帝都にて 3話

 朱亞シュアの様子に気付き、梓豪ズーハオが「朱亞さん?」と彼女の名を呼ぶ。その声にはっとしたように顔を上げ、それから彼に視線を向けて彼女は自分の後頭部に手を置く。


「いえ、なんだか美しい人って大変なんだなぁ、と」


 旅をしてきて、いろいろな人たちを見てきたが、桜綾ヨウリンが一番美しかった。きっと朱亞以外の人もそう思うだろう。


 桜綾は自分が美しいことを自負している。それが武器といってもよいくらいに、自身の美しさに対して貪欲でもあった。


「桜綾さんの侍女になりましたけれど、こんなに平凡な容姿の私がそばにいて、困ることはないでしょうか」


 美しい人の傍には美しい人のほうが相応しいのではないのかと、ぽつりと言葉がこぼれる。ほんの少し、声は震えている。


「平凡……でしょうか?」

「桜綾さんにはもっときれいな侍女のほうが……」


 その言葉に、梓豪はふふっと笑いだした。きょとりと目を丸くする朱亞に、「失礼」と頭を振った。


「朱亞さんも充分、非凡な方だと存じております」

「私が、非凡?」

「ええ。――帝都に来るまでの間、様々な人を助けたでしょう」


 朱亞は助けた人たちの顔を思い出す。確かに助けたが、それと『非凡』であることがどう繋がるのかがわからず、首をかしげる。


「朱亞さん本人にはお伝えしていませんでしたが、『仙女』のようだと噂になっているのですよ」

「仙女!? ですか? 私がっ?」


 思わず声が裏返った。


 梓豪がゆっくりと首を縦に動かす。ぽかんと口を開けた朱亞を見て、蒲公英たんぽぽ色の瞳を優しく細める。


「ええ。確かに桜綾さんは美しい方です。ですが、朱亞さんだって負けず劣らず美しい心を持つ方だと、私は思っています」

「そんな、私は自分ができることをしただけです。仙女なんて滅相もない!」


 ぶんぶんと勢いよく首を横に振る朱亞に、梓豪はただ微笑みを返すだけだった。


「私の知識は祖父から教えてもらったことなので、私が仙女というわけではなくて、祖父が仙人ということに……ってあれ?」


 頭が混乱しているようで、自分がなにを言っているかもわかっていないようだった。その様子に、梓豪の心が和む。


 飛龍フェイロンに拾われて十三年ほど経つが、誰かを愛らしく思う気持ちが自分にあるということを自覚し、少しは心に余裕ができたのだと考える。


 彼に拾われてからは、武器の扱いを学んだ。


 瞳の色のことで忌み嫌われていることもあったが、飛龍と肩を並べるほどに強くなってからは、忌み嫌われるのではなく……強さに憧れを抱く者たちにとっての指標になったようで、声をかけられることが多くなった。


 打算や邪推、様々な思惑が渦巻く王宮で暮らしてきた梓豪にとって、朱亞の純真無垢さはとてもまぶしく見える。


 彼女にはこのままでいてほしいと思う反面、このままでは後宮でいいように扱われることも容易に想像できた。お人好し過ぎるのだと考え、梓豪は自分自身の考えを閉ざすように目を閉じた。


「梓豪さん?」

「いえ……朱亞さんに、後宮の仕事は大変かもしれませんね」


 桜綾がどこまで朱亞を守れるのか。梓豪はそんなことを考えて、目を開ける。心配そうに眉を下げる朱亞の姿を確認すると、窓の外に視線を移す。ちょうど、中央広場が見える。


「あそこが中央広場です。そろそろ馬車を降りますので、準備をお願いします」

「あ、は、はい!」


 朱亞は自身の荷物をぎゅっと掴んだ。中央広場で馬車が止まり、梓豪が先に馬車から降りた。


 すっと朱亞へ手を差し伸べると、彼女は一瞬迷ったように手を動かし、素直に彼の手を取る。


 馬車から降りて、辺りを見渡す。


 見渡す限りの人、人、人……あまりの人の多さに少しくらりと眩暈めまいがした。


「薬草店はこちらです」


 梓豪は朱亞の手を握り、歩きだす。彼女と歩幅を合わせて。朱亞は人の多さに戸惑いながらも、梓豪の手をしっかりと握りしめた。そうじゃないと、はぐれてしまいそうだと思ったから。


「梓豪さん、帝都って毎日こんなに人が溢れているのですか?」

「そうですね。騒がしい……いえ、賑やかでしょう」


 いろいろな声が飛び交っている。安売りをしている商店の客寄せや、男性たちの揶揄するような声、女性たちの今日のこの献立の話……そのすべてが耳に届き、朱亞の脳が混乱し始めた。


 梓豪は朱亞の手を引きながら、人通りが少ない場所へと足を運ぶ。


 あまりの情報量の多さに、朱亞の頭はくらくらしていた。


「……大丈夫ですか?」

「な、なんとか……。すごいですね、こんなに人が多いと、いろんな声が聞こえるんですね……」


 頭をくわんくわんと回しながら朱亞がぽつぽつと言葉を紡ぐ。田舎で育った朱亞にとっては初めの経験。


「……後宮はここより静かでしょうか」

「まだ人があまりいませんから、静かだと思いますよ」

「良かった、それなら暮らせそうです」


 ほっと安堵したように胸を撫でおろす姿を見て、梓豪は眉を下げる。中央広場ではなく、もっと人の少ない場所で降ろすべきだったかと心の中でつぶやき、「すみません」と謝った。


「?」


 不思議そうに梓豪を見上げる朱亞に、彼は言葉を続ける。


「わたしの配慮が足りなくて……」

「いいえ、そんなことはありません。こんなに人が多いとは思わなくて……」


 そして自分がこんなに人が多い場所に慣れていないだけ、と慌てて説明する朱亞に、梓豪は小さく頭を下げた。

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