第15話 五芒星の力
東西通りと中央通りが交差するノバリヤの中央区。2メルテほど小高くなった丘を切り崩さず、上にそのまま灰土建築の建物が立っている。
現在政庁舎として利用されているこの建物は、ノバリヤがまだ定住者のいない対魔境拠点だったころから存在する。銅葺き屋根の二階建てだ。なんの意匠も施されないのっぺりとした壁には無数の丸窓が開いていて、嵌っているのは古臭い緑ガラス。材料の精製がうまくできなかった時代のガラスだ。
ベルザモック州が派遣している代官が政庁で一番権限をもっているのだが、代官は「北の大角鹿」や「ヤシャネコ大隊」、それに「白狼の牙」といった有力戦士団の意向を無視できない。街の様々な決め事の大半は戦士団頭領の会合で決まってしまったりする。
なので住民の大半はノバリヤ政庁舎のことを『
イリアとユリーは階段を上って政庁舎の戸口をくぐった。良い気候なので扉は開けられたままだ。入ってすぐの玄関広間はイリアが思っていたよりもずっと狭い。イリアの寝室より少し広い程度だろうか。実質人口2万人の街の政庁舎とは思えない。
左側の壁に窓口があって3人並んでいる。中に居るのは眼鏡をかけた中年女性。いやどちらかと言えば老女だ。3分ほどでイリアたちの順番が回ってきた。イリアが話す。
「アビリティーの鑑定をしたいんですけど」
「奥に行って右。料金は担当官に支払って。小銀貨4枚」
窓口の老女は玄関広間の奥を骨筆の尻で示した。その方向には開いたままの戸があり、奥に廊下が続いている。並んでいた3人のうち二人もそちらに行っていた。
短い廊下の突き当りを右に行くと、行列ができている。今度は8人も並んでいた。最後尾の男にユリーが訊いた。
「これって、水晶球の順番待ちですか?」
並んでいる男女の大半が振り向き、言葉やしぐさで肯定した。
幸いなことにというか当然ながら、並んでいた者らは「アビリティー情報の鑑定」をしに来ていた。『魂起こしの儀』をするのなら大変だ。40レベルの【マナ操士】でも一人施すのに一刻半かかるのだ。
しばらく待つうちにイリアたちの順番は来た。
扉には大きく『一人ずつ入室するように』との掲示がある。
ユリーがイリアの顔を見て「いや付き添わせてよ?」と言った。
二人で入ると、そこは2メルテ四方ほどの狭い部屋になっていた。中に居た大柄な女が眉を吊り上げてイリアたちを睨む。
「一人ずつって書いてんでしょ!」
「あ、いえ、その……」
「俺の鑑定をしてほしいんですけど、この人は付き添いです」
「あぁそうなの、ならいいんだけど。秘密を守るために水晶球はもう一つ奥の部屋にあんのよ。ほら、扉一枚じゃ盗み聞きできちゃうでしょ?」
栗色の髪を肩まで伸ばした大柄な女はイリアたちを
政庁舎の外壁は灰土建築のはずなのだが、中は壁材でちゃんと内装されていた。イリアが財布袋から出した大銀貨1枚を支払うと、女はそれを部屋の隅、卓上にある箱にしまい、お釣りの小銀貨1枚を返してきた。
言われるままに、水晶球の前に置かれた粗末な椅子に腰かける。
「両手で挟んで、そのまま3分じっとしてて」
「はい」
女はイリアが触れた水晶球の上部に両手を置いた。この女が政庁に勤める【マナ操士】で間違いないのだろう。
イリアの両腕に、『魂起こしの儀』の時と同じ「温度の無いお湯」の感覚が流れた。そのまましばらく、3分間。手を離した女が水晶球をのぞき込み、角度を変えてまた睨みつける。水晶球の中では
「ちょっと君、未判定アビリティーじゃないの? アビリティー取ってすぐみたいだけど、研究処にはもう行ったの?」
「まだです」
「成長系よね、これ。もうレベル上げたみたいだから種別は予想ついてるんでしょうけど。ちゃんと情報統合に協力した方がいいわよ? 金一封出るらしいし」
ユリーが興奮した表情でイリアを見た。女に向き直り食って掛かるように問い詰める。
「ほんとですか⁉ 本当にレベル2になってる⁉」
「嘘言ってどうするのよ。間違いなくレベル2よ。あんた驚きすぎじゃない? ひょっとして成長系が魔石を節約できるの、知らなかったとか?」
けげんな表情をする女をよそに、ユリーは興奮して「すごいすごい」とわめいている。
イリアにとっては予想通りの結果であったが、実はどこかで「すべて勘違いであってくれ」とも思っていた。聞いたこともない異常な性質を持ったアビリティー。それに目覚めたのがなぜ自分なのか。他の誰かであってほしかった。
あまりに大きな問題に直面して、夜の防壁外にひとりぼっちで取り残されたような、寒々しい不安をイリアは感じた。
次が控えてるからと、女に追い出されそうになった。イリアは慌てて、ステータスの値も教えてくれと頼んだ。
『力』が11、『耐久』が12、『マナ出力』が7、『マナ操作』が9で、『速さ』が11という数値だった。合計が50。魔法を使っていないし、余剰マナを消費する異能を持っていない。なのでマナ出力の上りが鈍い。それ以外特におかしなところは無い。標準的だろう。
成長系のアビリティーの中には魔石をかなり節約できる代わりに、レベル上昇に伴うステータス上昇値が少なくなってしまうというものがある。その逆で魔石が多く要る代わりにステータスが高くなるものや、『特殊魔法系』に分類される、余剰マナが生成されない代わりにステータスが多く上がるものなどがある。
それら以外、すべてのアビリティーにおいてステータスの合計値は共通だ。レベルが1なら合計値は25。レベル20なら5百だ。
マナがもたらす5つの恩恵。精霊言語で『五芒星の力』を表すステー・タスがステータスの語源と言われているが、本当の事かどうかイリアは知らない。
政庁舎を出ると太陽は西に傾いている。もう少しで夕方だろう。
中央交差点には両替商「ソキーラコバル金融」の支店など見た目が豪奢な店が多い。灰土建築の建物が半分を占めている。
主婦と思われる格好の女が荷車を曳いて北に向かっている。荷車には野菜や、穀物が詰まっている麻袋、そして兄妹なのだろう子供が二人載っている。
兄の方は8歳くらいだろうか。荷台の端に後ろ向きに腰かけて、幼い妹と皮付きの獣の腿肉を引っ張りあったりしている。
中央通りは北に向かって緩やかな上り坂だが、女は特に大変そうなそぶりも無く力強く坂を上っていく。イリアにはまだあの真似はできないだろう。
体が軽く感じられ力が強くなった気はするが、実際はアビリティーに目覚める前と比べて1割程度筋出力が増えただけだ。
「ユリーさんの『速さ』っていくつですか?」
「ん? たしか98だったと思うけど…… いや、そのあとレベルが一個上がってるから、100は超えてるかな」
『速さ』は武術を用いる者にとってはとても重要なステータスだ。順調に上がっているようで結構なことだ。イリアは質問をつづけた。
「『速さ』が上がると感覚が速くなるんですよね? 一人前の戦士なら飛んでくる矢でも掴みとれるほどだとか。じゃあユリーさんは今、俺の言葉がゆっくり聞こえてるんですか?」
「うーん、そういう感じはしないなぁ。3年かけて育ってるから、知らない間に慣れているというか。仮に、今の瞬間イリア君の『速さ』が100になったら、周りの人の言葉がゆっくりだって思うかもしれないけど、そのうち慣れるよ」
「そういうもんですかね?」
「わかんないけど、時間感覚っていうのは結局、体で感じるものなんだよ。1秒ごとに心臓が動いてるなーとか、5刻前に食べたきりだからお腹が空いたなーとか。いくら『速さ』が上がってもそれは変わらないでしょ? だから日常生活の感覚はそっちに慣れていくんだと思う。『速さ』の影響を感じるのは剣の稽古の時とか、魔物と戦ってる時くらいだね」
イリアはユリーの説明に納得できた。
レベルが上がっていくことで、子供時代とはまるで違う得体のしれない感覚になるわけではないらしい。
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