第13話 長襟巻

 やはり、勘違いではなかった。

 成長素が本当に溜まっているかどうかはともかく。魔物を打倒した時にイリアの体に甘い痺れの感覚が走るのは確かなことだった。

 イリアはユリーの方を見て頷いた。ユリーは驚いた表情を見せ、歩み寄ってくる。

 腰の片刃剣を抜き払うと、イリアの足元でもがくダンゴネズミに向かって振った。


「えっ、ちょ、ユリーさん?」


 人間の拳大の頭部が宙を舞った。ユリーはしゃがみこみ、長い片刃剣の剣先を器用に使って、首の無いダンゴネズミの胸部を縦に割っている。イリアは自分の胃袋が痙攣してせりあがるように感じた。


「魔石は残ってる。イリア君、これ齧ってみて」


 どこからか取り出した手巾で血やらなにやらを拭き取り、イリアに向かって差し出してきた。ユリーの手のひらには小指の爪程の大きさの物体。黄色く半透明の、石かあるいはガラスのように見える、これが魔石。


「歯が欠けたりしませんか」

「そこまで硬くないよ。飴玉くらいだから、早く」


 受け取った魔石を口の中に放り込む。幸いなことに味はしない。奥歯でぐっと力を加えると一瞬で粉々に砕けた。溶けたり消え去ったりせず、砂のようにいつまでも残っている。イリアは眉根を寄せて口を半開きにした。


「『砂化』した……」

「……」

「これは、もしかしたら本当にもしかするのかもしれないよ、イリア君。知ってるかもしれないけど、魔石が砂化するのは成長素が摂れなかった時だ。レベルに対して魔物の仮想レベルが、つまり魔石の格が低すぎると砂化するわけだ」

「……」

「イリア君は本当に4日前アビリティー取ったんだよね? ダンゴネズミの仮想レベルは1だけど、イリア君もレベル1だ。レベル7までは砂化するはずがない。これは…… とにかく本当に普通じゃないことが起きてるって、僕も信じるよ。イリア君」

「……」

「あ、出していいよ、口の中の」


 イリアは砂のようになったものを唾と一緒に吐き出した。砂化しても尋常な物質とは違い、数日掛けて空間に霧散するという。


「イリア君、【賢者】の知り合い居ない?」

「居ませんけど、何でですか?」

「団長だったら当てがあるかな。【賢者】だったら成長素がどれくらい溜まってるかがわかるそうだよ」



 ベルザモック州の南西、王都ナジアを過ぎてさらに300キーメルテ行けばボセノイア共和国との国境に着く。

 170年ほど前にボセノイアで『魂起たまおこしの水晶球』が開発されるまで、人にアビリティーを与えることが出来るのは【賢者】保有者だけだった。

 水晶球は、【賢者】の異能の一つである≪アビリティー干渉≫を模倣した魔道具なのだ。

 それゆえ【賢者】は「根幹のアビリティー」と呼ばれ尊ばれている。他のアビリティーとは発現率がまるで違い、大陸西部全体で千人も居ないらしい。


「そうだ。ソキーラコバルなら政庁勤めの賢者が居るはずだから、見てもらいに行こう。成長素が溜まってるのが確認出来たら、これは凄いことだよ」

「ここの政庁に水晶球ありますけど、それだと分からないってことですか?」

「水晶球ではレベルが分かるだけなんだよ」


 イリアは州都ソキーラコバルに行ったことが無い。100キーメルテも遠くにあるソキーラコバルまで、成長素の確認のためだけに行くのははっきり言えば面倒だ。ユリーなら1日で走破できる距離なのだろうが、イリアの体力はまだ子供とほとんど変わらない。


「成長素の溜まり方が魔石を食べた時と同じなら、あと3匹ダンゴネズミと戦えばレベルが上がると思うんです。それで、水晶球でレベルを測れば確認できませんかね?」

「うーん…… まぁそれでもいいけど、何日かかるか分かんないでしょ? ソキーラコバルなら往復で2日…… いや、イリア君はまだ…… そうか……」


 ユリーも混乱しているようである。二人は明日の箱罠の成果を確認してからどうするか決めることにした。




 あいにくと朝から雨。悪天候の中森で行動するのは危険が増すため、ユリーは罠の確認に行けなかった。一階の教練場でギュスターブに剣の稽古をつけてもらっているらしい。


 イリアはより安全に、安定してダンゴネズミを倒すための工夫をしていた。毎度毎度相手が怒り狂っているとは限らないので、まずは逃げられずに戦闘に入れるようにしなければならない。

 どこか部屋の中で戦うことも考えたが、最弱と言われる魔物でも街に入れるのはまずい。イリアは一人用の小さな幕屋を使うことにした。

 遠征の際に使うので、幕屋は戦士団では標準の装備だ。ヴァシリが現役時代に使っていたものを貸してくれと頼んだら、只でくれた。新しいのを買って持っているらしい。

 幕屋の中にダンゴネズミを放てば逃げられずに戦える。


 超接近戦になるので噛みつかれる危険は増すことになる。

 足は分厚い靴なので問題ないが、腿や脛は噛まれるとあぶない。動きづらくなるがズボンは3枚重ねにすることにした。

 上半身は噛まれても歯が肉まで届くことはないと確認済み。とはいえ上着をぼろぼろにされるのも癪なので、粗麻布を左腕に巻くことにする。

 それよりも危険なのは首から上である。初戦はうっかりむき出しのまま戦ってしまったが、ダンゴネズミの跳躍力を舐めていた。

 分厚く防御しすぎても視界や呼吸が確保できないので、亡くなった母の箱箪笥から絹の長襟巻を失敬する。手触りが柔らかくて不安になるが、重ねて巻けば綿や毛織よりも丈夫らしい。




 雨は一日で止み、翌日午前中にユリーは森に出かけて行った。仲間を募らず一人で行ったらしい。危険を冒させてしまって恐縮するイリアだった。

 罠に掛かっていたのは1匹だった。果樹園の外れに幕屋を組み立てて、計画通り戦いを始める。


 幕屋の入り口に差し込まれた箱罠の開口部から飛び出してきたダンゴネズミ。不意打ちでいきなり攻撃しようとしたが、まるで予想していたかのように避けられた。直立すると頭がつかえてしまう狭い幕屋の中、目元以外顔をぐるぐる巻きにした中腰のイリア。

 無刃の短剣を何度も振り回し、一発命中したが手先だけで振り回した攻撃は効果が無かった。すかさず反撃され、股間部分に噛みつかれた。叫び声をあげ、粗麻布を巻き付けた左腕で渾身の打ち払いを繰り出す。

 幕屋の壁にダンゴネズミがぶち当たった時、甘い痺れを感じた。

 3枚重ねたズボンのおかげで無事である。ダンゴネズミはそのまま逃がした。一度倒したダンゴネズミの魔石を取っても使えないのだ。


 もう2匹捕らなければいけないので、ユリーに使用済みの箱罠をもう一度仕掛け直してきてもらった。

 腐った肉を準備する暇は無かったので、古チーズを使うことにした。羊乳のチーズは高価だ。人が食べてもおいしいチーズを腐肉喰らいの餌にするのはもったいなかったが、いたしかたない。




 そして翌日。2匹のダンゴネズミを捕獲することに成功した。かかったのはチーズのほうではなく、3日放置され腐敗を進めた削ぎ屑肉の方であった。

 果樹園は他人の土地なので、幕屋は昨日撤去している。ユリーと二人でもう一度建て直した。すぐそばの箱罠の中でダンゴネズミが怨嗟えんさの声を上げている。


「イリア君、今日はこれ使ってみて」


 ユリーは自分の片刃剣を外して渡してきた。


「え、いや、まずいでしょう」

「【剣士】用の薄刃だけど、ダンゴネズミくらいなら大丈夫だと思う。そろそろ長いのに買い替えようと思ってたし、欠けてもいいから」

「でも、今までと違うことして、成長素が摂れなかったらどうします? せっかく今日でレベルが上がるかもしれないのに」

「駄目だったらまた捕ってくるから。レベルが上がるまでちゃんと付き合うから心配しないで。殺しちゃったときでもちゃんと成長素が摂れるか、確認した方がいいでしょ? 生かしたまま倒そうなんていつも気を使ってたら、そのうち不覚を取ってしまう。それはいけないよ、イリア君」


 ユリーはいつになく真面目な顔であった。イリアのことを本当に心配しているのが分かる。

 柄まで含めた長さが9デーメルテほどの剣をイリアは右手で受け取った。

 上着は脱いでいるし長襟巻はまだ顔に巻いていない。暑さは感じていないのに、イリアの背中に汗が一筋流れた。

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