最終話 本当に帰ってきた当たり前の日常

「イワンさんからの手紙だよ」

「わーい、読んで、読んで!」

とエレナが私の隣に座った。

「私、イワンのおじちゃんみたいに、"あなた今、便秘してませんか?"なんて脈だけを診て言える人になるんだ」

と大喜びだ。

「その後、お元気にお過ごしですか?」と言う優しい筆跡の書き出しが心和ませてくれる。

「⾧文になる事、お許しください。まずは今回の脱出は本当にお疲れ様でした。怖くて死んでしまうと思ったでしょう。奥さんとエレナちゃんを守ってよくぞ脱出してくれました。

ボーンダルさんが気になさっていた私の処分ですが、禁錮刑はやはり免れませんでした。

国家にとって大切なミサイル開発者の奥さんの脱出を企て、それを実行に移した幇助罪は許すまじと言う事です。しかし、こうして手紙を書くことはできます。通信機器は全て没収されましたが住環境は至って快適です。普通のホテルに鍵が付いているだけだと思ってください」

と一枚目が終わった。

刑期は一年です…と続いた。

「あれだけ謀略を働いて刑期一年は情状酌量の極みでしょう。あれから銀総書記⾧の糖尿病の検査数値は異常なしになりました。その治療効果に満足して私を生涯主治医にすると言っています。気に入られたもんです。しかし私はイクライノの妻にも会いたいし帰りたいです。主治医はいつか代わりの治療家を探すつもりです。ボーンダルさん家族が脱出した後、銀総書記⾧は非常に腹を立て、奥さんを南晩漠に返すように脅すための狙撃スナイパーを送り込めと息巻いていました」

私は“狙撃スナイパー”の文字に身の毛がよだった。

しかし狙撃はされていない。

その謎の鍵はきっとイワンさんが握っているのだろうと続きを読んだ。

「私は銀総書記⾧の素因改善の治療もはじめました」

と続く。

「あの“自分の思い通りに行かないとイライラする性格”は肝血の鬱滞です。癇癪もちは肝気の不足による肝血の鬱滞なのです。鍼灸で肝気を補い漢方薬で抑肝散加陳皮半夏を処方しました」

なんだか分からないが私は読み続ける。

「その結果、銀総書記⾧は柔和な性格へと変化していきました。私も必死です、ボーンダルさんが狙撃されたら大変ですからね。その気持ちが天に通じたのか、みるみる効果が現れました。普通は性格が変わるなんて最低でも一年はかかります。もう奥さんを連れ戻せとは言いません。しばらく、この治療を続けます。なんせ私は受刑者と言う名の主治医ですから」


手紙は3枚目に入った。

「銀総書記⾧は私に糖尿病の漢方鍼灸治療について論文を書けと言ってきました。治療家として研究する事、そしてその治験を後世に伝えるために私は快諾しました。受刑中は綺麗な牢獄に閉じこもっているか、銀総書記⾧の治療をするしかありません。ですから、時間はたっぷりあるので論文に集中できます。自分の主治医は糖尿病に苦しむ人を助ける救世主だとアピールして名声を得たいのでしょうが、そんな事はどうでも良いです。私は鍼灸治療と漢方薬治療を世の中に広めるために尽力します。銀総書記⾧がどういうか分かりませんが刑期が満了したらイクライノに帰るつもりです。それまでどうぞお大事になさって下さい」

読み終えた私は感極まり上を向いた。

ありがとうイワンさん、あなたのお陰で今こうして私達家族は生きていられる…とはるか南晩漠に思いをはせた。

エレナまでが、感慨にふけっている。

妻は下を向いて涙ぐんでいる。

文面からきっとイワンさんは元気にイクライノに帰ってくると言う確信が得られた。


そしてまた一年が経ったある日、テレビの画面に懐かしい顔が映し出された。

「おーいイワンさんがテレビに出てるぞ」

と私は妻とエレナを呼んだ。

「ノーベル医学賞受賞者イクライノ出身、イワン・アルチュコフさん」とテロップが出た。

南晩漠からの中継だ。

「イクライノに帰って、妻やお世話になった方々と喜びを分かち合いたいです」

イワンさんが満面の笑顔で話している。

主治医がノーベル賞を受賞したという事なので総書記⾧の録画メッセージも流れた。

「この度はノーベル賞受賞おめでとうございます。イワン・アルチュコフ氏は私の糖尿病を完治させてくれました。その治療効果の論文を今回、彼は完成させました。私はここで重大な発表をしたいと思います。このように私を健康にしてくれた鍼灸治療と漢方薬処方、そしてそれらを修めた氏に感動し政策を転換したいと決心しました。今までミサイルで自分の強さを誇示するだけが私の生きる道と考えていましたが間違いでした。軍事力など健康である事のありがたさの足元にもおよびません。核を放棄して永世中立国宣言をいたします」

総書記⾧の顔が柔和になった。

イワンさんの治療は人格まで変えられるのかと私は感動に近い驚きを感じた。

銀総書記⾧もイワンさんを独り占めせずにきっとイクライノに返してくれるはずだと私は確信した。

馬先生とまた、仲良く暮らせることだろう。

「ノーベル医学賞だけじゃなくて平和賞も貰っていいぐらいだよ」

「そうねあなた、イワンさんの治療が南晩漠の暴走を止めたのですもの」

「平和って戦争が無いってこと?」

とエレナが聞く。

「そうだよ、銀総書記⾧はイワンさんを尊敬したんだよ」

「尊敬が戦争を無くすって前にパパが言ってたもんね」

「パパの言葉覚えててくれたんだね」

「うん、だってエレナはパパを尊敬してるんだもん」

当たり前の日常が本当に帰ってきた。


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