Ⅰ白のポーン 4. 魔法アイテム工房3

「お前は馬上試合には参加しないのか?」


 エンドが小フロストに乗って森の道を進んでいる時、後ろから声を掛ける者があった。エンドは振り返ると、真っ赤な大馬に乗ったいかつい騎士がそこにいた。エンドが“騎士”だと認識したのは、短く刈った黒い髪の上に騎士の証である金の髪飾りをつけていたからであるが、しかしその印象は“騎士”というより“武人”であった。


 武人は穂先が変わった形の槍を手に持ち、紺碧色の瞳に力強い光をみなぎらせていた。


「私は派手な性分ではないので、あのような騒がしい場所には行かない」


「ほう。俺も馬上試合の華麗さは自分の性じゃない。しかし、荒稼ぎしながら強い者と渡り合えるので嫌いじゃないから行くつもりだった。馬上試合では、負けた側から身代金を取れる。参加者の中には、それで食っていく奴も混じってる。そんな輩の中には、強い騎士ばかりを相手にして、高い金を取ろうとすることで腕を磨いた奴もいる。そういう奴は名誉だの正義だのを考えず、ただ純粋に勝つために戦う。そんな戦いは俺好みだ。騎士というより戦士だ。そういう奴と渡り合うために馬上試合に行くつもりだった。


 戦士はわざわざ弱い者を相手にする愚はしない。そうしていたら、腕が衰えいつか自分が身代金を巻き上げられる。だから手練れとばかり戦う。だから強い。俺は強い奴と戦うのが好きだから、良家の騎士だろうと腕の立つ奴なら、金は取らないでも勝負を挑む。だが、戦士が相手なら、強い奴と戦えて気兼ねなく金が取れる。俺にとっちゃ一石二鳥だ」


 赤い荒馬に跨って話す目の前の武人は、豪気な笑みを浮かべた。


「ただちょっとそこいらの騎士より戦い好きだということさ。俺の名はバスク。お前は?」


「エンドワイズ・ジェイン」


 エンドは相手の名を聞くと、チェスの参加者リストに赤のナイトとしてその名があったことを思い出した。


 エンドが自分の名を告げると、バスクは太い首元から銀のクロスを外し、エンドの前にかざして見せた。クロスに嵌め込まれた赤い石が、太陽の光で輝いた。


「エンドワイズ、馬上試合ではなく、ここで一戦してみないか?」


 バスクは瞳に挑戦の色をあらわにし、楽しそうにそう言った。


 エンドはこの風変わりな騎士がそう嫌いではなかった。むしろ自分の名声を求めて止まない良家の騎士より理解できた。バスクは純粋に勝負を楽しむ。そして容赦もしない。それも悪くはないと思う。


 エンドは手合わせを承諾した。


「クロスはいずれ大事な時に賭けたいので“試合”は容赦してくれ」


「ああ、本当は俺もそんな仰々しい作法はわずらわしくて好きではない。勝負は槍の突き合いではなく、打ち合いだ。俺のこの槍はその戦法向きだ。見たところ、お前の魔槍はその戦い方でもいけるだろうと思ったのだが?」


 エンドは了承した。ちなみに馬上試合では、馬を駆けての槍の突き合いがメインとなる。


 バスクがクロスを掛けなおすと、二人は槍を構えて向かい合い、互いの馬を繰り槍を打ち合わせた。頭上で火花が散った。


 バスクの持つ槍は、穂先に三日月のような刃が片側に付いていた。バスクは戦いながらその変わった槍の経歴を話した。


「この槍は東大陸の大昔に使われていた武器だ。骨董武具の町ティルスで見付けた。商人の話では、前の持ち主は荒れ馬に乗り、乱世の中、一人で天下を揺るがし大陸中を駆け回った異種族の血の混じった豪傑だったそうだ」


 打ち合いはいつまでも続いた。二人はお互い勝ちを譲らず、延々と渡り合った。


「エンドワイズ、お前、物静かな騎士のようでいて、実はそうとうな負けず嫌いだな」


 バスクは魔槍を己が槍で抑えながら、にいっと笑ってエンドに叫んだ。


「ふつうの名家の騎士なら、戦って相手が己と同等だとわかると、途中で勝負を切り止めてしまうものだ。が、お前は決着が着くまで戦いを放棄するようなことはしないのだな」


 エンドは反対に、バスクを見た目の豪放さとはうらはらに、力任せはせず、細かいミスも見落とさない鋭い感覚の持ち主だと思った。バスクは豪傑にありがちな力頼みの荒い攻撃はしてこなかった。見た目の通り、間違いなく人より強い腕力を備えている。しかし自分の膂力に対する過剰な自信は持っていないのだった。力の配分をわきまえ、冷静な観察眼で相手の隙を見逃さず、その剛力で確実に一撃を狙う。それは力任せの槍捌きでは到底勝てない強い者ばかりを選んで戦ってきたからなのだろう。互いにこの勝負は負けられない、と感じた。


「これなら、クロスを賭けても惜しくはない」


「ああ、俺もそう思っていた。どうだ、エンドワイズ。クロスを賭けた“試合”に切り替えないか? これならチェスプレイヤーとして、魔法本に残しておくのもなかなかいいだろう!」


「そうだな。悪くない!」


 エンドは高揚した気分で試合を承知し、いったん両者は馬を止めた。


 その時、森の奥で人影が動いた。その人影は表に出ることなく、その場で静かに剣を抜き、素早く短い呪文を唱えた。エンドが宣誓のためクロスを外し、バスクに注意を向けているその瞬間、人影の持っていた長剣が発光した。突然、辺りは真っ白に塗り込められたようにまばゆい光に満ち溢れた。急な光の爆発に、その場にいたエンドとバスクはとにかく腕で目を覆った。


 その光は、特に熱くもなかった。しかし、他では受けたことのない不思議な感覚を覚えた。それはふうっと自分の存在を忘れてしまいそうな感覚だった。空間、というものが無くなり、意識のみが残った。それは心細い存在で、時を経るうちに失念し、消えかかった。存在する、という認識から離れぬようエンドは己の意識を守った。光は数分間続き、その間慣れない白い空間では二人は目を閉じているのがやっとだった。


 そのうち光が止み、森の緑が再び現れた時、エンドは手にしていたクロスが無いことに気付いた。その盗人が、赤のポーンのフーガという魔剣使いだとは、後から知ったことである。


 エンドはその事態に気付くと、急いで盗人が逃げそうな方角へ小フロストを走らせた。後ろでは、状況を把握したバスクが我に返って、「決着は預ける! 必ず……!」と短く叫んだ。


 しかし、クロスが見付かることはなく、試合は行われなかった。エンドはそれから方々を探し回ったが、フーガを捕まえることは出来なかった。





「パズル、私は今回こそ“ナイト”としてバスクと決着を付けたい。だから赤の城まで必ず行く」


 しかしパズルはこの親友の真っ直ぐな心が、またトラブルに巻き込まれるのではないかと心配していた。


「今回は僕もエンドと一緒に行きますよ」





 今夜はパズルが夕食を作り、遠方から来た旧友を労った。


「今夜は腕によりをかけたご馳走ですよ、エンド」


 パズルは食卓に料理を置き、エンドの向かいの椅子に座った。色鮮やかなパエリアが饗された。エンドは白ワインに口を付けると、パズルに礼を言った。親方は一人工房で明日までの修理品と向き合っていた。


 二人は食事を終えると、旅立つ前のゆったりとした夜のひと時を楽しんだ。


「チェスとは不思議なものだな……」


 エンドが独り言を呟いた。パズルが「どうしました?」と答えた。


「先の旅の中リアとも話したが、チェスと異界の関係は深い。異界に連なる聖杯城が現れるという伝説があったり、チェスを作った技術が異界の鏡の国の者が関わっていたりするなどだ」


「そういえば、チェスにはこんな不思議な詩もありますね」


 パズルが詩を歌った。




『夏の夜は長くて短い。

 古の魔術師が創りしゲームに

 王は己の力を戦わす。




 クロスを賭けしつわもの達は

 夜の黒が訪れし度に

 身体を休め、異界を夢見る。




 異界は塔の中に町があり

 女神たちが書物を語る。




 アリスが姿を見せる年に

 “クロスを持つ司書”が現れる。

 かの者は旅人となりてチェスに参加し

 ゲームの参加者たちと競う。




 かの者が女神と会うなら

 異界を探す者を助ける』




 その古くから在る詩は、叙事詩とも予言詩ともとれた。作者は古の名も無き吟遊詩人だった。この詩は西大陸では子どもでも知っている有名な詩であった。


「今年も彼女は魔術の探究をするのか……」


 エンドは静かに呟いた。


 その晩エンドはパズルと飲み明かした後、その場で深く眠り込んだ。

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