8「『小説よりも奇な事実』ってやつを」

 学芸会が終わってからというもの、桜乃真希の生活は一変した。


 その理由としてまず挙げられるのは、単純に関わる人間が増えたということだ。端的に言えば友達が増えた。それまで引っ込み思案で周囲と積極的に関わることができなかった真希にとって、それは新鮮であり嬉しいことであった。


 それもこれも全て、演劇『白雪姫』での活躍によるものである。クラスメイトのみならず、別のクラスや他学年の一部にまで、彼女の秘めていた魅力が伝わった。元々謎めいていた彼女の、優しく穏やかで、そして意外とボケたがりな性格も他者との関わりが増えることで明らかになっていった。結果として、彼女は一躍人気者になったのである。


 朝、学校に着いてクラスの友達と話していると、一人の少女が真希の元へやってきた。


「真希ちゃんおはよう!ねえ『恋ハミ』の最新話見た?ちょー良くなかった?」


「おはよう佳奈ちゃん。見たよ!すっごい良かった!」


「ね!ハヤトくんまじイケメンすぎ!あたしも「おもしれーおんな」って言われたい!」


 テンション高く語る彼女はクラスの女子の中での中心的な人物であり、先の演劇では主人公、白雪姫を演じていた。


「真希ちゃんのオススメって外れないわ〜。ね、もっと色々教えてよ!」


「良いよ!じゃあ今日もうち、来る?」


 放課後の約束をして上機嫌で自席に戻る途中で、佳奈は思い出したように振り返り、早足で真希の席へ戻ってきた。そして耳元に口を近づけて、小声で言う。


「そうだ。さっきさ、沢渡くんが真希ちゃんのこと呼んでたよ!」


「え?なんだろう」


「伝えたいことがあるんだって!」


 何かロマンチックな深読みをするように、意味ありげな含み笑いを浮かべながら、佳奈は軽やかな足取りで戻って行った。


 昼休みになり、真希は沢渡の席を見た。いつの間にかそこに本人はおらず、代わりに仲の良い男子達が勝手に席を使っている。その集団の中には達巳もいた。きょろきょろと辺りを見渡しながら、真希は佳奈に尋ねる。


「沢渡くん、どこ行ったか知らない?」


「図書室だよ。沢渡くんって、休み時間はいつもそこだもん。早く行ってあげなよ!」


 相変わらず意味深な笑い顔を浮かべながら彼女は言った。


 教室を出て、階段を上がり少し歩いた突き当たりに、図書室がある。そっと、音を立てないようにドアをスライドさせて中に入ると、真っ先に目に入る大きな木机に向かい座る沢渡がいた。


 真希が近づくが、沢渡は気づかない様子だった。何やら食い入るように集中して、原稿用紙に何かを書いている。よく見るとその用紙は十何枚にも及び、かなりの厚さを帯びていた。


「うわあ、凄いたくさん……」


 真希は思わず声に出した。その言葉に反応して沢渡が答える。


「別に、大した事ないよ。まだまだ序盤だし」


 用紙から目を離さず、書いては消して、また書く、という動作を止めることなく、沢渡は続けた。


「完結する頃にはこの三倍くらいの量になってるよ」


「完結……?」


「この物語の完結」


 そう言って手を止めると、沢渡はその視線を真希へ向けた。


「三宅さんからの伝言を聞いて来てくれたんだね?」


「え、あ、うん」


 真希は、三宅佳奈から言われて沢渡に会いに来たのである。


 沢渡は原稿用紙を持ち上げトントン、と机に立てて揃えつつ、目線を紙面に踊らせてきょろきょろ動かしながらも真希へ話し続けた。


「三宅さんにちゃんとした伝言能力があるかどうか不安だったけど……どうやら伝わったようで良かった。いや、ほんとはオレが直接桜乃さんに声かけるべきだったけどさ、誰かと話してること多くて、なんていうか、声かけづらくってさ。君の友達も、オレあんま話したことない子ばっかだし、ごめんね。わざわざ来てもらっちゃって」


「う、うん。大丈夫だけど……」


 言いながらも、真希は用紙に書かれてる内容が気になっていた。ちらちらと原稿に視線を向ける彼女をジッと見て、沢渡は持っていたそれを差し出した。


「読む?」


「え、良いの⁈」


 真希は思わず声を上げた。それに対し沢渡がシッと口元に指を当てる。真希は慌てて口元を押さえた後、小声で再度聞く。


「……良いの?途中なんじゃ……」


「良いよ。桜乃さんの意見が聞いてみたい」


 促されて、真希は若干遠慮気味に文章に目を通す。しかしその内容に瞬く間に惹きつけられて、勢いよく読み進めてあっという間に最後の一枚を読み終えた。そして、沢渡を見て聞く。


「続きは⁈」


「オレの頭ん中」


 自身の頭部を指差して、沢渡はニヤッと笑った。


「良かった。楽しんでくれたみたいで」


「面白いよ!」


 真希は興奮しながら早口で語り出す。


「音を消す魔法の雪、そんな無音の雪降る夜に聞こえる歌声。それは、かつて絶滅したはずの魔女の生き残りで……主人公は怖がりながらも、彼女の魅力に惹かれていって……それから、どうなるの?」


「それはこれからのお楽しみだけどね」


 真希の反応を面白そうに観察しつつ、沢渡は笑う。


「口頭で言っちゃあ、つまらないよ」


「そうだよね……。あと、主人公に名前はつけないの?」


「まだ決まってなくてさ。何か良いのは無いかな」


「え、そうだなぁ……」


 腕を組んで真剣に考える真希の様子を見ながら、沢渡は小声で呟いた。


「例えば、『タツミ』とか」


「え、谷地くん⁈」


 真希が驚きの声を上げ、そしてまた周りを見て口を押さえた。沢渡は苦笑しつつ首を横に振る。


「ま、そりゃ冗談」


「だ、だよね……」


 ホッと胸を撫で下ろす彼女を見ながら、おもむろに沢渡が問う。


「桜乃さん、やっちんと仲良いよね」


「え⁈それは……まあ、うん」


「なんで?」


 その問いかけに対して、真希は目を白黒させた。


「なんでって……それは、クラスメイトだもん」


 言いながらも、自身の言葉の説得力の無さに嫌気がさした。少し前までクラス内に友人はおろか話す相手すらほとんどいなかった彼女においては、クラスメイト=仲良しという方程式は当てはまらない。そのようなこと、自分自身が分かりきっていることだ。かなり無理のある言い訳だと、彼女は自覚していた。


 しかし、自身と達巳との関係をどう説明すれば良いのか、その最適解がすぐには浮かばなかった。仲良いことは間違いのないことだと思っているが、そもそもその友情の発端には、二人の秘密の共有がある。つまり、達巳の絶対にバラしてはいけない秘密、『蛇憑き』に関する事柄が関わってくる。下手に説明しようとすれば、もしかしたら、ついうっかりそのことを口滑らしてしまうかもしれない。それを考えると、彼との関係についてはおいそれと語ることができないのであった。


 冷や汗を流して目を逸らす真希を探るように見ながら、沢渡は話を続ける。


「オレ、やっちんとは小一からの付き合いなんだけどさ。あいつ、多分なんか隠し事があると思うんだよね。知らない?」


「し、知らない知らない!」


 真希はブンブンと何度も首を横に振る。その様子を見続ける沢渡に対し、真希は聞き返した。


「というか……なんで谷地くんの秘密を知りたいの?なんのために……」


「なんで?……そうだなあ」


 真希から視線を外して、少し考え込む。それから机の上の原稿用紙に目を落としてから、また真希を見た。


「なんていうか、ほら、『事実は小説より奇なり』って言葉あるじゃん?」


「う、うん」


「オレは小説家志望なんだけどさ。だから、見たいんだよね、その『小説よりも奇な事実』ってやつを」


 そう言って不思議な笑みを浮かべた。そんな彼の言葉に真希は息を呑んで、恐る恐る尋ねる。


「そ、それを聞くために……わたしを呼んだの?」


「え?ああ、いや違う違う」


 沢渡の口調が変わった。それまでの問い詰めるような口調が解けて、気さくな安心感のある話し方に戻って言う。


「実は、オレの兄貴が役者を目指してるんだけどさ。それで、同じような志を持ってる同年代を集めてちょっとした劇団をやってるんだ。町の青年会の一つって感じでさ。こんな小さな町だけど、まあまあの規模はあるんだ。オレ、それに脚本の方でたまに関わったりしてるんだけどさ——」


 左手に持った鉛筆をくるりと回し、続ける。


「——良かったら桜乃さんも参加してみない?」


「えっ」


「そりゃ、小学生で参加してる奴なんて他にいないけどさ。でも学芸会での桜乃さんの演技は凄かった。それはもっと続けるべきだとオレは思う」


 沢渡の言葉に、真希は即答できなかった。困惑したような、迷うような表情で俯く。しばらく無言の時間が流れた。


「まあ、すぐに決めることは無いけど——」


「やる」


 真希が言った。沢渡はニコッと爽やかに笑った。


「良かった。桜乃さんが来てくれたら、うちの劇団も凄く良くなると思う」


「そんな、そんな……」


 謙遜しながらも、その瞳は確固たる決意を秘めていた。学芸会の演劇で踏み出した夢への一歩が、さらに次のもう一歩へと繋がったことを、真希は実感していた。


 やがて予鈴が鳴り、昼休みの終わりを告げた。沢渡は近くに積んでいた本をまとめながら、真希へ言う。


「オレはちょっと片付けなきゃいけないから、桜乃さん先戻ってて」


「手伝うよ!」


「良いって。大丈夫」


 断られては仕方がないので、真希は先に図書室を出ることにした。ドアに手をかけたところで、背後から沢渡が思い出したように声をかけた。


「そうそう、オレやっちんの弱点知ってるんだけどさ——」


「え、なになに?教えて!」


 興味津々で尋ねる真希を面白そうに見ながら、沢渡は答えた。


「ホッチキス。なぜかあいつホッチキスが苦手なんだよね」


 直後の授業は水泳であった。プールに向かう道中に佳奈から色々と話を聞かれる。


「ね、沢渡くんの要件ってなんだったの?」


「えっと……沢渡くんのお兄ちゃんがやってる劇団に入らないかって話で……」


 かいつまんで説明した。佳奈の期待とは異なる内容だったからか、若干落胆した様子ではあったものの、すぐにまた調子を取り戻して、彼女は言う。


「良いじゃん。そういうのに誘ってくるのって、真希ちゃんに期待してるんじゃない?」


「そうだと良いけど……」


「沢渡くんってさ、真希ちゃんのこと好きなんじゃない?」


 佳奈はついに、ずっと心の中で考えていたであろうことを口に出した。その言葉に驚きつつも、困ったような笑いを浮かべて真希は首を横に振った。


「ないない!そもそも理由がないもん」


「理由はあるよ!真希ちゃん可愛いし」


 佳奈はウインクをして、小声で尋ねる。


「真希ちゃん的にはどうなの?沢渡くんはアリ?」


「え、ええ?いや……」


 言葉を詰まらせる真希に構うことなく、佳奈のテンションは勝手に上がっていった。


「正直、かなりの優良物件じゃない?足速いし勉強できるしクールだし——」


 佳奈は一瞬チラリと後ろを見る。男子達が騒いでいた。


「ゴリラ!ゴリラゴリラ!ゴリラゴリラゴリラ!ゴリラスイミング!」


「——ほかの男どもと違って大人っぽいし」


 実際、沢渡は同年代の男子達と比べて落ち着いた理知的な性格をしているためか、派手な見た目では無いものの女子の間で一定数の隠れファンが存在するモテ男であった。


「もしもさ、もしもだよ?もしも、告られたら、真希ちゃんどうする?」


「ど、どうするって……」


 そうこうしているうちに授業が始まり、会話は中断した。真希は密かにホッと胸を撫で下ろす。


 水泳の授業は、前半に新しい泳ぎの指導や以前習った内容の復習、ちょっとしたテストのようなことをした後、後半の十分弱は自由時間となっている。各々が好きなように泳ぎ、また友人達とはしゃいで遊ぶ中、真希は一人プールサイドに上がって腰を下ろし、足だけを水につけた状態で休憩する。そもそも水が苦手で泳ぎも不得手な彼女にとって、この授業はあまり楽しいものでは無かった。


「なに、もしかして水にビビってんの?ったくこれだから都会っ子は……」


 などという憎まれ口が聞こえて、真希は横を見た。そこには同じくプールサイドに上がった達巳が腰に手を当てた偉そうなポーズで立ち、座る真希を見下ろしている。

 

 真希はジトっとした目で彼を見上げた。それから反撃するような口調で言う。


「谷地くんだって、プールから出てるじゃん」


「オレは別に泳げないとかじゃねーし。ただ、ま、水辺にできるだけ近づきたく無いって意味では『苦手』ではあるかもな……」


 言いながら彼は、鬱陶しげに水面を指す。見ると、そこには達巳の姿がぼんやりと映っているが、よくよく見ると、その体は白い綱のようなものに巻かれていた。


「なるべく目立たないように動くな、隠れてろ、とは言ってあるけどさ。よーく見たら、やっぱ違和感あるからな」


 そう小声でぼやく。蛇憑きであるからこその苦悩が達巳にはあるのだ。


「そっか、大変だよね。でもよく今までバレなかったね」


 真希はチラッと、遠くで泳ぐ沢渡へ目を向けて言った。


「ま、水に映った人の像なんか凝視する奴いねーし」


 気楽な調子で答えてから、達巳は意地の悪い笑みを浮かべて真希の隣に座った。


「つーか、お前最近すっかり人気者だよな。すっかりアイドル気取りでさ」


「ええ⁈いや、そんなこと……」


「ちょっと前まで、声も小さくて自信なさげで、人の目も見れずにまともに会話もできなかったのに……立派になったもんだ。オレも鼻が高いよ」


「いや、何様……。誰目線なの、谷地くん」


 真希は呆れ顔で言った。達巳がとぼけ顔で答える。


「生産者目線だな。「桜乃はオレが育てました」って」


「うわあ……」


「おい、ドン引きすんなや。なんか突っ込めよ。ただただオレが滑ったみたいじゃん」

 

 そう言った直後、達巳は唐突に顔を顰めた。それから自分の中にだけ聞こえる『声』と小声で言い争う。


「なんだと⁈このクソ蛇……!」


「白眉ちゃん、なんて言ったの?」


 真希に聞かれ、達巳は渋々答える。


「……「『滑ったみたい』では無い、お前は勝手に『滑っている』のだよ。小僧。自分のセンスの無さを桜乃のせいにするんじゃ無い」だと。誰がセンス無ぇって⁈」


 自分で言って自分で怒る達巳を見てクスクスと笑いながらも、真希は深々頷いた。


「わたしも、白眉ちゃんと同意見だな」


「なにぃ?この根暗女……!」


「根暗じゃないもーん」


 言いながら、真希はずっと笑っていた。達巳もまた抑えきれないと言った様子で口元を緩めた。


 やがて、担当教師による集合の号令がかかった。達巳はその場に立ち上がり、去り際に真希へ言う。


「あまり調子乗りすぎんなよ!性格だけが取り柄なんだからよ、それすら損なわないようにな!」


「なっ……なにそれ!余計なお世話!」


 離れる達巳の背中に向けてベーッと舌を出しながら、真希は一人思う。


 今度機会があったら、谷地くんにホッチキスを突きつけてやろう、と。

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