第26話 まだ

俺たちは中学1年の時に出会ってから何かと謙遜し合っていた。立派なおうちに住ん

でるとか、記憶力がすごいとか、ピアノがすごいとか。喧嘩するほど仲がいい、とい

う言葉を耳にしたことがあるが、そんな言葉を根底から否定するように、俺たちは喧

嘩をすることなく親友になった。


しかし、3年の夏くらいに、堀田瑠璃子が接触してきた。


「ずーっと、あなたのファンだったんです! 入学式のピアノ伴奏の時から、一目惚

れしました。もしよかったら光さんと一緒にデートしたいな~」


俺の前でも露骨に割り込んできて、2人で下校する習慣が3人に変わった。俺は別に

よかった。むしろ、彼女を性的な目で見ていたから大歓迎だった。あの時の俺は本当

に馬鹿だった。


「嬉しいけど、デートはちょっと…。友達としてなら」


「ええ! いいんですか!? やったー! じゃあ、今の彼氏と別れよっかな~。失

敗するリスクを考えたらキープでもいいかも」


自由奔放な物言いをする彼女に、光は苦笑するばかりだった。きっぱりと断れない2

人に、図々しく首を突っ込み、堀田瑠璃子との下校は日常の出来事と化した。


 距離を急速に詰める彼女に、半ば手を焼いていた俺たちだが、ある日の彼女の発言

をさかいに、生活が一変する。


「土屋先輩もついてきていいですよ」


次第に変わっていった堀田瑠璃子の、俺に対する態度。俺の好意が見透かされていた

のかもしれない。だから俺は、彼女になめられた。


俺をまるで下僕か何かの用に見下す彼女に、「謝って」と光が言った。


「その物言いはおかしい。今すぐ謝って」


「嫌です。なんでこんな気持ち悪いやつ」


 彼女は食い下がった。よほど俺のことが目障りだったらしい。


「…いま、なんて言った?」


光の目が、怒っている人間の剣幕だった。空気がひりつくのを肌で感じる。


「いや…」


「じゃあ、もう付いてこないで。邪魔だから」


 酷い物言いだった。俺のためを思ってくれたのは嬉しいが、いくら何でもそれは言

い過ぎなのでは。


 恐る恐る、堀田瑠璃子の反応をうかがうと、やはりというべきか、泣き始めた。


 「なんで、そんなこと言うんですか」


 うっ、ヒッ、と息をしづらそうに涙をこぼし、顔を真っ赤にして、走り去った。


 「堀田さん! おい、ちょっと言いすぎなんじゃないか?」


 「新太の事をバカにするからでしょ。豚に真珠。価値のない人間ほど他人の価値を

見つけるのが苦手みたいだね。行こ」


 冷たい声だった。8月の熱をすべて奪い去るように冷酷だった。


 中学3年の夏。受験勉強を理由に、俺は光と距離を取った。しかし、相変わらず堀

田瑠璃子には接触し続けた。


 そういえば、夢に出てくるあの子の声が聞こえ始めたのは、この時だった気がす

る。



△△△



 「新太?」


 「ん? ああ」


 ずいぶんと思い出にふけっていたらしい。俺は慌てて今に意識を集中させる。


 「なんだ?」


 「ボーっとしてるとこも相変わらずだね」


 「うっせ」


 「もうお昼だし、学食にでも連れて行ってよ」


 確かに、腹が減ってきたのを感じたので、次は学食へと案内した。


 「へえ、ラーメンあるんだ。おしゃれな高校だね」


 「おしゃれのハードル低いな」


 「うちには無いからね。せいぜいうどんか蕎麦がたまに食べられるくらいで」


 大きな鍋から掬い上げられたスープと麺が入った丼を受け取り、トレイに乗せる。

他人のあくびを見たら眠くなるような心理で、俺もラーメンをトレイに乗せた。


 夏休みだけあって、テーブルがほぼ貸し切り状態だった。運動部はまだ活動中なの

だろう。ズルズルと、麺をすする音だけが空間に響く。


 「なんかあったでしょ」


 品のある食べ方のくせに、俺よりも早く食べ終えた光が、ウェットティッシュで口

を拭きながら、いちいち小ぎれいで丁寧な所作と様相で俺の顔を見た。


 「別に、なんにもねえよ。普通だろ。俺ってこんなもんだろ」


 「いや、なんかある時の顔でしょ」


 他人の本質を見抜く勘の良さも、こいつの抜きんでている能力の一つ。なんでもで

きる天才は、何となく空っぽな気分だった俺の様子を素早く察知する。嘘を吐くとき

に右手を頭の後ろに回す癖を意識的に避けていたのに、見事に見抜かれてしまった。


 「何があったの? 断片的でもいいから、力になれることがあったら言ってよ」


 「いいだろ、別に」


 「ダメ」


 「…、分かったよ。とりあえずラーメン食わせろ。伸びるから」


 すでに完食していた光は「分かった」と言い、残りをすすり上げる俺を黙って凝視

していた。


 「さあ」と爽やかな笑顔で促される。


 「はいはい、愚鈍な俺の見解が違っていなければ、俺たちは、まだ親友だもんな」


 『まだ』という暫定的な言葉で濁し、『親友』なんて関係性を再確認する。


 「当たり前じゃん」


 不安が顔に出ていたのか、俺の顔をじっと見つめる光が、クスッと笑った。


 「まだ、親友だよ」


 噛みしめるように言葉を放ち、コップの水を音もなく飲み干す。


 照れてしまい、目を逸らして、心の準備を整えた。


 「じゃあ、最近あった出来事、言うからな。ここからは笑い事じゃねえから」


 「うん、心して笑わないよ」



△△△



 話を終えるまで、光は口出し1つしなかった。


 俺から発せられる情報を隈なく集めるように気を張り、親身になって聞いてくれることが伝わった。人の心を掴むのが上手い。本当に、こいつは何事も器用で羨まし

い。


 「そっか」


 ようやく口を開いた。


 「その子はきっと、信じてくれなかったことが悔しかったんじゃないかな?」


 「信じてくれなかった?」


 「そう。間宮さんのことを彼女に伝えていれば、新太のことを助けたと思うよ」


 「そういうもんかね」


 「そういうもんだよ」


 光は、淡々と持論を述べる。否定されても別にいいやといった姿勢で、しかし物腰

は柔らかく、相手を安心させるような物言いをする。


 「あの兵藤君を殴ったり、埋没忘却を分かってもらうために小テストを埋めてしま

う。それは全部、新太のためだし、新太のことをよほど強く慕ってないとできないこ

とだよ」


 「でも」と俺は反論する。


 「あいつは普通じゃないんだよ。もともと、お節介で人を助けるタイプかもしれな

い。それがたまたま俺だったって話で、俺以外のことも満遍なく助けるかもしれな

い」


 また俺は、うじうじと思索を巡らせる。いつまで経っても結論を下すことができな

い。判断力が無い。


 「それならいいじゃん」


 光は笑った。


 「新太だけ特別に助けないから、信じられないってこともないんじゃない? むし

ろ、誰でも彼でも助けに行くような人だからこそ、表裏がない、信用に値する人間だ

と思うよ」


 十分に説得力のある発言だった。心のど真ん中に差し込むように浸透し、素直にう

なずいてしまう。


 風に揺れる茶髪の天然パーマを思い出す。顔もくしゃくしゃにして気楽に笑い、奇

行とも思える善を尽くし、また笑う。怒った顔も、泣いた顔も尊くて…。


 「いい顔してる」


 見透かすように光は言った。


 「自分の思いをきちんと説明すれば、必ず答えてくれるよ」


 「そんなもんかな」


 「うん。だって新太は、あの時も守ってくれたじゃん」


 俺の肩をポン、と叩き、「ご馳走様。そろそろ雑用に戻ろう」と言い、食器の返却

口へと歩いて行った。


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