第5話:魔法の使い方も教えてくれない

 そして、何も得るものがないまま迎えた三日目の朝。


「ふぁ、今日は早く起きた気がする」


 というか、さすがに空腹すぎて起きてしまった、の方が正しいか。三日食ってないのはさすがに良くない。今日は最後の手段、この泉の周囲に生えている果実を食べてみるか。


 いや、最悪死んでしまうその前にオレにはやり残したことがある。


「魔法、出してみてぇ」


 せっかく異世界転生したんやで、一度くらい魔法は使ってみたいやろがい!


 なんとなく両手を前にかざして「○ラ!」と高らかに叫んでみたが、もちろん何も起こらなかった。虚しい叫び声だけが森の中にこだましただけだった。もうガチで何なの、この何もできない異世界転生は。魔法も使えないファンタジーって何!?


「何なん、これ……」


 もうこの理不尽さにもいよいよ慣れてきてしまっている。良くないとは思いつつ、それはそれで大人の余裕ってやつだ、と諦めてみたりもする。


 とにかく、なにかこう、精神の統一をはかり、宇宙空間と自分の意思を接続して、超自然感覚を獲得しつつ、ヨガなフレイム的なことにもなって、うっかりレベルアップしたりしないかなあ。


 そして、オレは草ベッドの上で全裸のままあぐらをかき、それっぽく両手を組むと、ゆっくりと目を閉じた。決して二度寝ではない。


 オレは今、暗闇の中にいる。まさにお先真っ暗だ。いや、そういうことではない、精神統一だ。


 そうだ、今この瞬間、超自然と接続し、超感覚によって超越存在となったオレはこの世界と一つとなるのだ、つまり、オレこそが世界、オレこそが異世界転生(?)、これはもう魔法とか出せるでしょ。


 しかし、オレの超自然的思惑とは裏腹に。


 じとりと森の湿気がオレの身体に纏わりついて、ちりちりとオレの集中力を削いていく。いかん、オレは超宇宙の彼方にいる上位存在の意思を受信しなくてはいけないのに。


 焦燥が汗となって頬を伝い、遠くに聞こえる小鳥のさえずりと空腹の音がオレの集中を阻害する。さては、もうそろそろ10時間くらい経ってるかもしれない。ゆっくりと目を開けてみたが、夜にもなってなければ、周囲の状況は精神統一を始めたときから何も変わってなかった。


「……何も起こらんやないかい」


 レベルアップもしなければ、オレの精神が高みに行くこともなかった。手足が伸び縮みすることも炎が出ることもない。ただの全裸で座っている人だった。というか、集中力が足りない。自分が圧倒的に落ち着かない人なのを失念していた。


 それに……


「腹が減って何も考えられん」


 このままだとガチで飢え死にする。異世界転生したヤツの死因として、餓死は前代未聞すぎるだろ。


「仕方ない、食うか」


 オレは木の枝の一つから垂れ下がった一番大きめの果実を手に取り、その瑞々しい表面を細い指先でなでてみる。果実はすっかり熟しているらしく、柔らかくてしっとりとした触感が手の中に広がった。甘い匂いを放つそれにどう見ても毒があるようには思えず、それでもおそるおそるゆっくりと果実を口に運び、意を決してひと口かじる。


「うっま」


 果汁が口の中に広がり、甘みと酸味が舌を刺激する。初日に水を飲んだ時と全く同じリアクションで申し訳ないが、自分がよっぽど渇ききっていたことをまた再認識させられた。


 果実のジューシーな肉質が口の中でほどけ、甘さと爽やかな酸味が広がる。オレは思わず目を閉じその芳醇な味わいに身を委ねる。周囲の世界が一瞬消え去り、ただ果実の美味しさに没頭する。


 果実をかじるたびに滴る果汁にオレの心は幸福に、喜びに満たされる。ああ、どうしてもっと早くこの幸せに気付かなかったんだ。この瑞々しい果実の味わいは、まるで自然そのものがオレを祝福しているようだった。


 まるで口の中から身体中に甘い蜜が流れ込んでいくような感覚。空腹で張り詰めた胃袋が、その甘さを待ち焦がれていたかのように、喜びで震えた。一口食べるたびに、甘さが口の中に広がり、舌の上を優しく撫でる。その甘みはじわりと広がり、身体中に心地よい暖かさをもたらす。空腹感は徐々に和らぎ、代わりに満足感と幸福感が身体を包み込んでいくんだ。こんな感覚は生まれて初めてだ、なんて幸せなんだ。


 果実をかじるたびに、その甘みが心に響き渡るのを感じる。身体が次第にエネルギーで満たされ、力が湧いてくる。空腹という苦しみが少しずつ消え去り、代わりに活力と生気が身体を満たしていく。


 あまりにも幸せが身体中から溢れ出てしまったせいで、めちゃくちゃ描写してしまった。完全にヤバい感じでトリップした気もするが、空腹というスパイスのせいだろう。もうこれでいいんじゃないか。


 どうして初めから目の前にあるこれを美味しくいただかなかったのか、と。あまりにも悔やまれるオレのチキンハート。食ってればさっさとフライングゲット。おっと、ついつい嬉しくて韻を踏んでしまったぞっと。


 とりあえず、これで食糧問題は無事解決した。ひとまず飢えて死ぬことはなくなった。そうとなれば心にも余裕が生まれてくるってもんだ。


「この辺を散策してみよう」


 ついでに火を起こすのに使えそうな物を拾いつつ、何か人か動物の痕跡を見つけたい。そして、とにかく何か他に食べられそうな物や情報をゲットしたい。やることはいっぱいあるんだ、精神統一なんてしてる場合じゃなかったわ。


 ベッドからのそりと這い出ると、ぱしゃりと水を顔にぶっかけて精神統一明けの眠い頭を叩き起こす。そう、二度寝など全くしていないのだ。


 そうしてオレは、なけなしの服のような何かを身に纏うと、石槍だけを持って近くの散策を始めた。


 昨日は全く収穫物がなかった。使えそうな物も、この世界についてのヒントも、拠点になりそうな場所もなかった。ただ、同じような景色が永遠と山頂まで続いているようだった。もしかしたら、山頂を目指すよりも、山のふもとに降りて行った方がいいんじゃないのか。すぐ近くにこの少女が住んでいた村があるかもしれない。


 でも、なんか山で遭難した時は上を目指す、みたいなことをどこかで聞いたような気がする。もちろん、泉の場所を見失わないように、等間隔で木に印を付けて迷わないようにしているけど、それも長く続くと、往復しているうちに訳わからなくなってしまうだろう。


 早めに次の拠点を見つけた方がいい。


 昨日の登山でわかったのは、今の拠点である泉の場所から一気に山頂を目指すのは無理だ、ということだ。どんなに早く起きたとしても時間と体力が足りない。泉から第二の拠点を経由して山頂を目指す、その方が安心安全だと思う。欲を言えば、あの泉みたいに水と(もしかしたら食べられる)食糧がある場所で、寝泊まりができそうなら最高なんだけど。まあ、あのジューシーな果実なら持ち運んでちょっとの間なら保管もできそうだ。


 しかし、昨日も思っていたけどやっぱりこの森は何か変な気がする。


 鳥がいることは、遠くから鳴き声がするからわかっている。だけど、その鳥の姿は見えないし、鳥の巣や、つつかれた果実も見つからない。いや、これ、鳴き声だけが聞こえる、というのはもしかして、実体がないタイプの魔物的なヤツなのか? そうだった、ここが異世界だということをすっかり忘れていた。ファンタジー要素が今のところ皆無なんだもん。


 それに、動物の痕跡も一切見つからない。もしかしたらこの森にはガチで動物がいないのだろうか。だけど、そんなことがあるだろうか。いや、異世界の生態系については全くの未知だけど、森があるところに動物は大体住んでいるモンじゃないのか。手つかずの大自然ってそういうモンじゃないの? やっぱり魔物のせい? 食べなくても生きて行ける的な? くそう、それらが食べているものからヒントを得ようと思っていたのに。


 結局のところ、未だにこの世界のことはまるでわからないし、ファンタジー要素も全く出てきてない。


「ねええええええ、もうそろそろファンタジーしてもいいんじゃないの!?」

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