第12話 肉団子
イリアが木剣を握るのは2年と2か月振りだった。
カシの木の芯材で作られた木剣は長さが8デーメルテ弱。一族に伝わる子供の養育法によれば、剣術の鍛錬には身長の半分の長さの剣を使うべしとある。3年近く前に作られた木剣は当時のイリアの身長を基準に作られたものなので、少し短い。
裏庭にはイリア以外誰も居ない。厩舎の中にトーロフが居るだけだ。
両手で頭上に木剣を掲げて、振り下ろす。何度か繰り返してコツを思い出してきた。
足を前後に開き、腰を軽く落とす。重心を後ろから前に移動させながら、全力で振り下ろす。剣先が風を切った音がした。
右上から斜めに切り下げる。左斜めにも同様に。右手だけで持ち、もっと角度のついた斜め打ち下ろし。左横構えからの、横なぎ。順番に素振りをしながら何度も繰り返す。
木剣の重さは無刃の短剣とほぼ同じだ。長さが違うので多少勝手が違うだろうが、短い方が扱いは簡単だ。
イリアは息を整えた。まだ剣を振れると確認できた。
ダンゴネズミの捕獲罠を仕掛けてもらったのが昨日。ユリーは今日も森に出かけている。裏庭から見て南西に「
屋敷を囲んでいる生垣の間からユリーが顔を出した。森から帰ってきたようだ。手招きをされたのでイリアは駆け寄った。
「どうでしたか」
「2匹とれてた」
「支度をしてすぐ行きます」
裏口から屋敷内に戻り、3階にある自室まで駆けあがる。木剣を寝台の上に放り出し、冬用の厚手の毛織ズボンを綿ズボンの上から履く。
無刃の短剣を掴んで部屋を出た。
ユリーと合流して、街の西門に向かう。森から帰ってきたばかりと思われるユリーの装備はイリアと違ってまともな戦士の装備だ。黒い革鎧を全身に纏っている。何枚も重ねられているだろう革は見るからに硬そうだ。頭には頬当て付きの鉄兜を被り、もちろん片刃剣も装備している。
東西通りには住居の他は洗濯屋くらいしか面していない。あくまで定住者が通行するための道である。
他所から来てレベル上げのために一時滞在する者らの生活空間は街の南側であり、彼らはもっぱら南門を利用する。
宿の場所によっては西門や東門のほうが距離的に近道になるのだろうが、黒森に挑むほど十分にレベルの高い者にとっては多少の遠回りくらい気にならないのだろう。
森に出かける場合、本当は北門が使えるのが一番便利なのだ。
森から帰ってきた者らが日が暮れた後にも関わらず開門しろと騒ぐことが頻発したため、閉鎖されてしまったそうだ。北門周りは身分の高い役人や戦士団の幹部が多く住んでいる。
特に何も言われることなく西門を出た。イリアは一瞬、子供だけで外に出てよかったのかと不安になった。ノバリヤでは子供だけで防壁の外に出ることは当然禁止されている。
ユリーの雰囲気が大人らしくないせいで勘違いをしたが、よく考えればイリア自身ももう14歳でアビリティーを得ているのだ。
日が暮れてはまずいので駆け足で街の北側を目指す。10分ほどで小さな果樹園に出た。
「こっちだよ。ダンゴネズミが捕れてたのだけ持って来たんだけど、残りは仕掛けたままでよかったんだよね?」
「はい」
貧弱な林檎の木の根元にイリアの箱罠が2つ置いてあった。中から爪でひっかく音がする。
ダンゴネズミの魔石の格は最も低い。
一般的なアビリティーの場合、レベル1でも次のレベルまでダンゴネズミの魔石は5つ要る。レベルが上がるにつれ摂れる成長素が少なくなり、レベルが6になったら半分以下になる。
そしてレベル7になれば、もうダンゴネズミの魔石では成長素は全く摂れなくなってしまうのだ。
逆にいえば、ダンゴネズミだけ倒していてもレベル7までは上げられるということになる。大量に捕獲した実績のあるイリアにとってはお得なようにも思える。
だが一昨年は罠の用意をしただけで、直接
ユリーによれば実際にはそれほど貧弱な魔物ではないそうだ。
イリアは無刃の短剣を抜いて構えた。ユリーは箱罠に右足をかけ、上板に結びつけてある紐を握っている。
「じゃあ行くよっ!」
「お願いします」
罠が解放された、その瞬間。中から赤い塊がイリアに向かって飛び出してきた。ユリーの髪の毛に似た、赤茶けた色合いの毛皮。調理場でたまに見かける普通のネズミの何倍も大きい。猫くらいある。
腰を深く落とし、左横構えのイリア。間合いまであとわずか。大きいと言っても、剣の標的にするには小さい。1メルテ手前でダンゴネズミは急停止し、直角に曲がって北の方角に逃げた。その走りはイリアの全力疾走に近い速度だ。追いつけるかどうか、と考える一瞬の間に果樹園の下草の中に紛れ込んでしまった。
「……」
「逃げちゃったね」
「魔物は凶暴だから人から逃げないんじゃなかったんですか」
「いや、結構逃げるよ。マナの影響を受けてない普通の獣に比べると狂乱しやすいってくらい。魔物にもよるけど」
なるべく安全に子攫いイヌとの戦いを再現しようと思ったが、そううまくはいかないようだ。
「どうする? 罠に入れたまま、虐めて怒らせてから放そうか」
「それは、うーん……」
「少し卑怯かもしれないけどしかたないんじゃない? もともと罠を使うこと自体ちょっと卑怯なんだし、やってみようよ」
林檎の木の方に向かうユリーの後をイリアも付いていった。2つ目の箱罠が根元にある。
「あー、イリア君。これは虐めなくてもいいかもしれない」
「なんでです?」
箱罠からはさっきよりも大きなひっかき音が鳴っている。ギーギーという鳴き声も聞こえてくる。
見れば、中のダンゴネズミを抑えつけている上板の端から、大きなミミズのような尻尾がはみ出している。上板と底板の間に挟まり、その部分が潰れて出血しているようだ。
「十分怒ってるからこのまま開けよう」
「はい……」
先ほどと同じ手順でユリーが準備を整える。紐を引いて上板を持ち上げると、尻尾が中に引っ込んだ。数秒待っても出てこない。紐を離すと板が戻ってしまうため、ユリーはそのままの姿勢で止まっている。
イリアは罠に近寄り、おそるおそる姿勢を低くして中を覗きこんだ。
ダンゴネズミが飛び出してきた。左から右へ、片手で振るうイリアの横なぎ。小さな魔物は上に跳ねて避けた。
イリアの重心は低くなりすぎていて、足元がかえっておぼつかない。飛びついてくるダンゴネズミから、距離を取ろうとして尻もちをつきそうになる。左腕を振って打ち払う。その左腕にズシリと重さを感じる。
魔物は上着の袖に食らいついていた。分厚い
「イリア君!」
ユリーが叫んだが、左腕の皮膚が食い破られた感じはしない。こういう事態を見越して季節外れの上着を着てきたのだ。
ダンゴネズミは鼻の上部にクルミ大の大きな肉コブがある。煮込んだ肉団子のようにも見えるこれが名前の由来。腐肉喰らいのこの魔物の口中は非常に不潔だ。
『耐久』のステータスが低い者は毒素に対する抵抗力も弱く、前歯で傷つけられれば化膿し、大事に至る危険がある。
もっとも魔法行使を重視したような成長の仕方でも『耐久』が全く上がらないということは無い。レベルが10以上あればダンゴネズミの前歯ごときで傷つけられることは無いので、誰も恐れない。『赤鼠の無駄噛み』ということわざもある。
現状レベル1のイリアは傍の果樹にダンゴネズミを叩きつけようとしたが、左腕を振ったところで口を離された。空中で一回転。2メルテほど先に着地。
また逃げられるのではと一瞬思ったがそんなことはなく、2歩跳ねて加速したダンゴネズミはイリアの顔めがけて大きく跳んだ。
両手で上段に構えた短剣を、基本の通りに全力で振り下ろす。直撃した感触。バシンという音が鳴って、ダンゴネズミは地面にたたきつけられた。
イリアの体に、甘い痺れの刺激が走った。
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