Scene 3

 その白い花の名は、勿忘草ワスレナグサ――。


「突然声をかけて申し訳ありません……その花を、ずっと見つめておられたので」

 パメラを前にしたインヴィディアは声を震わせ、

「ご迷惑なら、すぐに立ち去ります……」

 拒絶を恐れるあまり、返答を待たずにきびすを返そうとするが、

「隣、座りますか?」

「は、はい!」


 そして沈黙の時が流れ……

 

「実は、ここの庭に植えようか悩んでいたんです」

「その勿忘草を、ですか?」

「はい。この子、季節外れに咲いた花なんです。……前に住んでいた場所で見つけたのだけど、だいぶ弱っていて……」

 パメラは遥か地上そらを見上げ、

「わたしの元では、生きられない花なんです……」

「……」

 悲し気に微笑んだマスターの姿に。

「陽の当たる地上であれば……元気に咲くことができるかも知れませんね」

「地上? ひょっとして、お姉さんは地上そらから来たんですか?」

「はい。用があって、この都市を訪れました」

「本当ですか!?」

 ぐいと顔を近付けてきたパメラに、インヴィディアは赤面し、

「地上ってどんな場所なんですか? わたし、行ったことがなくて」

「そ、そうですね……ええと……」

 二人は互いの名を明し、しばしの談笑を楽しみ、

「インヴィディアさん……でしたよね?」

「はい」

「よかったら……この子を貰ってくれませんか?」

「この花を……私に?」

「この子の名前を知っていたから。……でも、それ以上になぜだろう。あなたなら、とても大切に育ててくれると思った」

「……」

 勿忘草には、有名な花言葉がある。


 ――“わたしを、忘れないで”。


 それは、久遠の愛――祈り……。

 植木鉢を手にしたインヴィディアはまぶたを震わせ、

「この命に代えても……必ずや御守りいたします」

「ふふ、大げさですよ」

 微笑み返してくれた少女を、優しい眼差しで見送り……。

「出てこい、ドラゴン

「……」

「盗み聞きとは良い趣味だ。汚らわしい黒トカゲに相応しい」

 物陰から現れたAIに視線を向けることなく皮肉をぶつける。


 そして一触即発の空気が流れる中、


「彼女は、お前のマスターか?」

「そうだ」

 AIの問いに、インヴィディアは隠すことなく返答し、

《随分と正直に答えるのね、リヴァイアサンの死徒。自分のマスターが殺されるかもしれないというのに》

「実体を持たぬ出来損ないの貴様ではなく、その傀儡が代わりに殺すのか? 怠惰の魔皇よ」

《……っ!》

 意識に流れ込んできたアケディアの信号こえを跳ね除け、

「いずれにせよ無意味なことだ。あの御方は、既にリヴァイアサンの操者ではないのだから」

「どういうことだ?」

「あの御方は別の人生を歩んでいる。……私に操られていた頃の辛い過去の記憶を消去し、世に災いをもたらす魔皇ではなく、人間ヒトとしての人生を」

「……」

「あの御方は自らの意思で生き、自らの決断で死ぬ。……もはや私が干渉できることはない。私に出来ることは、ただ見守ることだけ」

 インヴィディアは手にした花を見つめ……。

「それでもマスターを殺したければ殺すがいい。その時は己の選択を自嘲わらい、貴様らごとこの世界を滅ぼすだけだ」

 死徒を形どっていた極小の鋼糸が渦巻き、

「それが出来ないのであれば、早くあの御方の前から去れ。……本当の悪魔である私と戦いたいのであれば、いつでも相手をしてやる」

 再びリヴァイアサンへと帰還するインヴィディアの姿を、AIは静かに見つめていた。

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