第10話 遠縁

 グラリーサのアール教会での『魂起たまおこしの』を終え、屋敷に帰ってきたイリアは翌日朝から図書室に籠った。アビリティーに関連する本を全て取り出し、片っ端からぺいじをめくる。

 魔物の体から魔石を取り出し、それを体に接触させて破壊する。それ以外の方法で魔物から成長素を摂ることが可能なアビリティーなど、どこにも書かれていなかった。

 そもそも原理が分からない。

 高度な手術によって魔物から生きたまま魔石を取り出す実験は、過去あったらしい。すぐに衰弱して死んでしまったそうだが、一時的であれ魔物を生かしたまま成長素を摂る方法は、まあ厳密にいえばあることになる。

 先が丸くなって刺せない短剣ではあったが、強く突いたことで子攫こさらいイヌの体内の魔石を破壊したのかもしれない。

 そんな予想をしてみたが、だとしても非接触の状態で成長素を吸収するという現象が前代未聞なのだ。イリアはあの時、魔石どころか子攫いイヌの体にさえ直接触れていない。


 図書室の扉を叩く者はおらず、イリアは一日中成果の出ない調べ物を続けた。




 夕食は可能な限り家族4人そろって食べることが決まっている。多忙なギュスターブは平均して二日に一度ほどしか食卓をともにできない。

 主菜は大きなマスの揚げ焼きだ。小麦粉をまぶして乳脂で焼いてある。サーシャが学問塾であった出来事をギュスターブに話して聞かせている。ちゃんと聞いてはいるようだが、父の機嫌はあまりよさそうに見えない。

 イリアのアビリティーについて話は出なかった。幼いサーシャはともかく、今年12歳になるアレキサンダーはその意味を理解しているだろう。

 もしイリアが『武技系』に目覚めていたら、「白狼の牙」の見習いに入ることがこの場で発表されたはずだからだ。


 夕食後、図書室の扉が控えめに叩かれる音がした。

 椅子から立ちあがってイリアが扉を開けると、赤茶けた髪の若者が立っていた。


「ユリーさん」

「イリア君ひさしぶり。今、ちょっといい?」


 ユリーはイリアに勧められるまま丸卓に備え付けてある椅子に座った。反対側の席にイリアも座る。

 ユリーはイリアの3つ年上で遠縁の親戚。ユリーの母親とギュスターブがという関係だ。100キーメルテ以上離れた州最南端の街ボーロトニエに住んでいるが、農閑期にはあちらとこちらを行ったり来たりしている。


「ユリーさん。今回は俺のためにすいませんでした」

「何?」

「俺が14歳になるからって、来ないように言われてたんでしょう?」

「いや、気にしないで。むしろ図々しく魂起こしの翌日に押しかけてきちゃって、申し訳ない」


 南の街は少しだけ春が早い。去年は5月の半ば、ボーロトニエでの春小麦の作付けが済んだ頃にはこちらに来ていたのだが、イリアの魂起こし前だからという理由で父が滞在を断っていたのだ。


「それで、さっき団長に剣の稽古の話をしに行ったら、不機嫌というか、なんかちょっとおっかなくて」

「……すいません」

「理由を聞いたら、子攫いイヌに不覚を取ってイリア君を死なせかけたって。本当なの? 怪我はないって聞いたけど、大丈夫?」


 ユリーは左右の垂れ目の下のそばかすを、両手の指先で撫でながら話している。 イリアとしては結構気が合うかもしれないと感じるこの控えめな青年が、20レベルにも至っていないのに「白狼の牙」の仮団員になっているのには訳がある。

 アビリティーが【剣士】なのだ。もし初代エミールに血がつながっていれば次期頭領の筆頭候補だろう。実際はエミールの血はギュスターブの母方につながっており、ユリーは父方の親戚なので頭領家一族という扱いにはならない。

 とはいえ戦士たるを夢見る者なら誰もがうらやむむ【剣士】保有者だ。ギュスターブが微妙な時期のイリアからユリーを遠ざけたのは、必ずしも気の回しすぎとは言えないだろう。


 イリアはまず、グラリーサから帰る際に起きたことを話した。明るいうちに帰ってくるはずが思わぬことで時間を取り、魔物の群れに襲われたこと。そして自分が子攫いイヌと戦う羽目になった事を。


「なるほど…… さすがの団長も5頭同時には対応できなかったかぁ」

「5頭目は急に出てきた感じでしたから。街道沿いなのにあんな危険があるんですね」

「それはだって、ノバリヤまで半分の距離に居たんでしょ? それはもう『黒森』のほとりって言える位置だよ」


 地元の者は北東部森林魔境の事を黒森と呼ぶ。針葉樹の割合が多く、冬になっても葉を落とさない森の様子が雪の白さに対して黒く見えたのが由来だとか。

 ユリーによれば子攫いイヌは非常に鼻がよく、風にのって森に届いたトーロフのにおいめがけて襲ってきた可能性が高いという。


「僕が言うのもなんだけど、団長はちょっとうかつだったんじゃないかなぁ。人通りが多い昼のうちに帰ってこられなくなったなら、一泊するべきだったと思うよ」

「そこまで警戒するものだとは思いませんでした。ヴァシリも特に何も言ってませんでしたし」

「うーん……。ヴァシリさんも団員だったでしょ? なんていうか、戦士団は十分強い大人だけで行動する事が多いから、低級魔物なんて怖がるのをやめちゃうんだよね。僕はちょっと前まで子供だったし今でも怖いよ、魔物ってだけで」


 そうは言ってもユリーであれば子攫いイヌ1頭程度、何の問題も無く倒せるだろう。

 ≪斬気≫を用いれば確実に有効な攻撃ができる。まともに噛みつかれれば怪我をするとは思うが、ステータスの一つである『速さ』の恩恵は人の神経に働き、認知・思考速度を向上させる。

 今のイリアの倍近くまで向上しているだろうユリーの感覚なら、噛みつきを避けることは容易なはずだ。


「ところでなんで魂起こしにグラリーサまで行ったわけ? イリア君、アール教徒になったの?」


 説明が面倒なので、イリアはその質問を黙殺することにした。

 昨日、結局子攫いイヌは1頭も殺していない。

 低級魔物の魔石は54レベルのギュスターブにとっては成長素にならない。というか、ギュスターブはもはや魔境の奥に潜む大物しかレベルの足しにできない。

 魔石資源の有効活用はアビリティー先進国共通の、長年の課題だ。魔石を消費しないのに安易に魔物を殺すことは咎められるのだ。

 ギュスターブが峰打ちにした2頭。半死半生の子攫いイヌを離れた場所に捨てる手間がかかり、さらに時間を食った。結局イリアたちがノバリヤに帰り着いたのは日が暮れる直前だった。執事役のヴァシリは心配して門まで迎えに出てきていた。



 丸卓の上や床のあちこちに散らかっている本をまとめて、隅の方に積む。ちゃんと本棚の元の位置にしまうのは明日にする。

 ユリーに飲み物は要るかと聞いたが、要らないと断られた。イリアが図書室でお茶などを飲むときは調理場に行って自分で淹れる。調理場ではお湯はいつでも沸かしてある。

 イリアも別にのどが渇いているわけではないので、話を続けた。


「ユリーさん、魔物を倒した時に体に刺激が走る事ってありますか?」

「何それ、何の話? なんか変な話?」

「いえ、その、俺のアビリティーの事なんですが……」


 アビリティー種の判定ができなかったこと、そして人生初の魔物との戦いで感じた異常。イリアは今度は自分の身に起きたことを中心に話した。

 父にすら話していないことをユリーに打ち明ける気になったのは、やはり年が近いからだろうか。

 イリアの話を聞いて、ユリーは下唇を指でつまみながら首をかしげている。


「いやー…… さすがに勘違いじゃない? 本当に新種だとしても、そこまでめちゃくちゃなのはアリなの?」

「でも、本当にそんな感じだったんです」

「うーん……」


 今度は反対側に首をかしげる。

 ユリーの革帯の左腰には、金属の留め具に剣がぶら下がっている。ギュスターブの帯剣より少し短いが、型は似ている。優しとしか言いようがないユリーの雰囲気に似合わず、反りのついた片刃剣はうっすらと凶暴性を醸し出していた。


「でも、まぁ本人にしか感じられない事ってあるよね。僕も魂起こしの後、剣に触った時に感じたんだ。一生これを振るって生きるんだなって。なんか自分に酔ってるみたいで恥ずかしいから誰にも言わなかったけど」


 突拍子もない話をちゃんと聞いてもらえてイリアは嬉しかった。

 血縁上はほとんど他人と言っていい関係だし、劣等感を含めた複雑な感情を抱く相手であったが、今はなぜか素直に心を許せた。


「それでどうするの? 研究処に連絡するの? それとも自分でもう少し調べてみるとか?」


 そのことについてイリアは一つ思いついた。ユリーの協力を得られれば可能なことがある。

 今日はもう遅いからと話を切り上げ、自室に戻ることにする。ユリーも滞在時には屋敷に一室与えられているので、明日の朝になったら相談するつもりだった。

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