7「当たり前のことを当たり前にできたら」

「へえ、お前あの桜乃真希と幼馴染なのか!」

 

 またこの話題だ。達巳は辟易していた。初対面の人間と話すときは必ずこの話題を通らなければいけない決まりでもあるのだろうか。『桜乃真希と知り合いだった』というのが、俺のアイデンティティなのか。


 達巳だって何も好きでこの話をするわけでは無い。水上がいつまでもこの話題を擦るからいけないのだ。やはり、コイツに教えるべきでは無かったのだ。達巳は沢渡を睨んだ。沢渡はどこかバツが悪そうに目を逸らした。


「どんな子だったんだ?やっぱり昔から天才だったのか?桜乃真希」


 そう聞いてくるのは、同じ席になった筋肉質の青年。ボランティアサークルの古参で、川澄や半崎と同学生らしい。山路とかいう名だったか。達巳は渋々答えた。


「さあ?まあ、演技は上手かったですよ」


「やっぱりそうなのか」


 必要以上の大声で、山路は言う。


「桜乃真希、天才役者だ。今の若い世代にあれほどの逸材は他にいないな!俺はあの子が出始めの時から注目していた……」


 その話はとめどなく、とりとめもなかった。


 達巳達は今、ボランティアサークルの親睦会でとある大衆居酒屋に来ていた。十数人のグループをいくつかのテーブルに分けて座っている。このテーブルは達巳、沢渡、水上の三人と半崎、山路が座る男だらけの席となっていた。


 一つ隣の席では、川澄と竜胆、その他数人が楽しげに談笑している。こちらのテーブルとは大違いだ。こちらは先程から山路の独壇場となっていた。どうも仕切りたがりなこの男が、この場での話題を決めて、周りに振る。しかしどの話も最終的には山路自身の自分語りに帰結する。はっきり言って、面白く無かった。


「俺も高校時代は演劇をやっていてな、だから分かるんだ。役者っていうものは、まずは顔!それに尽きる。画面上で見れる外見で無いと厳しいからな。そういう意味では、桜乃真希は完璧だ。物語の主演の条件は、美人であることだからな」


 演技がどうこうと言っておいて、さっきからこいつ、外見の話しかしてねえじゃないか。達巳は苦い顔で枝豆に手を伸ばした。


 手元のビールを飲み干して、山路はさらに続ける。


「しかし最近の桜乃真希は、その顔の良さに胡座をかいている節があるな。今やってるドラマなんかどうだ?あれを評価しているのなんて、流行り好きのミーハー連中だけだろう」


「あれは、脚本の問題でしょう。桜乃さんを含む演者達の演技は良いと思いますけど」


 沢渡が反論を唱えた。


「そもそも話の構成的に一クールのドラマとして収めるのが難しい作品なんですよ。だから改変も多いけど、むしろよくまとめてる方だと思いますけどね」


「どうした、妙に早口で言い返すじゃないか。さては、信者か」


 山路が笑う。沢渡は顔を顰めた。そんな彼の様子を気に留めず、機嫌良く山路は続ける。


「ミーハーなんて言って悪かったよ。俺は別に作品を批判したいわけじゃ無いんだ。ただ、もっと構成を考えてほしいだけなんだ。玄人でも安心して見れるような出来になるようにさ」


 まるで自分が玄人代表みたいな口ぶりだな。達巳は心の中で舌打ちをした。


 沢渡が何か言い返そうと口を開くが、それを遮って山路がさらに続ける。


「そもそもあのドラマの原作って少女漫画だろ?男のお前が読むもんじゃ無いぞ。確か小説家を目指してるんだって?だったらもっと高尚なものを見ろ!」


 少女漫画は男の読むものじゃ無い。つい先日、自分も似たようなことを言っていたのを思い出した達巳は、一人赤面した。側から見ると俺もこんな感じだったのか、と反省する。


 さらにヒートアップする山路を嗜めるように、半崎が口を挟んだ。


「少女漫画を男が読んじゃいけないなんてことはないだろ。面白い作品に性別なんて関係ない。俺もあの話結構好きなんだよ。昔、友達がファンでさ、一緒に読んでたんだ。ドラマも見てるよ」


 爽やかな笑顔で語る。そのタイミングで山路のビールを持ってきた店員にお冷を注文した。


「山路、ちょっと飲み過ぎだよ。水でも飲めよ」


「いらん!だいたいお前らが飲まなすぎなんだ!」


 ウーロンハイ一杯を飲み終わらない達巳と、レモンサワーを半分しか口にしていない水上、そしてソフトドリンクの沢渡を順々に睨んで言った。


「せっかく仲良くなろうという会なのに、そんなことでどうする?」


「はいはい、お前は悪酔いしすぎだよ」


 半崎がそう言って、届いた水を山路へ渡す。山路はそれを押し返し、その手でメニューを掴むと、達巳へ差し出した。


「遠慮するな!飲め飲め!」


「遠慮じゃない、俺酒嫌いなんすよ」


 達巳が喧嘩腰に言った。沢渡も頷いて続ける。


「すみません、俺はめちゃくちゃ弱いんで」


「俺、女の子がいない席ではあんま酔いたくないんす!」


 最後に水上が正直すぎる言葉で締めた。山路は深くため息をつくと、あからさまに不機嫌な顔でビールを口にした。


「全く……お前らもう大学二年だろ?そんなことじゃ社会でやっていけないぞ」


「そんなこと無いだろ」


「お前もお前だ雄二!」


 ジョッキを割れんばかりの勢いで置くと、今度は半崎へと絡みだした。


「お前は普通に飲めるだろ?なんで飲まん?」


「言ったでしょ、今日俺この後夜に車校行かなきゃいけないんだって」


「え、雄二さん教習所通ってるんすか?」


 水上が興味を示した。山路に対するそれとは露骨に違う態度。まさに表裏の無い男だった。


「どこの教習所っすか?いや、俺も実はそろそろ行こうかなって思ってて……」


「なんだ、お前まだ免許取ってないのか?普通は十八になったら取るだろ」


 山路が口を挟む。それをスルーして水上は半崎へと質問を続ける。


「オートマっすか?マニュアルっすか?俺迷ってて……オートマで良いかなって思ったんですけどマニュアルもちょっと憧れるなって……」


「男は黙ってミッションだろ」


 半崎が答える前に、山路が返答した。それから苦笑いを浮かべる半崎を横目に見て、さらに続ける。


「雄二はオートマだよ。だいたい、こいつにミッションなんか無理なんだから。運転下手で、仮免試験に一回落ちてるんだぜ」


「良いだろ、そんなこと」


 半崎が困ったように笑いながら言うが、山路の弁は止まらない。


「仮免行く前も、何回か技能でやり直しくらってるし、ありえないよな?自動車免許なんて、誰でも当たり前に取れる資格だぜ?それもオートマ。どうやったらオートマでミスれるんだよ」


「当たり前のことを当たり前にできたら、人生苦労しないんすよ」


 達巳がボソッと言った。山路の視線が向けられる。


「『普通』のことを普通にできないから悩むんだ。野球齧ってるだけの人が、メジャーリーガーになれないからって悩まないでしょ」


「……何言ってんだ?」


 眉を顰めて山路が問う。達巳は何も答えなかった。生まれた奇妙な沈黙を埋めるように、沢渡が口を挟んだ。


「別に、オートマだって慣れないと難しいですよ。アクセルの加減が分からなくて怖いですし」


 そんな彼をジロリと睨み、山路は聞く。


「お前もオートマか?」


「はい」


 沢渡の答えを、山路は鼻で笑った。それから達巳にも同じ質問をする。


 達巳は渋々答えた。


「……マニュアルっす」


 男はやっぱマニュアルだろ!……という気持ちで免許を取った過去の自分を、達巳は恥ずかしく思った。山路は仲間を見つけたというような満面の笑みを浮かべて、達巳へ語りかける。


「ミッションはオートマなんかとはレベルが違うぞ!お前なら分かるよな?初めての半クラの難しさ、坂道発進の厳しさ、路上教習でエンスト起こす怖さ!」


「別に……」


 正直達巳は一つも共感できなかった。割と最初から半クラッチの感覚は掴めていたし、坂道発進は一発成功、路上でエンストもしなかった。


「どれもできて『当たり前』でしょ」


 山路は顔を歪めた。そして何か言い返そうと口を開いた瞬間、隣のテーブルから川澄が話に割り込んだ。


「やっちんくんって運転上手いんだね〜」


 無邪気な笑顔で言う。それから半崎に視線を向けると、揶揄うような口調で続けた。


「雄二って、基本なんでもできるじゃん?勉強もスポーツも、そのうえスタイル良くて女の子にモテる。これで運転まで上手かったら可愛げがないよ」


 半崎は困り顔ながら、少し照れた様子で笑う。


「何言ってんだよ。そんなことないよ」


 そう言って謙遜する彼に対し、川澄の弄りは止まらない。


「天は二物を与えずなんて言うけど、雄二には二物も三物も与えちゃってんだね。運転技能を生贄に。代償軽いな〜」


「いや、勝手に生贄扱いするなよな。待ってろ、すぐに運転もできるようになるから」


 そんな二人のやり取りを山路が不満げに聞いている。なんだか三人の関係性が垣間見えた気がして、達巳は少し面白くなった。


 やがて教習所の時間が近づいたらしく、半崎は一足早く店を出ることとなった。別れ際、達巳に声をかけてきた。


「さっきは、ありがとう。俺のフォローしようとしてくれたんだよな」


「別に、そんな大したことは何も」


 達巳は誤魔化すようにウーロンハイを一口飲んだ。半崎は腕時計を確認しつつ、さらに小声で言う。


「実はさ、俺も幼馴染が役者だったんだ。だから、君と桜乃真希さんとの関係に、勝手に親近感持っちゃった」


「え?」


「知り合いに有名人いるとさ、事あるごとにその話題になってダルいよな!……なんて」


 半崎は爽やかに笑った。達巳もそれに対してニヤリとした笑みを返す。それから半崎は沢渡と水上にも声をかけた。


「君たちとはもっと色々話したいな。次の活動でまた会おう!」


「はい!お疲れ様です!」


 水上が元気に返す。沢渡も軽く会釈をした。山路が忌々しげに言う。


「早く行けよ。遅れるだろ?」


「そうだな。じゃあ、お疲れ!」


 達巳達の分も含めた多めの支払いを置いて、半崎は店を去って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る