第9話 止め

 1刻間待ち、結局イリアは我慢できずに教会を出た。結論から言えばトーロフは無事見つかった。というか普通に門前広場の杭に繋がれていた。

 何が何やらわからず、トーロフの番をしながら待つ。門衛は昼とは違う男だ。

 その太った門衛や、広場に面した商店の店番の者に何がどうなっているのか聞いているうちに状況がわかってきた。

 起きたことをおおむねイリアが把握した段階で、門前広場にギュスターブが戻ってきた。


 イリアが『魂起たまおこしの』を受けている間、馬車の様子を確かめに門前広場にギュスターブが来たらしい。その時点では馬車だけが置かれていてトーロフは繋がれておらず、門衛はすでに太った男になっていた。

 事情を聴いても新しい門衛の話は要領を得ず、教会に取って返してイリアに伝言を残し、捜索を開始。狭い街中を走り回って、昼の門衛の男の情報を街役場に訊ねたり、周辺で目撃者を募ったり、いろいろやって2刻間。馬が戻っていると聞きつけて走って来たのだという。


 真相はと言えば、午前の当番があけて非番になった門衛の男が、水をやった後に街の外にトーロフを連れ出して草を食べさせていたということだった。



「悪かったっすね、ホントに。馬なんて近くで見るのが初めてだったもんだから、なんか、かわいくなっちゃって」


 グラリーサ東門外。貧弱な体格の若者は普段着だ。昼に入街審査をされたときは厚革衣に鎖鎧という装備だった。先ほど、騒動を聞いて弁明しにやってきていた。

 時刻は日の10刻も終わり近い。この男のせいで2刻間も無駄にしてしまっている。再び無事にトーロフが繋がれた小型馬車。ギュスターブは座席の右側に座って憮然とした表情をしている。


「えっと、もういいです。トーロフもおなかが満たされて元気そうですし」

「行くぞ。日が暮れてしまう」


 手綱をはたかれてトーロフは歩き出した。往路は2刻半かかっているが帰りは下り坂だ。今ごろは一番日の長い季節だし、たぶん問題は無い。

 イリアが振り向くと門衛の若者が屈託のない顔で手を振ってきた。場合によっては馬泥棒として罰せられたかもしれないのに気楽なものである。


 帰り道、旅人の何人かに追い越された。大荷物を背負った者でも馬車の倍は速度を出している。比較的少なめの荷を背負った4人組は商人ではなく、レベル上げのために森での狩りに挑む隊だろう。

 全員立派な武器を携えていた。うち一人は女性。追い越すときイリアを見て微笑んだような気がする。

 なだらかな下り坂に入って、地質の関係なのか路面も滑らかである。車輪にボロの魔物革が巻かれている馬車はもともと音を立てにくいが、走行音が一段と静かになった。


「アビリティーは無事に得られたのか」


 ギュスターブが聞いてきた。

 イリアはアロイスにされた説明を全てそのまま話した。亜種、あるいは新種の『成長系』アビリティーに目覚めたということ。西日が親子の後ろから差していて、顔は陰になっている。


「ともかく、どのアビリティーなのかを知らなければいけない。それが第一歩だろう。普通は『魂起こし』と同時に踏み出せる一歩なんだが、難儀なことだ」




 スドニ丘陵を下り終えて、平坦な道が戻ってきた。あと1刻走ればノバリヤに帰り着くだろう。西の空に向かっていく太陽の光はまだ赤みを帯びていない。問題は無い。仮に日が沈んでも荷台の袋の中には馬車用の吊るし灯壺が積んである。


 急にギュスターブが手綱を引いた。トーロフがどたどたと脚をバタつかせ、尻尾の生えた尻がイリアの膝に接近する。急激に速度を落とした馬車から転げ落ちないようにイリアは右手を回して背もたれを掴んだ。


「降りるぞ。私の後ろに隠れていろ」


 ギュスターブは飛び降りて剣を抜いた。東南東の方角から何か接近してくる。数匹の群れだ。


「早く降りろ。馬が暴れると危ない」


 慌てて座席から降りるイリア。群れはこちらめがけて一目散に掛けてくる。それほど大きな生き物ではない。

 ギュスターブの背中に隠れて、イリアも一応腰の武器を抜く。刃のついていない短剣は先端も丸くなっていた。重量のある棒きれの方が武器として役に立ちそうだが、あいにく転がっていない。


「魔物?」

子攫こさらいイヌだな。何のことはない底辺の魔物だが」


 一瞬イリアを振り向いたギュスターブのレベルは54。戦士団頭領として強大な魔物と最前線で戦い、なおかつ団員の皆に押し上げてもらって到達できる高レベルだ。ノバリヤの街で5位以内に入るだろう。子攫いイヌなど問題にならない強さを持っている。

 だが、今はイリアという足手まといがいる。アビリティーを得たと言ってもレベルは1だ。ステータスによる恩恵はほぼ無いに等しい。筋力が20分の1ほど上昇したからと言って戦闘では何の役にも立ちはしない。頑丈さや認知・思考速度も同様だ。


 ギュスターブは膝をついて右手を地面に押し当てた。魔法を使うのだろう。父のマナは火と地の精霊に同調適性があるとイリアは聞いている。実際に使うのを見るのはこれが初めてだ。

 先頭を走っていた子攫いイヌが10メルテの位置に到達した瞬間、大地がミシリと音を立て、一瞬にして高さ2メルテの土の柱が飛び出した。上空に打ち上げられる魔物。素早く接近したギュスターブは瞬く間に後続の二頭を片刃剣の峰で叩き伏せた。


 ギュスターブの【剣士】が持つ異能は≪斬気≫。余剰マナを剣に注ぎ込み剣を強靭化すれば、魔物であろうが敵の防具であろうが、斬れないものは無いらしい。人を恐れず街道に出てくるような好戦的な魔物など斬り殺して当然だが、峰打ちにしている。

 打ち上げられた最初の一頭は地面に落ちる直前にギュスターブに蹴られ、元来た方向にすっ飛んでいった。


 土の柱は形を失って崩れていく。その横からもう一頭子攫いイヌが飛び出した。普通の狼などなら力の差を見せつけられれば逃げるものだろうが、そこは低級でも魔物。凶暴さが違う。

 すぐに跳びかからず、牙を見せつけながら横に回り込む魔物に対し、一瞬で距離を詰めるギュスターブ。

 崩れかけの土柱、それを踏み台にしてもう一頭が宙に飛び出し、イリアと馬車の近くに着地した。

 ギュスターブが気づいて振り返る。子攫いイヌは飛び降りた勢いのまま跳びかかった。イリアではなく、トーロフめがけて。


「よせ!」


 父の制止を聞かずにイリアは魔物に突きかかった。身を躍らせて避ける子攫いイヌ。先端に房のある尾が揺らめいた。


 まだ多くの人がアビリティーを持たず、魔物の脅威におびえるしかなかった大昔。赤ん坊の泣き声を聞いて寄ってくると言い伝えられた子攫いイヌ。

 大きさはそこまでではない。体重ならイリアよりも軽いだろう。頭頂から背中にかけて色の濃い毛が伸びてタテガミのようになっている。灰色の体には黒っぽい斑点が無数にある。前脚が長く下半身より上半身の方が立派だ。

 低級の魔物だが噛む力が強いらしく、大人でも耳や鼻など食いちぎられることがある。そう本に書いてあった。


 剣術の基礎の基礎しか身についていないイリアだが、右手に持つ小さな短剣で切りつけても意味がないことはわかる。軽すぎるし、刃がついていないのだ。

 一瞬で間合いを詰められる。子攫いイヌはイリアの足元を攻撃してきた。半歩退くのが精いっぱい。脛あたりに食いつかれた。裾の膨らんだ部分だったために、その黄色い牙はイリアの骨身ほねみには届いていない。

 ズボンを引っ張られて転びそうになり、片足で何とか立て直して、イリアは先の丸い短剣で子攫いイヌの横腹を思いきり突いた。肋骨の隙間を捉え、芯に当たった十分な手ごたえ。

 「ギァ!」と鳴いて飛び退いた魔物はそのまま転がるように逃げて行った。体を曲げておかしな姿勢で走り去っていく。ギュスターブがいつの間にかすぐそばに居て逃げる子攫いイヌを追うそぶりを見せたが、一歩だけでやめるとイリアに向き直って左手で右肩を掴んできた。目を見開いたその表情はいちじるしく険しい。


 トーロフは恐慌をきたして暴れ、変な方向に動くので馬車がぎしぎしときしみを上げ続けている。

 イリアは右の方を見た。父が対峙していた4頭目の子攫いイヌは消えていた。

 


「なぜ、危険に身をさらした。馬の替えなら利くが、お前の命は一つなんだぞ。身の程を、知りなさい」

「……はい」

「あっちに私が気絶させたのが2頭いる。戦士は、自分が戦っていない魔物の魔石を食うものではない。お前がとどめを刺すなら、食ってもいい」


 黙って首を横に振った。父の顔に悲しげな色が浮かんだ気がする。だが、それどころではない。イリアは今、さっき。自分の身に起きた事を、どう理解すればいいのか困惑していた。



 幼いころ宴でうかれた戦士団の者に聞いた話。魔石を噛み砕いた時、戦士の体にはが走るという。

 「アレよりもずっと良い」と発言して白い目で見られていたが、ともかく。

 イリアは魂起こしの際の感覚を、その団員が話していたものと同じだと感じていた。成長素であれ、アビリティーの定着であれ、つまりは体にマナが入り込む感覚なのだろうと。

 ズボンの裾を噛みちぎった子攫いイヌ。わき腹を突かれ、変な姿勢でよたよた逃げ出した瞬間。魂起こしで感じた、あのが何故かイリアの体の芯に走ったのだ。

 顔の奥、脳の中心あたりに僅かに残る余韻。錯覚などでは無い、イリアにはそう思えてならなかった。

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