第14話 4匹目

 幕屋の中でイリアは片刃剣を鞘から抜いた。反りのついた薄い刃の片刃剣。無刃の短剣よりも倍は重量があるが、ステータスの『力』で筋力が倍増しているユリーにとっては軽いものなのだろう。


 武技系の異能によってマナを流し込めば武器は強靭化される。

 【剣士】の異能≪斬気≫にはさらなる特性があり、強靭化する物体の形状が鋭利であればあるだけ、その部分の強靭化が強く働くのだという。

 ユリーの剣もそれに合わせて薄く鋭く研ぎあげられている。強靭化する術のないイリアが下手に使えばすぐに刃が欠けてしまうだろう。


 包丁より大きな刃物を久しぶりに握ったが、今のところイリアの心身に異常はない。

 狭い幕屋内で長い剣を振り回せば、せっかくもらった幕屋を壊してしまう。右手で剣を握る。粗麻布で防御した左手を峰に添えて、突きの動きをしてみる。短槍の扱いと同じ要領。うまくいきそうだ。

 幕屋の外からユリーが声をかけてきた。 


「そろそろいいかい?」

「はい」


 冬場の使用にも耐える「白狼の牙」仕様の幕屋は魔物の革でできている。革は水をはじくように油を染みこませてある。巨大な筒状になるよう縫い合わされたそれを支柱の間に張った綱に吊るすようにして建てるのだ。

 冬場は筒の両端を皮紐で閉じて外気が入らないようにするわけだが、それだと真っ暗になってしまう。就寝するならそれでいいが、今は筒の片方を開放している。

 開放していたら当然ダンゴネズミが逃げ出してしまうわけだが、イリアはそこをふさぐように丈夫な絹糸の網を縫い付けた。虫よけのために内窓に張る建材として普通に売られているものである。


 もう片方は隙間ができるように緩く縛っている。

 その隙間に箱罠の開口部が突っ込まれた。上板が引き上げられ、ダンゴネズミが顔を出す。その両目はギラついてイリアをにらみつけ、騙されて狭い場所に閉じ込められた怒りを抱いているように見える。


 右肘を引き、鋭い剣先を標的に向け、左腕に添わせるように一突き。手元がくるって当たらない。狭い空間での剣の取り回しに苦戦するイリア。その足元をかすめるようにしてダンゴネズミは後ろに回った。

 絹糸の網に頭から突っ込んでいる。短い前足に生えた爪によって、ブチブチと音を立てて網が破かれていく。このままでは逃げられてしまう。もう一度狙いを定めて、渾身の力で突く。またも外れ、剣先が網を小さく切り裂く。自分の手が思うように動かなかったことが自覚された。気のせいではなかった。


 ダンゴネズミが跳躍し、イリアの顔につかみ掛かった。剣を手放して両手で引きはがそうとする。大きさからは信じられないほどの力。長襟巻に前歯や爪が絡みついて取れる気がしない。

 上着の首元に差し入れている末端部を引き出して、巻きを緩める。長襟巻ごとダンゴネズミを顔から外し、床に押さえ込んだ。


 手袋越しに硬い骨の感触を感じる。イリアは押さえ込む手を左手に変え、ユリーの片刃剣を右手で拾った。


 ギィギィと鳴く声がする。薄紫色の長襟巻の下でもがく魔物。剃刀のように薄く鋭利な刃を押し当てる。

 力を込めて切り裂けば終わる。ダンゴネズミは魔物だ。その繁殖力は旺盛で、数が増えすぎれば森からあふれ出して農作物を食い荒らし、防壁をよじ登って街に入ってくることもある。


 噛みつかれて傷から毒が入り、死にかけた子供も知っている。何よりイリアのアビリティーの秘密を解き明かすために必要な殺生なのだ。


 右手が動かない。イリアの脳裏に、一昨年の春、深夜の魔物解体場の光景が浮かんだ。つのザルの叫び声。顔に掛かった血の臭い。その温度。

 呼吸が早まり視界が狭まる。片刃剣を握る右腕の神経が抜き取られたかのように、力が入らなくなっていた。




 イリアは幕屋入り口をすぼめている紐をほどくと、外に出て長襟巻を振るった。

 中から猫ほどの大きさの赤茶色い物が転がり出る。地面に落ちたそれはすぐには動かなかったが、2秒後には跳ね起き、一気に加速し最大速度で北にある黒森に向かって走り去った。


「イリア君……」

「……押さえ込んでいる間に成長素が得られた感覚はありました」

「顔色がひどいよ。それに少し傷がついてる」

「これ、返します。今はレベルを上げることを優先したいです」


 片刃剣をユリーに返した。鞘に納められていない刃は真昼の陽光を反射し、生かされなかった殺傷力を主張するかのようにぬらりと光った。




 無刃の短剣を用いての4匹目のダンゴネズミ戦。先ほどとは一転して体が軽快に動く。

 情けない結果に終わってしまったが、先ほどの戦いもアビリティーの検証としては有意義であった。数十秒押さえつけただけで成長素の感覚があった。1戦目2戦目ともに打撃を加えた結果甘い痺れの刺激を感じたわけだが、もしかすると魔物を傷つける攻撃をする必要すらないのかもしれない。

 跳びかかってくるダンゴネズミの動きがよく見える。もう慣れたものだ。


 イリアは狭い幕屋の中で巧みに動き、顔を狙われても素早く避けた。2連続で跳びかかりを避け、脛のあたりに噛みつこうとしてきたところで短剣で迎撃した。

 剣を横に向け、腹の部分ではじくように打つ。吹っ飛ばされて、一瞬呆然とした小魔物はまたしても顔に向かって飛びついてくる。長襟巻はぼろぼろになってしまったのでもう巻いていない。噛みつかれれば確実に怪我をするだろうが、イリアに焦りはなかった。


 長さ半メルテの短剣を片手持ち。左脇から斜めに切り上げるような動きで、打ち返す。剣の腹ではじかれ、箱罠の横に着地したダンゴネズミは戦意を喪失したかのように動きを止めてしまった。鳴き声も立てずに前歯を出し、イリアを見つめる目は黒くて丸い。

 こんな形で無理やり戦いを強制している事実にいささか気まずい思いを抱く。

 そんなイリアの体に、期待していた事が起きた。

 甘い痺れの感覚。これまでは体の芯の部分に走り抜けるようだった刺激が、今回は全身にまんべんなく広がって感じられる。時間も長い。全身を包みこんだその感覚は数秒間続いてすっと消え去った。


「やった……」

「ギィ」

「おかげで、レベルが上がったよ。たぶんだけど」


 話しかけてもダンゴネズミは何も答えない。


「ユリーさん、終わりました」

「りょうかーい」


 箱罠が幕屋から引き抜かれると、ダンゴネズミは一瞬でそれに反応して逃げ去った。驚いたユリーが声を上げたのが聞こえる。

 箱罠の横に3粒、糞が落ちている。イリアは顔をしかめながら、入り口の紐をほどいて外に出た。


「どうだった?」


 短剣を腰の鞘に納め、イリアは両手を握ったり開いたりした。その場で何回か飛び跳ねてみる。アビリティーに目覚め、レベルが1になった時はほとんど感じなかったが、今は明らかに体が軽い。


「レベル2になってると思います」

「本当に? よし、じゃあ急いで片付けよう。政庁にいって鑑定してもらうよ!」


 幕屋の支柱に使っていた長くて太い木の枝をユリーは引っこ抜いた。もう一本のほうも抜こうとするのを、中の糞を先に片づけたいと止める。

 半刻ほどかけて掃除と幕屋の撤去を終えた。畳んで綱で巻いてある幕屋はイリアが抱え、二つの箱罠はユリーが持った。箱罠は果樹園の下草で中をこすり洗ってある。

 一度屋敷に戻り、荷物を置いてから政庁舎に向かうことにする。鑑定の結果次第では「全てが気のせいだった」という事になるが、そうはならないことをイリアは半ば確信していた。

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