Ⅰ白のポーン 4. 魔法アイテム工房1

 職人見習いは、作業台の片隅に置いてあるエメラルドを見つめていた。


 古代からエメラルドには、疲れた眼を癒す力があると言われ、一日中細かい手作業をする物作りの職人たちの傍らには、この石を置く習慣があった。


 職人は、現在自分が制作している水滴形の弦楽器を大事に抱えながら、眼鏡を外ししばし製作の手を休めて、ぼんやりと己が工房の歴史に思いを馳せていた。


 足元には、木屑や金属片や、色とりどりに輝く魔宝石の欠片が散乱し、それらに加えて、熱を帯びた紅蓮色の羽やら、冷気を放つ小さな薄青色の花弁など、魔力を持つ様々な小物が床一面に散らばっていた。


 作業場の壁では、歴代の匠たちが手がけた、見事な細工の剣や槍、きらびやかな斧や弓矢が、黙然と職人を見守っていた。それらには、すべてさまざまな意匠の天秤の紋章が印されていた。




 この工房では職人はみな、その姓に創始者の名を借り、その作品に天秤の紋章を刻む。そして、一定期間修行をし、そののち親方となった者は、みずから創始者マイクロフトの名を号す。親方の中で、特に優れていると認められた者は、自分独自の紋章を持つことができる。紋章は、この工房を表す天秤模様を基調とし、その形や皿の中身に、独自の個性を示すことができる。


 工房の始まりは古い。創始者マイクロフトは、もとは武器を作る鍛冶職人であった。古の職人は、剣や槍などの武器をより強度にするために、魔力ある鉱石の研究を重ね、また魔法使いたちから魔法を教わり、武器により優れた機能を付加するよう努力した。これが魔法アイテムの始まりであった。


 古代の青年王は、魔法アイテム工房を手中に収めることにより、西大陸の盟主になれたと伝えられている。その時代、武器を扱う魔法アイテム工房は、一国の軍事力そのものであった。その時、王と工房の間を取り持ったのは、アルビノの魔術師だった。


 かの魔術師は、得意の軽やかな弁舌とその魅力で、すでに代を重ね確固たる信頼を築いていたマイクロフトの工房が、青年王の専属鍛冶屋となるよう説き伏せた。魔術師は町の当主マイクロフトに、その見返りとして、伝統ある工房が戦乱で失われることがないよう、町に異空間魔術を施した。工房からは誓約の証として、王に剣を捧げた。


 今回、この職人がチェスに参加する国の王も、青年王の血筋を引くと言われている。何かしらの古い縁が働いているのかも知れない、と職人は思った。


「パズルー! 表にお前の古馴染みの客が来てるぞ」


 職人は、親方の聞きなれた低く深みのある声を耳にすると、ふと我に返り、その知らせに顔をほころばせた。


「はい親方! 今すぐそちらに行きます!」


 そう弾んだ声で答えると、職人は眼鏡を掛け直して、手にしていた弦楽器を作業台の上にそっと置き、飛ぶようにその場から駆けていった。その首元には、マイクロフトの工房で働く者の証である、天秤の紋章が描かれた金属板の首飾りとともに、白石の嵌め込まれた小さな銀のクロスが揺れていた。






 工房町イリュイトは、湖の下に町を持つ。といっても、鏡の国のように水の中で人が生活しているわけではない。町は地上と同じく、鍛冶場や工房が石畳の通りに立ち並ぶ職人町である。しかし何も知らない旅人たちには、そこは湖面に霧が漂う大きな湖に見える。


 イリュイトに入るには、その畔で湖に武器を投げ入れる。すると町の見張り番が、空間のはざまを伝って小船を湖上に浮かべて訪問者をその船に乗せる。湖上を進むうちに霧は深くなり、訪問者は気付くと川辺にいる。その時、案内役の見張り番は、先ほど湖に捧げられた武器を返す。訪問者は舟から岸に降り、そこから続く道を歩くと町に着く。


 ちなみに、湖に人が飛び込んでもこの町へは行けない。町の住民が町に入る場合、湖に沈めるのは、その身につけている自分の所属する店や工房を示す装飾品である。


 この湖は、もとは空間をさまよう湖だった。ある時は砂漠の上を水で潤し、またある時は山の奥で静かに湖水を湛え、数十年から数百年で別の場所に移動するという、豊かな魔力をひそめた湖だった。湖に覆われた地は、姿は隠れてしまうが、存在はなんら変わる所がない。


 魔術師は、この湖をイリュイトに呼び寄せ、町の空間にこれを重ねた。そして湖が再びさまようことなくとどまるようにし、町を守る防壁としたのだった。


 このような湖を介して魔術を施した町は、西大陸には意外と多い。ちなみに、どんな偉大な魔術師であっても、何の魔力も持たない湖を動かし、これを行うことは無理である。


 湖と空間が重なるイリュイトは、町の外れに出ると森が広がる。町中には大きな街道が一筋通っていて、一方は見張り番小屋のある川の畔に出て、もう一方は地上の街道へと続く。町外れの川を遡るか、もしくは下ると湖上に出る。ちなみに川の向こう岸もまた森になっており、町を囲む森はどこでも、歩いていると地上に行き着く。


 パズルは工房の来客用の入り口に駆けつけると、不思議な湖を渡って町に訪れ、親方に挨拶をしている旧友を見つけた。


「エンド! エンド! いらっしゃい! よくうちに寄ってくれましたね! さぁ、奥に入って下さい! 今日はこのまま泊まるんですよね!? 夜ご飯は精一杯ご馳走しますよ! さぁ早く、伝えたいことがあるんです!!」


 喜び一杯に旧友を向かえると、パズルはじっくり話すため、すぐさま仕事場へとエンドを案内しようとした。


 エンドは明るくせっかちな友人の歓迎に少し微笑した。その場で椅子に腰掛けて注文品の短刀を磨いていたパズルの親方は、立ち上がってこのはしゃぐ弟子の肩をぽんぽんと叩き、優しさの込もった声で、「まぁ、待てよ。この客人の土産話を聞いてきな」と低くささやいた。


 パズルが興味を持って静かになると、エンドはパズルがこの場に来る前に先に親方に話した話を友人にも語って聞かせた。


「私は四日前、アラネスで小マイクロフトのランタンを持つ者と会った。彼は光を照らすことができないと言われてきた闇の森で、ランタンの明かりをつけていた。名はリアといい、今回同じ白のポーンとして参加している。これからまた白の王城で会うかも知れぬが……」


 それを聞いてパズルは緑色の瞳を輝かせ、エンドに「本当ですか!?」と聞き返した。


「小マイクロフトのランタンって、かの職人がチェスに参加した時、相手ルークの作るダンジョンでも火を灯せるようにと、自らが作ったとされる二重天秤のランタンですよね? まさかそんな伝説の宝物が今でもあったなんて、信じられないです! はぁ……、僕も使ってるところ見たかったなぁ」


 そう言って若い職人見習いは憧れのため息をついた。小マイクロフトの作品は、主に武器だけを作っていた青年王時代の大マイクロフトとは違って、冒険者の必須アイテムが数多く、現代の多種多様にわたる魔法アイテムの優れたお手本として、職人はその作品をできるだけ多く見たいと思うものだった。しかし残念ながら、小マイクロフトの作品は、失われているものが多く、またその骨董品的価値ゆえに、ほとんど表に出てくることもなかった。それを持てる者は、たいていが冒険とはほとんど無縁の富者だった。


「あぁ、嬉しい知らせをありがとうございます、エンド。それじゃ、作業場で魔槍のメンテナンスをしましょう。さぁ行きましょう」


「おう。今日はゆっくりしていけや」


 親方の歓待の言葉を背に、パズルはエンドを連れて、先程の作業場へと向かった。


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