殺すことが出来ない人間だとイリアは自覚した。人に近い形をした角ザルが殺せないのではない。ダンゴネズミですら手にかけることが出来なかったのだ。


 レベルが上げられるから良いという問題ではない。戦士団にとって、戦士にとって魔物狩りは自分のレベルを上げるためだけの行為ではない。

 魔物の死体から採れる毛皮や甲殻。そして何より食料としての肉。生活に必要な資源を得るために人は魔境に出向くのだ。イリアは自らの手でそれらを手に入れることが出来ないのだ。

 それに今でこそ人類は魔物を狩る側に回っているが、本来戦士は魔物から人々を守り、その脅威から人類を解放するために戦う役割を負っている。

 その役割は無くなったわけではない。戦士たちが魔境に潜ることをしなくなれば森や砂漠や高山からあふれ出る魔物で人類の生存圏は再び侵されるだろう。


 魔物を殺せない者は戦士ではない。

 このアビリティーは、心弱い人の子に慈悲深い神が与えてくれた恩寵ではない。

 イリアにとっては、戦士失格の、臆病者の自分に押された烙印だった。


 頭領家一族の長老を名乗った老人は共感できそうな人物ではなかった。だがアダルベルトが言っていたあの言葉。

 出来損ない。それはイリア自身が自分に与える評価でもあった。

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