第13話 和議の使者

 ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。


 変な音だ。身体が奇妙に振動している。

 肉体に戻ったカイルの視界に最初に目に入ったのは、補助をしているファーレンシアの右手だ。彼女の手はちょうどカイルの額に心地よく添えられていた。

「?」

 頭にあてがわれている枕が柔らかくこれ以上なく快適だった。ただ身体の振動は、なぜかまだ続く。

「お目覚めですか?」

 ファーレンシアの顔が真上にあった。

「?!」

 心地よいのは、ファーレンシアの膝枕だと気づいて、カイルは驚くと同時に焦った。慌てて起き上がろうとして、揺れにバランスを崩す。その身体をファーレンシアが支える。

「夜中までファーレンシア様の膝を占領するなら叩き起こすところでした」

 向かい側に座るやや冷たくシルビアが告げる。

 薄暗い箱型の部屋の中だ。さきほどから振動しているのはこの部屋だった。内装は豪華だった。ビロードの高級な長椅子が向かいあって据付られており、ファーレンシアと先ほどまで寝ていたカイル、その向かいにシルビアが外出着で座っていた。

 よくよくみるとファーレンシアも外出着だ。

「カイルが目覚めたので、適地で野営をしてください」

 小さな窓をノックして、シルビアが外にいる者に告げる。

「了解しました」

 返答したのはアイリのようだった。

「野営?」

「貴方が目覚めるまで、夜も移動していたのですよ。本来ならこんな無茶はしません」

「移動って……」

「こちらは馬車の中で、今、近衛隊とともに、西の地に向かっています」

「兄は和議の使者に私を指名しました」

 ファーレンシアが説明をする。

「は?」

 理解できずにカイルは聞き返した。

「ハーレイが正式の和議を提案したのは、ついさっきだよ⁈」

「兄は西の地にメレ・アイフェスが降りたったその前より準備していたようです。同行する近衛隊の選抜も、専属護衛への通達も、荷の準備も全て終えておりました」

 ファーレンシアは頬に手をあて、ふっと息をもらした。

「肝心な使者である私と、同行予定のシルビア様には一言もなしに、ですよ?相変わらず鬼ですわよね」

 カイルは、ウールヴェのトゥーラが「鬼」「鬼畜」の単語をどのように学んだのか悟った。

「サイラスは王都に残りました。メレ・アイフェスが全員不在になるのもよろしくないかと思いまして」

 シルビアは言った。

「西の地に、王の妹姫がおもむき、同行にメレ・アイフェス2名がつくことで、西の地との和議を重要視していることを世間に知らしめることも目的のようです」

「相変わらず、抜け目のない……」

「同感です。社交マナーと称して、私達に乗馬の特訓を科したのも、このためだったようです」

「――」

 あの時から、この和議の旅を計画していた――セオディア・メレ・エトゥールは世界の番人と同様、カイル達を掌で転がすことが得意なようだ。

 カイルは両手で顔を覆って、その事実を受け入れることにしばしの時間を要した。セオディア・メレ・エトゥールには一生勝てないのような気がしてきた。

「カイル様、大丈夫ですか?」

「……どのくらいで着くのかな?」

「通常10日の道のりを7日で走破する予定です」

「ファーレンシアの負担が大きくない?」

 ファーレンシアは微笑んだ。

「遠出も野営というものも初めてなのでわくわくしています」

「ファーレンシア様は別のことでもわくわくしているので大丈夫だと思います」

「シルビア様!」

「?」

 カイルは怪訝そうにシルビアを見つめたが、シルビアはそれ以上、語らなかった。

――高貴な方のため泊まる場所を整える必要がある

 ああ、ナーヤの予言はこれだったのか、と明日から準備で大変なことになるであろうハーレイに同情した。

「昼間、同調をされる場合は、この馬車を使っていただき、通常は馬で移動していただく予定です。カイル様の馬は、ミナリオが引き連れていますわ。カイル様には、先方に先触れを出していただく役をお願いしたいのですが」

「ハーレイに伝えるのはお安い御用だが、そんなに急がなくても」

「でもお早く、西の地に着きたいでしょう?イーレ様のご容態のこともありますし」

 それは確かだった。移動しつつ、イーレの元に残してきたウールヴェに同調できるということも、ありがたいことではある。

「問題はイーレが一緒に帰ってくれるかだな……」

「ああ、やっぱりそうなりますか」

 イーレをよく知っている主治医であるシルビアも、カイルの不安を否定しなかった。

「彼女が残ると言い出したら、どうするか、あらかじめ決めておいた方がよろしいですよ?」

「それ、彼女が残ることを前提にしていない?西の地から引き離した方がいいと言ったのはシルビアじゃないか」

「私の知るイーレがどちらを望むか、明白ですから。面倒なエトゥールの政治に巻き込まれるよりは、のんびり自然に囲まれて過ごす方を選ぶでしょうね。イーレの専門は先住民文化だし、目の前に研究材料が多数ある機会を逃すとは思えないのですが……」

「……」

 ファーレンシアが告げた。

「兄から伝言があるのですが……。『にだいかいじゅーだいけっせん』はエトゥールで行うことはまかりならん、だそうです。よくわかりませんが、意味、通じますか?」

「……」

 セオディア・メレ・エトゥールがカイルの逃げ道を封じたのは確かだった。



「さあ、どうぞ」

 馬車の座席に腰をおろし、ファーレンシアは自分のひざを軽く叩く。

「えっと……ファーレンシア、膝枕ひざまくらはさすがに……」

「でも、馬車の中で身体を安定して支えるには一番この態勢がいいのです」

「……メレ・エトゥールに殺される」

「あら、兄が最初に指示をしましたのよ」

「!?」

 メレ・エトゥールは何を考えているのだ!妹の膝枕を許容するなど!これは罠か?新手のメレ・エトゥールの罠か?

 カイルは疑心暗鬼の塊りに陥った。

「早くしてください。出立できないのは困ります」

 馬車に乗り込み、向かいに腰をおろしたシルビアが容赦ようしゃなくカイルを追い立てる。

「……シルビア」

「ぐだぐだ言わないでください。私は早くイーレの元にいきたいのですよ。それ以外の最優先事項はありません」

 知らない間に膝枕をされているのと、素面しらふのまま膝枕をされるのでは天と地ほどの差があった。

 カイルは羞恥しゅうちに耐えかねた。このあとちゃんとウールヴェに同調できるのだろうか。

「ハーレイ様への先触さきぶれの件をお願いしますね」

「う、うん」

 馬車の座席に横たわり、結果、ファーレンシアの膝枕を享受しながら、カイルはウールヴェに意識を飛ばすために目を閉じた。

 補助のためにファーレンシアがひたいに手をあててくる。相変わらず心地よい。どこか精霊樹の癒しに似ていた。

 シルビアが、ファーレンシアに親指を立てて合図をしたのを見たのは気のせいだろうか?


「……行きましたか?」

「はい、同調されたようです」

 にこにこにこ。ファーレンシアは本当に楽しそうだった。

 シルビアは外の近衛兵に合図を送った。馬車はゆっくりと動き出す。

「ファーレンシア様はカイルを甘やかしすぎです。お身体に負担はありませんか?」

「それが不思議なことにないのです。カイル様が遮蔽しゃへいの仕方を教えてくれたからでしょうか?」

「まあ、こういう能力を持つ者の基本訓練は、遮蔽しゃへいですからね。それを知らずに能力を使いこなしていらしたメレ・エトゥールとファーレンシア様にはびっくりです」

「こうして、カイル様のお力になれて嬉しいですわ。膝枕ひざまくらも私だけの特権ですわね」

「ですから、甘やかしすぎですって」

「でも、シルビア様は私の味方をしてくださるとおっしゃったではありませんか」

 にっこりとエトゥールの妹姫は微笑む。シルビアは白旗しろはたをあげた。

「味方ですが、カイルは相当鈍いですよ?苦労すると思いますが」

「それ、兄にも言われました」

「さすが、メレ・エトゥール。人の本質を見抜く才に抜きんでてますね」


 ウールヴェは命令通り、イーレに寄り添って休んでいた。

 同調したカイルは、イーレの顔色と呼吸が正常であることを確認してから寝台より降り立った。

「ほら、来たぞ」

 ハーレイはちょうどナーヤ婆の元で、眠っているイーレの様子を見つつ、朝食をとっているところだった。どうやらナーヤ婆はカイルの登場を予見よけんしていたらしい。

「おはよう、カイル。食事はどうだ?」

『おはよう、ハーレイ、お婆様。僕はいらないけど、あとでウールヴェこのこが欲しがると思うので頼むよ』

「ナーヤ婆とも話していたが、イーレは俺の家に移そうと思う」

『いろいろ迷惑をかけて、すまない。でもハーレイが見てくれるなら安心だよ』

「それより、とっとと要件を言った方がいい。時間は貴重だ」

 ナーヤがカイルに促す。この老女には本当に適わないとカイルは苦笑した。

『和議の使者団が昨日、エトゥールを出立した。使者はメレ・エトゥールの妹姫、ファーレンシア・エル・エトゥールだ』

 ハーレイは食べていたパンを取り落とした。

「……エトゥールの妹姫が……来るだと……?エトゥールの王族が西の地にくるなど、前代未聞ぜんだいみもんだぞ?!」

「あたしゃ、昨日言ったはずだが」

「ナーヤ婆、そういう重要なことは、もっと詳しく忠告してくれっ!」

「そうしたら、つまらんだろ?驚くことも、また人生」

 ナーヤは平然と茶を啜る。

『僕もお婆様の能力には、感服しているんだけど……まさか、メレ・エトゥールの動きが、ここまで早いとは思わなくて…』

 ウールヴェに同調したカイルが申し訳なさそうに告げる。

「いつ到着予定だ?」

『昨日出立で7日で走破する予定だと言っていた』

「すると今日から6日か。ずいぶん急いでいるな」

『イーレの保護も目的としているので』

「……規模は?」

『近衛兵20名、姫、侍女2名、僕を含むメレ・アイフェス2名、専属護衛は計5名だ』

「……総勢30名か……」

『近衛兵は村の外で野営ができるので、数に含まなくていい。女性が6名いる』

「ん?姫と侍女2名とメレ・アイフェス1名と……」

『専属護衛の2名は女性だ』

「……護衛が……女性?」

『護衛対象が女性だと身の回りの関係上、女性が都合がいいこともある。まさか風呂で男性が護衛するわけにはいかないだろう?』

 赤裸々な例えにハーレイは納得した。

『女性に対する粗相そそうだけは絶対に困る。メレ・エトゥールのことだから、西の民に偏見のないものを選んだと思うが、異文化であることはよく通達してほしい』

「わかった」

「あたしが目を光らせておくよ。あたしに逆らう者などいない」

『ありがたい』

「あと他に気をつけることはあるか?」

『言葉の問題かな?西の民の言語を僕たちは知らない。通訳がハーレイのみになってしまう』

「ああ、確かに。それは心もとないかもしれないな。俺の補佐役もまだそれほどエトゥール語はうまくないし、どうしたものか……」

「お前に特訓してやろうか?」

 にやりとナーヤが笑う。

「ただし安くはない」

『こわいな、お婆様。どれだけふっかけるの?』

「伝承が知りたいなら、西の民の言語の習得は必要だ」

 ばっと、白い獣はハーレイを見たが、彼は首を振った。

「まだ話してない」

『……お婆様、その先見、恐ろしいほどだよ。どれだけ規格外なんだ』

「お前さんだって規格外だろ。茶髪のメレ・アイフェスがいつも嘆いておるようだ」

『――』

「なんじゃい、茶髪のメレ・アイフェスが気になるんかい」

『――茶髪のメレ・アイフェスは無事?』

「まだ旅の途中だな。戻ってくるから安心せい」

『そうか』

 カイルはほっとした。

『お婆様、僕以上に規格外だよ』

「あたしゃ審神者さにわにすぎんよ。知っているのは世界の番人だ」

『……ああ、ね……』

「カイル!」

『ごめんごめん、村の中では言わないって約束だったね』

「大丈夫、お前さんの横に、その白い精霊獣がいれば、多少の暴言は見逃してもらえる」

『これ、僕のウールヴェだよ。精霊獣じゃない』

 ナーヤはハーレイをにらんだ。

「なんじゃい、ちゃんと説明していないのかい」

「……いや、どっから説明していいものやら」

『?』

 ごほんとハーレイは咳払いをする。

「カイル、普通のウールヴェは他人としゃべらない」

『……はい?』

「多少の意思の疎通はできるが、使役者以外の他人としゃべらない」

『……えっと?』

「しゃべるとしたら、それは世界の番人の祝福を受けた精霊獣だ」

『……………………』

 カイルの反応に、ナーヤとハーレイは顔を見合わせた。

「固まっておるのう、まさか本当に知らんかったんかい」

「そんな気はしたんだ。ナーヤ婆、こういう場合の対処は?」

「知らんわい。エトゥールではこういう基本を教えないのかい。いささか問題じゃないかね」

『……これ、街でメレ・エトゥールに買ってもらったウールヴェだけど』

「そうか」

『……使役ができるって』

「そうだな、俺も使役している」

『……大食漢というよりはよく惰眠をむさぼっていたけど』

「そうか」

『……周囲の言葉をきいて学習していくのでは?』

「まあ、多少学習してくれるが、しゃべらない」

『結構、語彙ごいが豊富で、鬼だの鬼畜だの大漁だの覚えているのだけど……』

「その語彙ごいの選択はおかしくないか?」

 ハーレイが真顔で突っ込む。

「誰がそんな言葉をウールヴェの前で使ったんだ?」

『……うん……まあ……なんとなく、心当たりが……』

「その大きさになったのはいつだ?」

『僕が意識を失っていた時かな……?目覚めたらこの大きさだった』

「ああ、世界の番人に囚われていたと言っていたな。ではその時だろう」

『なんで⁈』

「世界の番人の行動など、我ら一般の民の考えなど及ばん。正直なんで、そんなに忌み嫌うのか理解できないんだが。世界の番人の祝福を受けた精霊獣を身近におけるなど、最高の加護だぞ?西の民なら氏族しぞくおさに間違いなくなれる」

『……………………』

「嫌みたいじゃな」

「嫌なようだ」

『……僕の世界には……精霊も……世界の番人も……ウールヴェも存在しない……だから理解しかねるんだ』

「ほほう」

 老女は面白そうな顔をした。

「だが、こちらも精霊獣に意識を乗せられるものなどいないぞ。あたしでも無理だ。こんな風に会話はできぬ」

『それは、まあ、僕の特殊な能力なんだけど……』

「カイルが精霊の泉で急いで戻ったときに、残ったウールヴェと会話をしたのだが、かなり知性がある。ウールヴェの領域ではないのは確かだ。言葉もかなり流暢りゅうちょうだった。世界の番人相手に激怒したのはカイルで二人目だとか――」

『……それは事実だけど……』

「そこまで状況認識できるウールヴェなどいない。そういうことだ」

『……』

「まあ、どっちだっていいのだろう」

 ナーヤ婆は笑い出した。

「いやいや、ナーヤ婆、精霊獣だぞ?おさなら誰でも望む加護だ」

「この坊は、自分ときずなを結んだのが、ウールヴェだろうと、精霊獣だろうとかまわないんだよ。自分に加護も必要だと思っていない。どちらかというと周囲の自分に関わる人々に加護が欲しいと思っている」

『――』

賢者メレ・アイフェスらしいねぇ。無欲というか……おっと、ひとつ忠告じゃ」

『……なんだろう』

「お前の精霊獣は賢いからすぐ拗ねるぞ。今もこの会話を理解しておる。精霊獣だからといって、毛嫌いしないようにな」

 それは確かに必要な忠告だった。


「ど、どうしましょう、シルビア様」

 補助をしていたファーレンシアが狼狽うろたえる。

「何かありましたか?」

「カイル様が自分のウールヴェが精霊獣かもしれない、と知ってしまいました。かなり動揺されています」

「!」

「どうしたらいいですか?」

 シルビアは考え込んだ。

「彼に嘘や誤魔化しは通じませんから、ありのままの事実を告げるしかありません。逆にここで容赦なくカイルを追い込んで、精霊獣を認知させるのも手かもしれません」

 シルビアの過激な助言に、ファーレンシアはあっけにとられて、治癒の賢者を見つめた。

「……あのシルビア様……思考が兄に似てきていませんか?」

「影響は受けたかもしれません」

 さらりとシルビアは認めた。


 揺れる馬車の中で、カイルは目覚めたが、身体を起こそうとしなかった。頭をファーレンシアの膝に預けたまま無言だった。

「……」

「……カイル様?」

「……」

「……カイル様、大丈夫ですか?」

「……ファーレンシア、ウールヴェが喋らないって本当?ハーレイがトゥーラを世界の番人に祝福を受けた精霊獣だというんだ」

「……」

「本当?」

「……私と兄は、カイル様のウールヴェが変化していることに気づいてました」

「……どう違うの?」

「身体の大きさや、知性があること、言語を理解しあやつるところです。しかも使役者以外と会話が可能です。兄は、カイル様のトゥーラと会話をしていたようです。その……私やシルビア様しか知らない会話をトゥーラから聞き出してました。私やシルビア様のウールヴェにはできないことです」

 カイルは深いため息をついた。

「カイル、ウールヴェの成長は使役主の思念力に影響するのかと思います」

 シルビアが自説を唱えた。

「眠っているカイルの思念は、コントロールがなく、解放された状態に近いものでした。それを全部――そう、食らったような状態かと。ウールヴェは大食漢なのに、カイルのウールヴェはよく眠っていましたね。食の欲求がカイルの思念力で満たされていたのではないかと思います。だから私のウールヴェと違う成長を遂げているのかもしれません」

「思念喰いの生物だと?」

「その可能性はあると思います」

「……この世界はわけがわからない」

 カイルは再びため息をついた。

「ウールヴェが精神感応テレパスによって精霊獣に進化するのなら、古代エトゥール王に仕えた精霊獣は、八賢人メレ・アイフェスによって影響を受けたウールヴェの可能性があるじゃないか」

「……そこまで考えてみませんでしたね。ただ、その進化したウールヴェの呼称を精霊獣としているのかもしれません」

「あの……世界の番人の祝福を受けたものが精霊獣というのは……西の民の教えであって、エトゥールでは一般的なものではありません。ただ、精霊獣は特別なものです。害意はないのです。むしろ守護をしてくれます」

 ファーレンシアは一生懸命に言葉を紡ぐ。

「カイル様は精霊獣がお嫌いかもしれませんが、トゥーラは純粋に主人としてカイル様をしたっており、愛していますので、その……」

きずなを切ることはしないよ」

 ファーレンシアはほっとした。

「使役主が死んだらウールヴェはどうなるんだ?」

「姿を消します」

「ウールヴェが死んだら?」

きずなを結んだ使役主に衝撃がいきます」

「精霊獣は?きずなを結んだ人間が死ぬとどうなるんだ?」

「……わかりません」

 ファーレンシアは首をふった。

「西の民の方が詳しいかもしれません」

「ハーレイと占者にきくしかないか……」

「世界の番人に聞くのは……」

「絶対に嫌だっ!」

 シルビアは呆れたように見つめる。

「頑固ですね。世界の番人に素直にきいた方が、話が早いかもしれないのに。ところで、いつまでファーレンシア様の膝を占拠するおつもりですか?」

 シルビアの指摘に、カイルはようやく上体を起こした。

「西の民の占者が言葉を教えてくれるというので、しばらく同調することになる。西の民の言語があれば、この先便利だろうし、伝承も教えてくれるらしい。ファーレンシアは疲れてないだろうか?」

「大丈夫です」

「確かに言葉は通じる方が、いろいろ助かりますね」

「で、別の問題があるのだけど……トゥーラがねた。さっきから同調を弾かれる」

 シルビアとファーレンシアは顔を見合わせた。


 その日、ファーレンシア・エル・エトゥールを代表とする和議の使節団の昼食は、なぜか甘いパンケーキだった。




 カイルが機嫌を直したウールヴェに同調して、再び西の民の村を訪れると、村の様子が変わっていた。

 村の中央に多人数が入れそうな巨大な天幕が築かれつつあった。午前中にエトゥールの使者の来訪を告げたことを考えれば早い対応といえた。

 白い獣が現れても村人は今度は冷静だった。

 敬うような深い礼と共に、天幕の中を指さす。言葉は通じなくても、なんとなく理解はできた。

 予想通りに天幕の中で、家具や人々の座る位置決めの指示を出しているのは若長だった。ハーレイは白い精霊獣が姿を現したことに笑った。

「意外に早く戻ってきたな。もう少し時間がかかるかと思ったぞ。どうやって、精霊獣の機嫌をとったんだ?」

『パンケーキ20枚』

「は?」

『機嫌を直すのにパンケーキ20枚ほど費やした』

「それは美味いのか?」

『ここに着いたら、作ってもらおうか?シルビアの専属護衛の腕はたいしたものだよ。限られた材料から美味しいものを作りだす才にたけている。もっとも、まだねていたが、妹姫の懇願に機嫌を直したよ』

「精霊獣も妹姫には弱いのか。飼主に似たのかな?」

『……そんなことはない……と思う』

 やや自信の欠けたカイルの返答にハーレイは笑いを噛み殺す。

「不思議なものだな。エトゥール人とこんなたわいのない話を交わすようになるなど、想像していなかった」

『僕も不思議な気分だ。初めて会った時は、飢えた猛獣の餌として捕まったかと思ったよ』

「まあ、殺すつもりだったからな」

『ハーレイが加護持ちでよかったよ。こればかりは、世界の番人に感謝してもいい』

 ハーレイは笑い、歩き出した。

「女性達の宿泊所は、あちらに別の天幕を用意している」

『手数をかけてすまない。この和議に反対するものはいないのかな?』

おさの決定に逆らうものはこの村にはいない」

『他の村にはいると?』

「西の民で俺達の氏族が一番大きく、権力はあるが、敵がいないわけではない。西の民が統一されていたのは、はるか昔の話だ」

『氏族間の争い?』

「土地や水場の問題だな」

『水場……』

「南の魔獣が増えて、水場が使えなくなった氏族がある」

『水は深刻な問題じゃないか』

「そうだな。うちはナーヤがいるから、狩場や水場の確保ができるが、他の氏族には必ずしも優秀な占者せんじゃがいるわけではない。そうなると、狙うは、他の氏族が持つ水場だ」

『……』

「エトゥール人には理解できない争いだろう」

 ハーレイは自嘲気味に笑う。

「だから、この和議は我々にも利はあるのだ。エトゥールと敵対することがなくなるのだからな」

『僕は別のことを考えていた』

「別のこと?」

『水場の情報を提供して、小さな氏族を取り込めないかと』

「――」

 ハーレイは呆気にとられたように精霊獣を見下ろした。

「水場をどうやって?」

『必ずしも難しいことではない。地形の高低差や気象、地下水脈からある程度は予測できる。そういう専門のメレ・アイフェスもいる』

「そんなことが?」

『そのメレ・アイフェスとは、今連絡がとれないから、それについては後日だな。でも上空から水場を探すことはできるよ。今、僕がウールヴェに同調していることを、野生の鳥でやればいい』

「……面白い」

『とりあえず和議が終わってからの話だけどね』

「そうだな」

 ハーレイは思い出したように、カイルに告げた。

「イーレは俺の家に移した。会うか?まだ眠っているが」

『うん』

 ハーレイの家は、若長という地位にもかかわらず意外と小さかった。カイルはすぐに気づいた。ここは、ハーレイが妻と子を亡くしてから過ごした家で、彼は10年以上も一人で住んでいたのだ。

 質素であまり生活感がなかったが、以前カイルが羊皮紙に描いた絵が壁に飾られていた。カイルがハーレイの記憶から拾い出した彼の亡くなった妻子の絵だった。あとは彼の物であろう弓や槍、剣が置かれていた。

 イーレは奥の部屋に寝かされていた。カイルはそっと近づいた。棚には一羽のふくろうがとまっており、ハーレイのウールヴェだとすぐにわかった。ふくろうは獣の出現にもおとなしかった。

『……イーレ?』

 彼女はまだ眠ったままだった。

『ファーレンシア、シルビアに聞いてくれるか?イーレは眠らせたままの方がいいのか?』


 しばらくしてからファーレンシアから返事があった。

『シルビア様は眠らせたままがいいと言っています』

『わかった。遮蔽しゃへいをかけておく』

 カイルはイーレに遮蔽しゃへいをかけ、それから部屋を癒しの波動で満たした。

 ハーレイは戸口でカイルを待っていた。

「彼女はどうだ?」

『僕たちが着くまで、まだ眠らせておく』

「そうか。ナーヤ婆がカイルの言葉を教えるといってるが、このまま向かうか?」

『そうだね、お婆様に聞きたいこともあるし』

「彼女に何かあれば、俺のウールヴェが気づく。いってくるといい。俺は準備の方で手が離せない」

『わかった』

 カイルは占者せんじゃの家に向かった。


「さあさあ、時間はないじゃろ」

 ナーヤは白い獣の顔を見るなり言った。

『待って、お婆様。教えてもらう対価が何か、聞いていない』

「言ったら逃げだすから、言わん」

『逃げたくなることを要求するんだ』

「妹姫のためと思えば、耐えられるだろう」

 カイルは少し顔を赤らめた。

『お婆様、その言い方は誤解を招く』

「誤解も何も、お前が認めてないだけじゃ、この頑固者が」

 カイルが反論する前に、ナーヤは簡単な日常的な動詞から教え始めた。カイルが難無く覚えると、特徴的な名詞に移った。その日は、それで終わった。

 翌日は文法的な言い回しになった。熟語から短文までの日常的用語だった。ナーヤは教え方がうまかった。だが、スパルタで、カイルがぼんやりしていると、木の盆が飛んできた。2度ほどウールヴェの頭を直撃した。

「これぐらい、けれんでどうする」

『お婆様、僕は今、ウールヴェに入ってるし、僕に西の民の運動神経を求めないで』

「言語の習得より若長に身体をきたえてもらえ」

『ハーレイはイーレと同じタイプだから、僕が死ぬ』

「1回死ぬのも2回死ぬのも変わらん」

 カイルは虚を突かれた。この老女は、降下前に心拍停止した事件までも知っているのだろうか?それとも、単なる比喩ひゆなのだろうか?

「ほら、次は儀礼的表現に行くぞ」

 丸めた羊皮紙でウールヴェの頭をはたかれる。口より手が出る早さは、イーレといい勝負だった。

 カイルが驚いたことに、ナーヤの教えは、西の民のハンドサインにまで及んだ。

『……お婆様、それは狩や戦闘時の西の民特有の秘密言語では?外部に教えちゃ駄目でしょう』

「お前にだけじゃ。将来必要になるかもしれん。獣の姿では習得が確認できぬから、人間に戻ったら、試験をするぞ。あたしが時間をいて教えているんじゃ。不合格は許さん」

『……不合格だったら?』

「ハーレイが若者向けに教える鍛錬たんれんに放り込む」


 カイルは必死に覚えた。


 ナーヤのおかげで、村人達の会話はある程度理解ができるようになった。和議については賛否両論のようだった。おさとその一行の命を救ったメレ・アイフェスには好意的のようだったが、さすがにそのメレ・アイフェスが獣の姿で村を闊歩しているとは思うまい。

『ハーレイ、獣の正体がエトゥールのメレ・アイフェスだと明かさないの?』

「精霊獣の方が、和議の吉兆の印だと受け入れやすいからだ」

『ああ、エトゥールでもそんな傾向があったなあ』

「あとは、精霊獣にメレ・アイフェスが宿っているとなると、皆が混乱する。俺もうまく説明できない」

『……確かに』

「あとは、カイルにありのままの西の民を見てほしいと思ったからだ」

『僕に?』

大災厄だいさいやくでこの地が滅んでも、カイル達の記憶にはこの光景を残してほしい」

『――』

「あの時、牢で出会ったえにしは精霊の導きだと思っている。カイルがいなければ、俺達は死んでいたのは間違いない。そして、俺の言葉を証明してくれた。感謝している」

『……』

「あの時から和議までたどり着いたのは奇跡に等しい。我々も争いばかりを好むわけではない。ましてや、大災厄だいさいやくなどの前では争うことは愚かだ。例え、エトゥールとの和議が上手くいかず、敵対することになっても、俺はカイルに協力したいと思っている。そして賢者メレ・アイフェスは、エトゥールも西の民も越えて、平等に物事を判断してくれると信じている」

『……平等に判断すると約束する』

 カイルは静かに言った。

『大丈夫、大災厄だいさいやくは止める。それが何かを今探している。そのために僕は地上に残っている。それに大災厄だいさいやくをとめたら、やりたいことがあるんだ』

「何を?」

『――世界の番人を殴る』

「……カイル」

『不敬だと言うんだろう?わかっている。でも大災厄を止めたら、一発殴る権利ぐらいあると思うんだけどな?さんざん振り回されているし、僕が地上に滞在する元凶なんだから、一発は殴る。絶対に殴る』

「……頑固だな」

『世界の番人、お墨付きの頑固さだからね。そうじゃないと世界の番人とはつきあえない』

「……そうかもな」

 ハーレイは納得し、笑った。

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