第27話 俺に

 しんと静まり返った午後3時の体育館。


 この日、俺が抱え込んでいる一番の問題と言えば、言わずもがな峰一縷のことだ

が、第二の問題があることを、何かを埋められてから思い出した。


 またしても、やられた。


 多分、台本を埋められたのだろう。姉に言われるまで気付かなかった。


 毎年、学校見学の最後には、体育館で抽選会が開かれる。校舎に設置した5つスタ

ンプを、最初の挨拶で配布されたアンケート用紙に押していき、全て押したものを回

収ボックスに入れることで、夕方の抽選会で景品が当選する可能性がある。うちの学

校は有名私立なだけあって、携帯ゲーム機やノートPCなど、例年無駄に豪華であ

る。


 生徒会は、その抽選会の司会を俺と峰一縷に任せてしまったのである。これは例年

ではない。なぜなら、先輩たちは多忙だからだ。3年生のいない今年の生徒会は、自

分の仕事だけで手いっぱいなのである。それで俺たちのような使い勝手のいい駒を駆

使したわけだが。


 「色々とまずい?」


 いつもはヘラヘラと軽薄に笑う狐塚先輩ですら、事の深刻さに焦りを感じている。

意外というべきか、やはりというべきか、いざという時だけは肝の小さい男だ。


 しかし、「いやいや」と笑い飛ばした。


 「つーか土屋が全部やればいいんじゃね? 台本の内容は全部覚えてるし。台本の

データをまた印刷すればいいっしょ」


 狐塚先輩が提案する。「それはそうね」と鈴井先輩が珍しく彼と同調する。


 彼らは俺の『埋没忘却』を知らない。普通なら、ことは深刻な事態にならない。


 まただ。俺の体質で、台無しになる。


何も変わってない。何一つ変わっていない。峰と会って、何かが変わった気がしただ

けで、俺自体は進歩していない。台本を埋められることも想定して対処できたはずな

のに、峰のことで悩んで、それどころじゃない、という子供じみた言い訳を反芻して

いる。


「それもそうね~」と柳先輩が笑った。


「じゃあさ、コンコンとリンリンに行ってもらおっかな~」


「こういう時だけナンバー3の権力を使いやがってんな。いいぜ、俺たちは下級生に

ナンパしながら生徒会室に戻りますよーだ」


「一緒にしないで」


「ありがとね、リンリン」


「ケッ、俺っちには感謝しねえのかよ」


「はいはい、感謝してますよ。ほら、すぐに戻ってきたらポテチあげるからね~」


「俺っちは幼児か」


事情を知らない彼らはそのまま生徒会室へ台本を印刷しに行った。「さて」と大宮先

輩が本題に移る。


 「とりあえず、新太君は新しい台本が届き次第、大至急、暗記だな」


 「はい、すいません」


 「君が謝ることじゃないよ」


 細い目をさらに細めて優しく笑う。俺の異能を知っていながらも余裕めいている。

恐ろしく正常だ。さすがは明鏡止水の副会長。


 「新太っち、大丈夫?」


 一方の俺は、正気を保つことなんかできなかった。柳先輩にも指摘される。


 「誰だよ?」


 俺は言った。さっきから発言1つしない姉に、面と向かって発言した。


 「次は誰を使ったんだよ! ああ!?」


 目が合うなり、喉元から声を荒げた。


 「また柳先輩か? 輔か? 兵藤か? それとも、和田さんか? 大門先輩

か? …おい輔! 出てこい! お前は知ってんだろ!? 誰が主犯か、実行に移し

たのは誰か。なあ!?」


 「ちょっと新太っち、落ち着きなよ!」


 「落ち着いていられるかよ。峰のことだって、誰が何の理由があってやったのか分

からないままで、俺は指をくわえて事の顛末を見守るしかなかった。もうごめんなん

だよ、そういうのは」


 「強くなったね」


 ずっと黙り込んでいた姉が口を開いた。


 「ああ?」


 「少し前の新太なら、生徒会を抜け出してたかもしれない。峰ちゃんと絶交に近い

状態になっても、新太はちゃんとここに来た。自分なりに事実を受け入れ、今日の雑

用にも集中してた」


 「峰の件は、お前が仕向けたんだろ」


 「違うよ。輔ちゃんが少し大人しいと思ったから、怪しいなって感じて、希和ちゃ

んに頼んだ。見張って、って。だから直接的には関わってない」


 「せっかく俺が罪を着たのに、事実を暴いたせいで峰は自分を責めるようになっ

た」


 悪いのは俺と、この悪魔みたいな姉だけでいいのに。


 「新太っち、ごめん」


 「別に、柳先輩は責めてないです。輔が仕掛けて、姉が見抜いて、俺が余計なお節介で罪を被ろうとした」


 「新太君」


 伸びてきた手が肩の震えを鎮める。大宮先輩が言った。


 「逃げることも、適切な選択だ。司会は2年生でやってもいいんだよ」


 その言葉を待っていたのかもしれない。臆病な俺は、かすかに希望を感じてしまっ

た。迷惑を掛けたくなかった。


 以前なら。


 この日、辞退するなんて選択を今の今まで考えなかった。記憶の真っ白な状態で臨

む司会は、分からないことだらけで怖い。台本を見たって、進行を間違える可能性が

ある。アドリブを挟まなければいけない場面もある。台本を凝視するのはカッコ悪

い。そもそもステージに立つのが怖い。


 「大丈夫です」


 でも、自然とそう答えてしまった。


 「できます。行かせてください」


 誰が台本を埋めたのか、死ぬほど気になって仕方がないが、本番に関しては自分で

も驚くほどに落ち着いていた。


 「でも、君は記憶を失っている」


 肩を掴まれた。今度は落ち着かせるためのものじゃない。俺の予想外の反応に驚い

ている。震えが伝わる。恐怖、焦燥、あるいは苛立ちの握力が両肩に伝わる。


「そんな状態で進行できるのかい? 抽選会は、アドリブだらけだ。君の嫌いな不確

定要素が多々ある。抽選箱に入っているアンケート用紙がすべて真面目にスタンプを

押されているものではないかもしれない。落書きが施されたものや、5つ揃っていな

いもの。進行を覚えていない状態で、それらを上手にいなす。音響やプロジェクター

のトラブルの可能性も視野に入れなければならない。よく考えるんだ。以前までの君

ならそうしていただろう。勇敢に立ち向かうだけが誉じゃない」


 緩やかに手をほどいた。


 「確かにそうかもしれません。でも」


 そして、いつも正しく適切な大宮先輩に言った。


 「俺が引き受けたんです。俺にやらせてください」


 大きな体育館がしばらくの間、無音になる。


 「分かったよ」


 大宮先輩の目つきが険をはらんだ。


 「もう、君には何も助言しない」


 ぐつぐつと煮えたぎる溶岩のような静かな怒声を放ち、明鏡止水の副会長は舞台裏

の音響室へ消えていった。


 「新太っち、意外とカッコいいこと言うじゃん」


 「茶化さないでくださいよ。緊張してるんですから」


 柳先輩の冷やかしにそっぽ向くと、姉が俺の顔をまじまじと見た。


 「なんだよ」


 「新太もすっかり当主様になったわね」


 「昔から当主だろ」


 「そういう意味じゃなくて」


 クスッと笑ったかと思えば、すぐさま、目の色を変えて誓うように言った。


 「あんたのその本気、私が絶対に無駄にしないから」


 生徒会ではいつも余裕めいて淡々と仕事をこなす姉が、いつになく緊迫した面持ち

だった。


 「なんか企んでんだろ」と質問すると、「やっぱり私たち、姉弟ね」と質問の意図を

瞬時に察した。


 「将来、なるかもしれない健気な妹に、お姉さんが直接交渉してあげる」


 そう豪語するなり体育館の外へと出て行った。



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