第25話

「大部屋にした理由……?」


 俺は思わず間の抜けた表情でたずねる。

 シェヴェルはやれやれ、といった様子で首を大きく横に振った。


「我々が追われる身であることを忘れたのか。らした刺客しかくに私たち全員の顔が見られているはずだ。バルトお前、もし私が寝込ねこみをおそわれたら、どうやって別の部屋から助けにくるつもりだ?お前がモタクサしている間に、か弱い乙女が変わり果てた姿になっているぞ」


 か弱い乙女かどうかは別にして、言われてみればその通りだ。

 それはアリスについても同じこと。

 物理攻撃に比べ、魔法はどうしても発動まで一瞬の「め」が生じる。

 至近距離から瞬時に力技で寝首をかかれると防御が難しい。


 シェヴェルはさらに続ける。


「それに私はお前たち以外の誰も信用していない。私たちの会話は公爵家の人間の目の届かないところで済ませたいのだ。この国はブレネンの同盟国だ。私たちの到着より先に刺客の情報が伝達されている可能性は限りなく低いが、刺客を放った一派とゼーゲ公がグルである可能性は完全には否定できない」

「……確かにその通りだ。俺の配慮はいりょが足りなかった。では、これからは全員同じ部屋で寝泊まりしよう」


 それを聞いたアリスは、心なしかホッとしてうれしそうな表情を浮かべている。

 とりあえず大部屋でも嫌ではなさそうで、俺は安堵あんどした。


「じゃあせっかくだし、俺も酒をもらおうかな」


 俺が手を伸ばすと、シェヴェルがひょいと酒を取り上げる。


「おい、何をするんだ」

「私の話を聞いていたのか。この酒に何か盛られていたらどうするつもりだ」

「いや、もうシェヴェルが飲んでるだろ……」

妖魔ようまである私はお前たちより毒に耐性がある。それに大体の毒の味は覚えているから、先に毒見してやったんだ」

「まさか、さっき酒を真っ先にあおったのは……」


 ハッとする俺に、シェヴェルはあきれ顔でうなずく。


「酒は問題なかった。毒を入れるなら飲み物全てに入れるはずだから、茶の方も問題ないだろう。まあ、入っていればすぐにアリスに知らせて解毒げどく魔法を使わせるつもりだったがな」

「……そこまで気を回してくれていたとは。すまなかった」

「まったく、ガキ共のおりは疲れるな。わかったら、次からうかつな真似はするなよ」


 シェヴェルが改めて酒をグラスに注いで俺に渡す。


「それにしても毒の味を全部覚えているって、何だよその恐ろしい能力は……」


 俺はシェヴェルからグラスを受け取り、ぐいっと流し込んだ。

 酒なんてフィリップ王子と飲んだ上物のワイン以来だ。


「ああ、美味い」


 ひりつくのどから酒が体に染み込んでいくように感じた。


 ハーブティーを飲み終えたアリスが立ち上がる。


「私、浴室がどんなのか気になりますので、見てきますね!」


 上機嫌で部屋を出ていくアリスを目で追いながら、俺はシェヴェルに話しかけた。


「アリスもすっかり元気になったようで何よりだ。このまま魔法も上達していけば、あの子の生きる道もおのずと見つかるかもな」

「ああ。それまで私はあの娘に魔法を教える。お前は男を教える。これで教育は完璧だ」


 脈絡みゃくらくもなく唐突とうとつにぶち込まれた暴言に、俺は思わず酒をき出す。


「……いきなり何言い出すんだ。アリスとは別に何もないぞ」


 今度はシェヴェルが唖然あぜんとした表情を浮かべる。


「お前……年頃の生娘きむすめとあれだけ一緒にいて、一度も手を出していないのか!?」

「当たり前だろ。俺を何だと思ってるんだ」


 シェヴェルは酒瓶を握りしめ、一気にしらけた顔で俺を見る。


ぜん食わぬは男のはじだ。恥を知れ、恥を」

「いや、アンタ何言ってるんだ……そもそもアリスは精神的にも微妙な時期なんだ」

「そこを優しく抱いてやるのが男だろう。甲斐性かいしょう無しめ。昨夜もてっきり外で盛り上がっているかと思ったんだが。やけに静かだと思ったら、そういうことか」


 シェヴェルはしゃっくりをしながら酒をあおった。


 先ほどのことで俺はシェヴェルに一目置きかけていたが、前言撤回ぜんげんてっかいだ。

 コイツは少女の見た目をした、中身がおっさんの魔物だ。

 というか、昨夜はシェヴェルも起きていたのか。


「盗み聞きとは趣味が悪いぞ。『乙女』はそんな下衆げすな真似しないだろう」


 シェヴェルは俺を小馬鹿こばかにしたように鼻で笑う。


「それはウブな男のあさはかな幻想だな。小僧にはまだ真の乙女心は理解できんか」


 そんな乙女心など理解したくもないが。


 少しして、アリスが目を輝かせて部屋に戻ってくる。


「すごいですよ!大理石の浴槽にちゃんとお湯が張ってあるんです!」

「それは楽しみだな。アリスから先に入ってくれ」

「いいんですか?ありがとうございます!」


 アリスは鼻歌を歌いながら入浴の準備を始めた。

 先ほどの下衆な会話が聞かれていなくて、本当に良かった。


「結構広かったので、良かったらシェヴェル様もご一緒しますか?」

「いや、無防備な状態で万一にでも二人同時に襲われるとまずい。入浴は一人ずつだ」


 アリスはハッとしたように口を押さえた。


「あ……!そうでしたね」

「大丈夫だとは思うが、念のため入浴中も気をつけておけ」


 アリスが再び部屋を出ていくと、シェヴェルは俺に向き直り、扉の方を指差す。


「いいのか?こっそりと娘の身体を垣間かいま見れるチャンスだぞ。あいつ、細い割には結構あるしな」


 シェヴェルは胸の前に手を突き出して弧を描く。

 俺は深いため息をついた。


「あのなぁ……ガキじゃあるまいし、俺は誰かさんと違ってのぞきの趣味はない」

「つまらん奴だ。もし見つかったら、刺客らしき影を見たから心配で来たとか適当に誤魔化ごまかせばよかろう。せっかく気を回してやったのに」


 まさか、それでアリスを一人で行かせたのか……?

 これはアリスを奴隷商人から助けた時のことが知れたら、間違いなく「甲斐性かいしょうなしの極みだ」などと言われて嘲笑されるな。

 俺はもう相手をするのも疲れたので、顔をそらして意味もなく窓から外の景色を眺めた。


 シェヴェルは酒を一気に流し込むと、ふいに真面目な顔になる。


「にしても、妙だと思わんか」

「何がだ」

「たかだか魔物一匹の討伐とうばつにしては、報奨金が多すぎる」

「そうなのか?俺はこういった依頼を受けたことがないから相場を知らないんだ」

「私は完全に人里と交流を絶っていたわけではない。住処に危機が及ばないよう周囲の情報は常に耳に入れるようにしていたから、おおよそ今の相場感も知っている。これくらいの仕事であれば、普通は10000、高くて15000だ」


 そう考えると2倍以上の金額か。確かに破格はかくだ。


「それだけ人がいないって事かな」

「それにしても多すぎる」

「単にゼーゲ公の羽振はぶりがいいとか。それにいくさで鉄鉱石の需要も高まってるから、多少は金を積んででも早期に解決したいんじゃないか」


 シェヴェルはあごに手を当てて考え込む。


「あるいは、何かよほど討伐に難しい事情があるのか……先ほど私たちが依頼を検討すると答えた時の、安堵あんどしきったゼーゲ公の表情も気になる。この依頼、受けるかどうかはよくよく吟味ぎんみした方がいいかもしれない」


 しばらくして、入浴を終えたアリスが上機嫌で戻ってきた。

 支給されたシルクのパジャマに身を包んでいる。

 濃い群青ぐんじょうの髪がしっとりと濡れ、つややかに輝いていた。


「すごく気持ちよかったです……!このパジャマも肌触り最高です」


 シェヴェルのせいで、無意識にアリスの体のラインに目が行ってしまう。

 そんな自分をいましめるため、俺は残っていたハーブティーをカップに注いでチェイサー代わりに一気にのどへと流し込んだ。

 アリスがきょとんとした顔でこちらを見つめてくる。


「バルト様……?どうかされました?」


 シェヴェルが意味ありげな視線を俺に送ってくる。

 俺は茶でむせかけ、咳払せきばらいをした。


「いや、何でもない……シェヴェルが先に入ってきてくれ」

「そうか。ではお言葉に甘えるとしよう」


 シェヴェルが入浴に向かい、それを終えると俺も風呂に浸かった。

 昨日、シェヴェルの魔法でボロ雑巾ぞうきんのように洗濯されたのとは打って変わって、ゆっくりとくつろぐことができた。


 部屋に戻ると、アリスとシェヴェルが何やら話し込んでいた。

 アリスは俺の顔を見るなりなぜか顔を赤らめ、あたふたと自分のベッドへもぐり込む。

 それを見てニヤつくシェヴェル。


 ……この妖魔ようま、一体アリスに何を吹き込んだ……。


「明日は討伐調査だ。しっかり寝て、魔力も回復させよう」


 俺たちは明かりを消して、床についた。

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