雑誌の存在価値

昔『CREA』と言う雑誌を女房が(当時の)買っていて、基本的に女性誌なのだが、中身がバリバリ哲学とか現代アートとかのコンテンツで満ち満ちていた。刺激的だった。まるで80年台の『花とゆめ』みたいだった。戦争漫画がセンターページにズバーンと載っていてまるで青年漫画みたいだった。かっこよかった。『CREA』は90年台。雑誌に勢いがあったんだなあ。


2024年、今の雑誌の価値ってなんだろう。価値があったとして(あるだろう)価格対価値のバランスはどうだろう? 労働賃金が高くなっている今、教師だって編集者だって給料を上げるためには最終的に市場に出す時の値段はあげないといけない。

#音楽についてもそれが言えるがそれは別の話。


文化として残すことに我々は貢献すべきか。あたかも被災地復興のために募金をするみたいに(不謹慎ですまん)。


類似の枠組みで既存のものがないかどうか考えてみた。ファンクラブの会誌とかは思い入れのある人が会費を払って代償を買う。雑誌と比べるとマスの規模が違う。しかし雑誌も売れなくなると月刊が隔月刊になり季刊になり、休刊になる。一気に休刊になるよりはマシ。行き着く先がファンクラブになるのかどうかはわからないが需要の延長線にはあると思う。

メディアの違いは大きく依存するだろうか? 電子版になったり、雑誌一まとめでサブスク対象になったり。それでも興味があるかどうかが本質的なところ。


『花とゆめ』はまだあるが『ぶ〜け』はもうない。器だけ残して中身を変遷させていくか(これはブランドを維持すること)、表看板が中身にそぐわないのでやめちまうか。


つまりはどんな時代でもワクワクさせてくれるものがあるかどうかかな。それが雑誌でなくてももはやいい。雑誌を作ることが目的なのか、媒体に関わらず主張したいもの伝えたいものがあるか。もちろん、雑誌という形態が肝心という意見は認める。

ファクスはなくなりポケベルはなくなり、デカイ携帯電話(ショルダーホン)はなくなり、デジカメはなくなり。それらは歴史として貴重だが本質的な役割を果たすのにそぐわなくなったからなくなった。

さて、雑誌はショルダーホンなのかそれともそれで伝えたい会話なのか。

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