第11話 木ピプロ
イリアは物置小屋にユリーを連れて行った。
物置小屋は裏庭の北西の隅に建てられている。裏庭にはトーロフが寝起きする厩舎と馬車を置いてある車庫もあり、前庭の3分の2ほどの広さがある。
厩舎や車庫は防犯のため、煉瓦を用いたそこそこ立派な造りをしている。
対して木造の物置小屋には盗まれてもいいような物しか入っていない。錠もかかっていない古ぼけた木扉を引き開ける。庭掃除に使う熊手や桶などが置いてあり、そのさらに奥。
「これです」
そこに積まれていたのはスギの木の板でできた箱型の道具。ハンナの研究のためにイリアが作らされたダンゴネズミの捕獲罠だった。
捕獲罠の大きさは長さ半メルテ、高さと幅が3デーメルテになるように作った。中に仕掛けた誘因餌を強く引っ張ると作動し、二つに分かれている上板がバネの力で折れ曲がり、中の獲物を押さえつけて拘束するようになっている。
15個作ったが破損・紛失によって今は8個しか残っていない。
「つまり、これを使ってダンゴネズミを捕まえて来いってこと?」
「森の浅層に置いてきてもらうだけでいいんです」
レベル18のユリーなら浅層くらいには潜れる。ノバリヤから日帰りできる距離の浅層は、ひっきりなしに人間が出入りするので繁殖力の強い低級魔物くらいしか残っていないのだ。兎や鹿など、魔物ではない生き物も浅層には多く繁殖している。
罠を置いてくるくらい、自分でも何とかなりそうだとイリアは思わないでもなかった。だが
「団長に怒られやしない? 戦士たる者が戦わずに魔石を喰らうなど許さんって、いつも言ってるじゃない」
「俺は魔石を取るわけじゃないから大丈夫です」
「ははは、なるほど」
今は街の外からやってきたレベル上げ希望者が多くいる時期だ。奥地から迷い出てくるはぐれの中級や大物に出くわす危険は少ない。
【剣士】のユリーならちょっと入って罠を仕掛けてくるくらい簡単な事だろうと思ったが、慎重なユリーはやはり一人では行かないという。
『黒森』での年間死者数は行方不明者を除いても平均で20人を超えていて、その多くは単独行動中、怪我や体調不良によって身動きが取れなくなることで死につながっているのだとか。
ユリーはノバリヤに居る同世代の仲間の都合がつきしだい、隊を組んで罠を仕掛けてくると言ってくれた。
昼になってイリアは皮
一昨年と同じ工房の削ぎ係の男に頼んだら、快く誘因餌の材料を無料でくれた。
生皮を鞣す時、最初にするのがこびりついている肉や脂を削ぎ取る工程だ。廃棄物として出るそれらが誘因餌の材料。
ダンゴネズミは何でも食べる雑食だが、一番好むのは腐肉だ。食べられる肉を腐らせるのはもったいない。
蓋つきの桶に半分ほどの量をもらって屋敷に帰る。物置部屋にあった粗麻布を自室に持ち帰り、8個の小袋を縫い上げた。形は不格好だが大事なのは頑丈さである。前歯であっさり噛み破られてはうまくいかない。
午後、物置部屋で罠の手入れをする。多少錆びていたが、板バネが問題無く作動するのを確かめる。
獣は鉄臭さを避けるとハンナに言われたのを思い出して、錆びを落として室内灯の燃料用の獣脂で板バネや釘の頭を磨く。分かれた上板の間に挟む部品は木製だが、それに接続されている針金も磨く。
先端が鉤状になっている針金に粗麻の小袋に入った誘因餌をひっかけ、それが強く引かれて部品が外れることで罠が作動する仕掛けなのだ。
鞣し工房からもらってきた削ぎ屑の肉は桶に入ったままだ。少し水を入れておく。腐敗が進んだ方がダンゴネズミは寄ってきやすい。
夕刻、ユリーがイリアを探していると家事手伝いの団員の妻に言われ、調理場に向かった。調理場の大きな卓の席に着いてユリーは何か食べている。薄焼きパンに挟んだ肉の煮込みのようだった。
「もう夕食を食べてるんですか?」
「あ、イリア君。明日天気が良かったら森に行くことになったよ。3刻半ばには出発する予定だけど……」
ユリーは調理場で働いている女を見た。魔石を取らないという言い訳はあるが、罠を使うことは一応秘密ということになっている。
「大丈夫です。3刻になる前には準備しておきます」
「うん。わかった」
「協力してくれる人や、ユリーさんにお礼をしなきゃ駄目ですよね? お金なら少し貯めていますけど」
「要らないよ。僕らも小遣い稼ぎする予定だから。今は木ピプロの実がちょうど採れる時期なんだ。けっこうお金になるよ」
木ピプロは肉の臭み消しに使われる香辛料だ。若葉を乾燥させた部分は本ピプロの代用品として使われるが、塩漬けにされた小さな実は料理に使われるだけでなく、し好品としてそのまま食べたりもする。
輸入品としてしか手に入らない本ピプロより、木ピプロの風味の方がイリアは好きだった。
翌朝、いつもの時刻に起きたイリア。雨の多い季節に入っているが、今日の空模様は晴れ。朝食を済ませ、物置小屋に行く。
桶の中の削ぎ屑の肉を確認する。やはり真夏ではないので一晩くらいでは腐敗があまり進んでいない。一昨年は3日間寝かせ、近寄るだけで臭うくらい腐らせて使ったのだが、まあ今回はダンゴネズミの嗅覚に期待するしかない。
肉をすくって袋に詰め、針金の先に突き刺して固定する。
板バネで折れ曲がった上板を引き戻して、隙間に針金のついた部品をはめ込む。太い留め針を罠の外側から差し込む。この留め針がある限り部品は外れない。運んでいる間に罠が作動してしまわないようにする安全装置だ。
仕掛ける場所に着いてから仕掛けを整えればいいと言ったのだが、ハンナが面倒くさいと文句を言ったのでこの工夫をせざるを得なかった。
経験のあるイリアにとって8個分の罠くらいあっという間に準備できる。しかしよく考えれば、本来なかなかきつい作業だ。もっと腐敗した肉を使っていた一昨年、イリアはまだ12歳だった。必要な数のダンゴネズミを捕獲し終えるまで、これを繰り返させたハンナはやはりどこかおかしい気がする。
準備ができたころ、ユリーが物置小屋に入ってきた。
「じゃあこれ、お願いします。ある程度揺らしても大丈夫です。目立つ木の根元とか、後で回収しやすい所に置いたら、この針をそっと抜いてください」
「うん。いやすごいね、改めて見ると。これを12歳で作ったの?」
基本構造は本に載っていた小動物用の罠と同じだが、ダンゴネズミを生かしたまま捕獲する工夫や、安全装置などの細部はイリア独自の物だ。
8つの罠を大きな麻袋に詰め込んで、ユリーは屋敷から出て行った。南門前広場で3人の友人と待ち合わせているそうだ。
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