第33話 忘れられない記憶

 そして、後片付けが終わり、オレンジ色の光が差し込むころ。


 「じゃあ、元気でな。また連絡する」


 「うん、新太も元気でね」


 光と校門前で解散し、姉が簡単な挨拶をして解散する。


 「パイプ椅子は片付いたし、後の作業は2年生がやっておくよ」


 「それは悪いだろ、あんたも色々と疲れてるだろうし」と思わず敬語を崩してしま

う。


 「お、土屋がシスコンを発動した」


 狐塚先輩の軽口を無視して、大宮先輩を見る。先ほどの怒りは完全に消えていた。


 「今日は一年生たちが大健闘だったからね、僕は良いと思うよ」


 「いちるんは大遅刻だったけどね~」


 「もう、希和さん! 私もう一回引きこもりますよ!」


 半泣きする峰に、全員が笑う。


 「ほら、一緒に帰りなよ。違う路線に乗って花火でも見てきたら?」


 それが狙いだったか。


俺と峰、2人の状況を作り出す。俺たちが何を考えているか分かっているのか。俺は

構わないが、峰は嫌がるだろう。真実ではないとはいえ自分の衣服を盗み、挙句の果

てに真犯人を庇っていた人間と2人になりたいとは思えない。


姉貴は、峰の気持ちを考えていない。今日来てくれたのは、間違いなく奇跡だ。何か

の間違いが作用しただけだ。生徒会の責任を果たしたかったのかもしれない。2学期

から学校に居づらくなるから。決して俺なんかのためではない。


「あなたは私たちを手伝って」


俺から少し目線をずらした先、尾行する監視役にも抜かりなく指示を送る。


「…はあ?」


もちろん彼女は不服だった。


「僕があなたの言うことを聞くとでも? 当主はあなたの弟です。新太の意向にはそ

ぐわないかと」


俺が臆病なのをよく分かっている。男だと勘違いしていた時よりも、女として見る今

の方が、少しだけ怖い。異性としての打算が働いているようで不気味だった。こいつ

から自然と距離を離している。


でも、俺の本心を汲み取らないことに腹が立った。


だから俺は、高鳴る鼓動を抑え込み、言い放った。自ら他者という不確定に飛び込ん

だ。


「2人で、…帰りたい」


峰の反応を見たくない。誰の反応も見たくない。下を向いて、無機質なコンクリート

だけを直視する。


「私も」とバトンを繋ぐように、峰が口を開いた。


「私も、土屋君と2人で帰りたい」


突き動かされるように彼女の顔を見る。明るい髪が、オレンジの光に照らされ、さら

に明るくなる。その髪が夕方の涼しい風にゆらゆらとなびく。


猫のような目が、俺を見ると、弱弱しく笑った。


 「決まりね」と姉貴が結論付けた。


 「当主様の言うことだから、順守してね、輔ちゃん」




△△△




 「それ、歩きにくかっただろ」


 いつもと違う路線を走る電車の中、がたんと揺れる視界で峰が履いている下駄を指

さす。


 「そんなことないよ。むしろ楽しかった。こつんこつんって、歩く度に小気味よく

鳴って。あ、遅刻したくせに生意気なこと言ってしまった。ごめんなさい」


 「終わったことだから別にいいよ」


 陶器のように真っ白な峰の足から目線を外し、外の景色を眺める。藍色の帳が黄昏のオレンジに幕を下ろし始める。希望の光を埋め尽くすように、闇に覆われていく。それに同調するかのように口数も次第に減っていく。


 いつの間にか全体を夜の闇が覆いつくすとともに、「ごめんなさい」と聞こえた。


 「だから、今日の遅刻は別にいいって言ってるだろ。結果的に助かったんだから。

相変わらず突飛な行動で、場を盛り上げたんだし、むしろ感謝しかねえよ」


 「違うの」


 峰が、小さく震えた。


 分かっていた。峰が言いたいことを俺は把握していた。でも避けた。話題にすらし

たくなかった。聞いていて、思い出して、胸が苦しくなるから。


 覚悟して聞く。峰の言葉を。俺なんかに打ち明けてくれる本音を。


 「この間の、下着のやつ」


 「もっと言い方あるだろ」


 「私、昔から変なやつで、周りから無視されたり、酷いこと言われたり、されたり

してきたから。土屋君のことも、そうなんじゃないかって、怖くなって、勝手に決め

つけちゃったんだ」


 「…」


 「私ね、前に言ったじゃん。分からないことより、分かってくれないことの方が怖

いって。でも、どっちも同じくらいに怖いんだなって、分かった。分からないのが怖

くて、苦しくて、早く楽になりたくて、土屋君を悪者にした」


 「あの状況なら仕方ないだろ。俺のカバンに着替えが入ってたんだから。論より証

拠っていうし、お前の判断は正しかった。むしろ、俺が輔の犯行を未然に防げなかっ

たのが悪い。お前の責任じゃない」


 「でも、許せないの」


 浴衣によく合う籠のようなカバンを強く掴み、自己嫌悪に陥る峰一縷。再び俺と目

を合わせて何かを言おうとしたが、結局何も言わず目線を下に向けた。


 再び流れる沈黙。降りない駅に到着し、ドアが開く音だけが聞こえる。誰も乗車し

なかった。そして、俺たちの近くには誰もいない。


 「埋めてくれ」


 切り出すにはちょうどいいタイミングだった。


 「あの日、俺のカバンに入ってたお前の服と下着、全部埋めてくれ」


 顔を上げる峰一縷。


 「もちろん、ただでとは言わない。弁償はさせてもらう。3万円くらいで足りる

か? これで新しいものを買ってくれ。俺のカバンなんかに入ってるものなんて着た

くないだろ? それに、下着の方は俺は記憶してしまってるし、あの日のことも、埋

めて忘れさせた方がお前のためになる」


 「それは…ダメだよ」


 否定された。


 お金で解決させるなんて、なめているのか。埋めて忘れるのは自分だけじゃない

か。自分が罪から解放されたいだけじゃないか。峰を軽んじる発言をしてしまった。


 「ごめん、俺の勝手だったな。自分だけが助かりたい。俺のエゴだった。お前への

気持ちを盾にして、意地汚い自分の考えを正当化しようとしてた。ごめん」


 「違う!」


 急に大きな声を出した峰一縷。


 「そうじゃなくて」


 必死に言葉を繋げる峰一縷。


 「土屋君に、覚えていてほしいから」


 目に涙を浮かべる峰一縷。


 「どれだけ苦しくても、どれだけ悲しくても、どれだけ悔しくても、時間が経て

ば、なんてことない笑い話に変わるから。それをいつか、こんなことがあったねって

土屋君と一緒に笑いたい。そんなことあったかなって、一方的に忘れてほしくない。

一緒に笑いたい。でも、笑い合うだけじゃなくて、喧嘩もしたい。土屋君とは、そん

な関係になりたい。土屋君は、初めて見つけた特別な人だから」


 今までの人生で、ここまでのことを本気で言ってくれる人間がいただろうか。思い

付きの嘘でも、自分だけのための打算でもない、紛れもない本心から、面と向かって

君は特別なんだと言ってくれる人がいただろうか。


 優しくて強い目だった。迷うことばかりの俺に決断の勇気を与えてくれた。


 「分かった。大事に持っててくれ」


 あの夏の日。


 本気で死にたいと思った時間が、忘れられない記憶になった。


 峰が埋めない限りは、絶対に、忘れられない記憶に。




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