8「……まだ一人になりたくないんだ」

半崎が去った後の親睦会は、かなりの大荒れであった。


その主な原因は山路にあった。悪酔いした彼は主に女性陣に対してあまり品の良くない絡み方をしてしまった。


その被害をもろに受けたのが竜胆である。彼氏がいるかどうかの話から始まり、いないと答えた彼女に対して恋人の大事さを説き始める。そこから自身の恋愛遍歴の話を経てから、最終的にはセクハラじみた内容へと発展した。川澄や達巳が止めようとはしたが上手くいかず、気分を害した竜胆はいち早く帰ってしまった。


挙げ句の果てについに山路が全く関係ない他の席の客にまで絡み始めたことで喧嘩が勃発し、大騒ぎとなったため、その場は強制的にお開きとなった。


店に居座ろうとする山路を沢渡と水上が宥めつつ連れ出して、残った川澄と達巳は店内で色々謝ったり、後片付けに追われたりと事後処理に奔走することとなったのだった。


「やれやれ……いやあ大変だったね」


川澄がほっと一息ついて言う。達巳はうんざりした表情で頷いた。


「散々ですよ。何が親睦だ……」


「ごめんねー……山路くんも、いつもはあんな感じじゃ無いんだけどね。今日は機嫌が悪かったのかなー」


 苦笑いを浮かべて謝罪する川澄。達巳は吐き捨てるように返す。


「あんな人のこと、フォローする必要無いっすよ」


「まあ、流石に今日のは酷かったね。でも、多分、本人も反省してる……と、良いなあ……」


 流石の川澄も擁護しきれない様子であった。二人はたくさんの人々が行き交う繁華街を歩いて駅へ向かう。達巳はポケットに振動を感じて、スマホを取り出した。見ると、沢渡と水上からのチャットが来ていた。


「山路さんはとりあえず電車に押し込んだ。あとは知らん、ですって」


「そうか、そうか〜。二人に私からもお礼言っといて!」


 川澄に言われ、達巳は返信する。


「竜胆は、大丈夫ですかね?何か連絡とかきてます?」


「どうだろ、まああの子は強いし、大丈夫だとは思うけど……一応、明日聞いて見るよ」


 川澄の返しに、達巳は違和感を覚えた。別に明日に回さずとも、今連絡してみれば済む話なのに。


 それを口に出そうとして、不意に達巳は思い止まる。そういえば、今の時間、川澄のスマホの画面は一体どうなっているのだろうか。


 達巳の脳裏には、先日見てしまったあの罵詈雑言で埋め尽くされた悍ましい画面が浮かび上がった。


 今日も来ているのだろうか。あの誹謗中傷のダイレクトメッセージは。


「……ねえ、やっちんくん」


 一人思考の世界に入っていた達巳は、川澄の言葉で我に返った。


「なんすか?」


「もし良かったら、だけど……二人で寄り道しない?」


 達巳の方は見ずに、手遊びをする自身の指元へ視線を落としつつ、川澄は言う。


「ちょっと……まだ一人になりたくないんだ」


 達巳は何も言わず頷いた。


 二人は駅を通り越して、行く当てもなく、夜の街を歩く。繁華街を離れるにつれて辺りの明かりも減って薄暗くなっていく。


「ごめんね〜、付き合わせて。迷惑だったら全然言ってくれて良いからね!」


「別に、迷惑とかないです」


 俺も、あなたと話したかったんで、と言うのは辞めておこうと達巳は思った。何か違う意味で捉えられかねない。


「今日は参加してくれてありがとね。やっちんくん達のおかげでいつも以上に良い活動になったよ」


 いつも通りの爽やかな笑い声と共に、彼女は言う。


「やっぱり私の言った通り、君は優秀な『ボランティアン』だったねー」


「その言葉気に入ってんすか」


 達巳は呆れ顔で言う。同じネタを何度も擦られると、返しのバリエーションも減っていって反応に困ってしまう。そろそろ辞めてほしいところであった。


川澄はニヤリといたずらっ子のような笑みを浮かべて、達巳に問いかける。


「どう?今日やってみて、ボランティア好きになった?」


「別に。やっぱ俺には向いてないんすよ」


それは達巳の本心であった。実際に活動に参加してみれば、少しは社会奉仕の精神とか、やりがいとか、そういったものが芽生えるかとも思ったが、特になんてことない、活動以前と以後で考え方は何も変わらなかった。


「またまた、そんなこと言っちゃって」


 茶化すように川澄は言う。


「むしろ天職だと思うけどな〜」


 達巳は顔を顰めた。


「川澄さんは俺の何を知ってるんですか」


「うーん。でも色々沢渡くんからは聞いてるよ」


 軽やかな歩調で一歩、二歩、三歩と達巳の先を行くと、腕を後ろに組んでくるっと振り返り、笑う。


「一番びっくりしたのは高校の時の話かな。クラス中を敵に回して、虐められてた子の味方になったって」


「……沢渡は話を盛る癖があるんで」


 頭を抱え、深くため息をついて、達巳は訂正する。


「クラス中じゃないです。大半はただの傍観者だったんで」


「へー?そうかいそうかい」


 川澄はニヤッと笑った。それから一瞬切なげな顔をして、自嘲気味な笑みを浮かべる。


「私には無理だなー……」


「そんなこと無いでしょ。川澄さんなら、誰にでも救いの手を差し伸べるイメージですけどね」


達巳の言葉に、川澄は何も言わなかった。ただただ笑っていた。その笑顔はあまりに悲しく、達巳は自分が何かまずいことを言ったのでは無いかと考えた。


「あ、なんか、すみません……?」


「え、なんで謝るの?」


 川澄がいつもの明るい調子に戻って言う。そこから少しの間二人は無言になった。


 気づくと、駅からはだいぶ離れたところまで来ていた。達巳が立ち止まり、「そろそろ戻りますか」と言うと、川澄は「うん……」と答えた。


 達巳はその場に止まったまま、川澄をじっと見つめた。それからそっと尋ねる。


「一人だと怖いですか?今の時間……」


「えっ?いや、怖いっていうかなんていうか……」


 困ったように笑う。達巳はさらに追及する。


「毎日ですか?」


「やっちんくん……」


 川澄はまたいつもの爽やかな笑みを作った。それは何かを覆い隠すような笑顔だった。


「やっぱ、スマホ見たんだね?」


 達巳は何も答えない。その沈黙は肯定の意味を伴っていた。


「紳士じゃないなあ……まあ、仕方ないか〜」


 小さくため息をつく。一瞬外れた笑顔の仮面の下は曇っていた。それからまた乾いた笑みを被り直した彼女は達巳に囁いた。


「そのことさ、誰にも言わないでね?……その代わり、私は君の言うことなんでも聞いてあげるからさ。だから……お願い」


 そう言って、冗談めいた口調で笑う川澄の隠された表情を伺うように、注意深く、達巳は聞いた。


「あれ、いつからなんです?」


「さあね〜教えな〜い」


 ふざけた調子で、指を口に当て、「シーッ」というジェスチャーをする。


「やっぱり君は人助けの素質があるんだね。でも、私のことは大丈夫だから。気にしないで」


そこからは、ほとんど会話は起こらなかった。駅に着いた二人は利用する電車が異なっていたため改札で別れる。


「じゃ、また次の活動も来てね!」


「はい。気が向いたら」


 そう答えて、達巳は右手を差し出した。川澄は一瞬戸惑うような仕草を見せた後に、手を伸ばして握手を返した。


 それから駆け足で改札を通り去っていく川澄の背中を見届けた後、達巳は握手をした右手に視線を向けた。


——どうした?


 脳内に白眉が問う。達巳は独り言のように呟いた。


「……震えていた」


それから低い小声で続ける。


「白眉、もし探そうとしたら……見つけられると思うか?誹謗中傷の犯人を」


——さあね。実際やってみないことにはなんとも言えないがね


「絶対見つける。手伝ってくれ」


 その声には、確固とした決意が滲んでいた。


——良いだろう


 白眉は知っている。例え、普段どんなに言い訳が多くとも。自分を卑下し他者を羨み、口だけ達者で行動に起こせない、捻くれ者であったとしても。苦しみ悩む者を前にした時、彼は止まらない。迷わない。白眉だけが知っている。生まれた時から見ているからこそ知っている。


 それが、谷地達巳という人間なのだと、白眉は知っているのだ。

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