第37話 高原絵空

 生徒会のメンバーの動きや、体育祭の運営委員や保健委員との連携も想定しながら、大宮先輩が各プログラムを進行していく。


 「土屋君、そうそう、その間隔で準備しといて」


 「分かりました」


 整然そのものの大宮先輩に指摘されないのは少しうれしかった。綻ぶ口元を慌てて

平坦に戻す。


 俺たちと少し離れた場所で競技進行を練習する峰と柳先輩。


 「いちるん、この後は棒倒しの準備だよ。いちるんは3年生の誘導」


 「あ、そうだった! ごめんなさいぃ! うう、ちゃんと動けるか自信ないよ」


 想像通りというべきか、峰は決まりきった動きを、それも組織で行うという分野は

苦手らしい。本人も自覚しているらしく、始まったばかりのリハーサルに早くも自信

を失いかける。


 「大丈夫だよ」と励ます柳先輩。


 「でも」と弱気なままの峰一縷。


 「らしくないぞ峰くん!」と俺の隣で大きな声を出して励ます大門先輩。


 大門先輩!?


 「どこから湧いて来たんですか?」


皮肉を混ぜて問うと「向こうからだよ」と先輩が当然の道理のように答えた。


「あ! 大門先輩! お勤めご苦労さんでっす!」


 お勤めって刑務所から出てきたんじゃないんだから。峰がブンブンと手を振る。


 「君も頑張ってるようだね! 励みなさいよ! 宿題もちゃんとやりなさいよ!」


 教師か。


 「はーい! 肝に銘じます! あん肝には銘じません」


 また訳の分からないことを言う峰一縷。


 「で、何してるんですか?」


 俺は、先輩がグラウンドにいる理由を問うた。


 「あれ、知らなかったかい? そうか、あの一件があったからね。しばらく会わな

かったね」


 「ええ、まあ。あの時はいろいろと、迷惑かけました」


 確かに、夏休みの惨状以来だ。忘れられない記憶となったあの夏の日は、まだ笑い

話にはならない。


 俺の歯切れの悪い返事と顔色を察したように、話題を変える。


 「見ての通り、応援団さ」


 両手をグーの形にして、身体を開く。両手にペンライトを差し込むと、オタ芸にも

見えそうだ。本番で披露する踊りの一部をポーズか。恥ずかしげもなく気取るところ

は相変わらずだ。赤い鉢巻を頭に巻き、学ランを着ている姿で、応援団のメンバーで

あることは分かったが、このジェスチャーだけでは判別できなかっただろうな。


 「大門、そろそろ戻るぞー」


 大門先輩と同じく頭に赤い鉢巻をした男が、肩に手を置き、仲間を連れ戻そうとす

る。


 「おお、団長! もう休憩は終わりか。人の一生よりも短いな。ははは!」


 峰と同じくらい訳の分からないことを言い放ち、「じゃあ、またな」と俺と峰に手

を振った。


 「姉貴に声かけられなくて残念でしたね」


 「なっ! 新太君! 声が大きい! 君は悪魔か何かの類かな」


 恋心をいじってみると、彼は分かりやすく動揺した。


 「まあ、あの女の弟ですからね」


 「相変わらず冷酷だな君は」


 しばらく二人で笑い、俺は伝えておくべき言葉を送った。


 「応援してますよ」


 「応援団なのに応援されてしまうとはね」


 先輩は軽やかに笑う。


 「へえ、キミら、仲いいんだね」


 団長と呼ばれた男が、口をはさんだ。


 若草色にも近い金髪で、パーマがかかっている。西洋人のように色白で鼻が高く、

細長い。痩身だが筋肉もついている。俗にいう細マッチョ。全体的にさわやかな印象

を覚える男で、大門先輩とは容姿も雰囲気も対極の印象を覚える。この男が民に慕わ

れる王子様なら、大門先輩は野を走るイノシシだろうか。


 「一年のキミは、大宮のお墨付きなんだろ?」


 優しい声色で問われる。「お墨付きというわけではないです」と答える。


 「まあまあ、謙遜しないでよ、土屋会長の弟くん。先の学校見学では目覚ましい活

躍だったね。あっちの彼女も」


 目を薄っすらと細めて遠くの峰を見る。キョトンと首を横にかしげて疑問符を浮か

べる。


 「違いますよ。あの一件は峰の活躍だし、彼女ではありません。俺らは友人です。

冷やかす要素はありませんから」


 「ああ、違う違う」


 吹き出して笑うさわやかイケメン。


 「彼女っていうのは、ガールフレンドって意味じゃなくて、三人称単数形。英語に

するとSHEだね」


 「あ」


 「君のようなタイプは、前者の意味合いで受け取ると思ってたんだけどね。論理的

よりも感情的なタイプだったか。それともキミはあの子のことをすごく気に入ってる

んだね。さっきからチラチラと彼女のことを見てはすぐさま目を背けている。特定の

女の子に好意を持った男子特有の挙動だ」


 「なっ!? …別に、別にぃ」


 「歯切れが悪いよ」


 「ぐっ…。ていうか、さっきから何なんですか? あんたは何者なんですか?」


 相手の領域に強引に入り込むような遠慮のなさ。少し苛立ちながら尋ねると、よく

ぞ聞いてくれたと言わんばかりに、ふん、と鼻を鳴らした。


 「よくぞ聞いてくれたね」


 言葉にするんだな。


 「オレは今年の応援団をまとめる団長だ。名前は、高原絵空。父が画家をやってい

てね、絵という文字が付いたんだ。当の本人は父親の期待に背いて、へたくそな絵し

か描けないけどね。そうそう、国語の授業とかで絵空事って言葉が出るとみんなの視

線がオレに集まるからちょっと嫌だったんだよね」


 余計な情報を混ぜた自己紹介だが、確かに聞き覚えがあった。



 高原絵空(たかはら えそら)。


 私立文系クラスに在籍し、3年生の中でも群を抜いて異性からモテる。俺のクラス

メートもカッコいいとか付き合いたいとか言っていたのをよく耳にする。一部の人間

たちからは絵空様と仰々しい呼称で呼ばれている。


 「まあ、新太君は陽菜乃ちゃんに似て顔が良いから、特別にタメ口で話していいよ」


 「いや、それは失礼なのでやめておきます」


 つまらない男として認識された方がよさそうだ。こういう軟派な人間と深くかかわ

っても何が起こるか分からない。


 「ふうん」と目を細めて何かを思考する。


 「面白いじゃん。気に入った」


 期待していたものとは真逆の反応が返ってしまった。


 「うちの団に来なよ。キミなら大歓迎だ」


 「お断りします。不確定なイベントは生徒会だけで充分です。2年になったら速攻

で辞めますし」


 高原先輩は、さらに笑った。


 「ビビってるのか、大胆なのか、分からないところはお姉さんにそっくりだ」


 「あんなやつに似せないでください」


 「不仲なんだね」と楽しそうに笑う。光のように爽やかな顔をしているが、この男

の笑顔は少し意地が悪い。


 「なっ、ちょっとだけ、見学するくらいやってみない?」


 首に腕を回し、肩に手を置かれた。香水かシャンプーか、あるいはキシリトール

か、良い匂いが鼻腔を突く。


 早いところ話を切り上げないとな、先輩たちの視線も集まっているし、特に姉と大

宮先輩の目が険しくなっているのを肌で感じる。


 「大門みたいなブサイクよりも、よっぽど役に立つと思うよ」


 弾かれるように相手の目を見た。


 こいつ、いま、なんて言った?


 経験と直感で分かる。笑顔を作る彼は、大門先輩を見下している。


 「なあ、大門。お前もそう思うだろ?」


 次はその邪悪な笑顔を大門先輩に向けた。先輩は、あはは、と団長の機嫌を損ねないように笑っていた。


 「いや、あははじゃなくて、はい、とか、いいえとかあるだろ。これだからブサイ

クは、陰気臭くてコミュニケーションも満足にままならない。気持ち悪い癖に陽菜乃

ちゃんみたいな可愛い子を追っかけてるのもやめた方がいいぜ? ひっ、陽菜乃さ

ん! って、見っともなく付きまとって、迷惑してるのは彼女なんだからよ」


 態度が激変していた。この人は、相手の容姿によって態度を変える人だ。こうも露

骨に変えてしまうのか。軽蔑以上に恐怖を感じた。


 でも、それ以上に感じたのは…。


 「痛っ」


 巻きつかれた腕を思い切り弾いた。


 「そんな目をしなくてもいいじゃんか。キミは気に入ってるんだぜ」


 困ったように笑う応援団長。俺はどうやら睨んでいたらしい。


 「俺のことを評価してくれたのは嬉しいですが、その人を侮辱するのは許せませ

ん。乱暴に引きはがしてすみません。どこか痛めたなら何かで詫びます」


 言葉通り、俺は許せなかった。内面を完全に無視するような言動に、怒りの衝動が

限界まで活性した。


 「はーい、そこまで」


 柳先輩が剣幕の間に割り込んだ。


 「えそらん先輩はすーぐ他人に絡みたがる。エチケットってものを学びなさいよ」


 「希和ちゃんがそれ言うか?」


 「はいはい。どいつもこいつもおこちゃまね~。新太っち、この人の言うことを真

に受けたらだめよ? こういう軽薄なタイプは適当に扱っておくのがベストだから

ね」


 「本人の前で言うかよそれ」と一笑に付す高原絵空。しかし、俺の方は怒りが収ま

らなかった。


 「ヘラヘラすんなよ。あんたに大門先輩の何が分かるんだよ」


 声で訴えても気持ちは収まらなかった。


 「結局タメ口使うんじゃんか」


 「うるせえ」


 「大丈夫だ!」


 次は大門先輩が割り込んだ。


 「僕が不甲斐ないからだよ。新太君が怒る必要はない。ブサイクなのは仕方がない

けど、極力団長や他の団員たちの足を引っ張らないように頑張るだけだよ。現に、高

原団長の人気と技量があってこその応援団だからね」


 なんだよ、それ。


 大門先輩はいつだって優しかった。カコちゃんとの揉め事があった時も怒らなかっ

たし、峰に絶交された時も近くにいて味方をしてくれた。姉への情熱が過剰に強すぎ

るのは少し引くが、恥じらうことなく本気で他人のことを好きになれる点も、少しだ

が尊敬していた。


「なんで言い返さないんだよ。悔しくないのかよ!」


「じゃあね、新太君。今度また、峰くんと3人でご飯でも行こう」


 作り笑いを崩さないように、大門先輩は高原とともに団へ戻っていった。

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