Ⅰ白のポーン 3. 魔剣使い4

 そうして二人が森の道を歩いているさなか、突然一歩先の足元に茶色の羽の矢が突き刺さった。すると、次の瞬間轟音とともにグラグラグラッッと地面が大きく揺れた。突然の衝撃にリアは鹿に強く掴まり、エンドは驚く小フロストを抑えた。


「ポーンはチェスの華! 赤のポーン、生け捕り名人ピコット・ミル! ただいま登場!」


 その少女の高らかな声は、旅人たちの樹上から降ってきた。


 リアは大地の震えが止むと、さっと鹿から飛び降りて、いつでも魔法陣から召喚が行えるよう、樫の杖でこつんと一つ地面を叩いた。地に細かい幾何学模様が描かれた淡い緑色の光の輪がぽうっと浮かび上がった。


 一方エンドは、小フロストを落ち着かせると、魔槍を強く握りしめ低く呪文を呟いた。と、槍の穂の付け根に嵌め込まれた魔法石が淡く光った。空気がピシピシッと鳴り、槍の持ち手の目の前に固い氷を張ったような防壁が現れた。


 ピコットは地上に着地すると、背に負ったえびらから素早く灰色の羽の矢を一本抜き取り、それをさっと自分の足元の茶色い地面に突き刺した。その途端、弓手の背後を守るように、地上から岩の砦が轟音を立てて突き出した。


 弓使いは立ち上がると、新たに薄紅色の羽の矢をつがえて、相手に向けてゆっくりと弓を引きしぼった。リアとエンドは次の魔法の矢に備え身構えた。


 紅白はお互い対峙した。


「初めまして、白のポーン!」


 弓使いは弦を引く手を緩めずに、好戦的な調子で高らかに挨拶をした。その瞳には、若く軽々しいそぶりとはうらはらに、幾多の戦いを経験してきた者が持つ鋭く強い光を帯びていた。


「なぜ私たちを狙った?」


 エンドは重々しく問うた。その問いに、ピコットは明るく元気よく簡潔に答えた。


「腕試し!」


「この矢の羽には、天秤の紋章があります。これは大マイクロフトの魔弓ですね?」


 リアは地に刺さった矢をそっと杖で示した。その質問にピコットは我が意を得たりと笑った。


「大当たり! 今回、同じ大マイクロフト製の魔槍使いが現れると聞いて、自分の受け継いだ魔弓がどれだけ使えるか、手合わせ願いたかったワケ! 私の家は代々、古の職人が作った傑作“魔弓”を伝えてきた弓使いなの。


 その矢には魔法が込められていて、さっきのは“地の矢”って言うの。刺さった物を振動させるのよ。砦を作ったのが“石の矢”。矢は全部で六種類二十四本。どの矢も人や動物に刺さっても、物理的な矢傷しか与えないのね。物や木や魔力にしか魔法は効かないってワケ」


「……では今、お前一人だな?」


 エンドは相手に鋭く尋ねた。


「ええ! 魔槍の気配を追って来たの。でも、ここに赤と白が揃ったんだから、まだ誰か来るかもね! チェスはプレイヤー同士を引き付けるっていうから!」


 そう言うとピコットは黙々と引き絞った弓を斜め上に向け、薄紅色の羽の矢を軽く宙に放った。矢は放物線を描いて魔槍の防壁の上を飛び越え、リアとエンドの背後の、少し離れた地点に突き刺さった。


 今度はその矢の先から小さな火が熾った。火はその地点から左右に街道を横切り、地に紅蓮色のラインを引くように走っていった。線は森の奥まで半円を描くように両端に広がると、それはいきなり森の木の頂を抜け天に向けて突き上がり、森を分断し退路を塞ぐ大きな炎の壁を作った。しかし火に触れているはずの、周囲の木の枝が焦げている様子はなかった。


「これは“火の矢”! でも、これは実際には何も燃えていない幻惑魔法。だけど通り抜けようとすると熱いわよ。追跡用の“風の矢”以外、どの矢も一定の時間が経つと、魔法が切れるの。そして使い終わった矢は……」


 と言うと、ピコットは弦を一度爪弾いた。その途端、先ほど地を揺らした茶色の羽の矢が小刻みに震えて地面から抜け出した。そして見えない糸に引っ張られるように弓使いの背中のえびらにすっと収まった。


「ね? 回収も便利でしょ? こまめに回収しなくちゃならないのが、ちょっと不便なのよね。これで私の武器は一通り紹介したわ」


 ピコットは不敵に目を輝かせると、新たに二本目の薄紅色の矢を弓のつるにあてた。エンドはピコットが次に真正面から矢を射掛けるのを悟ると、リアにそっと呟いた。


「リア、魔弓使いは引き受ける。相手は魔槍が目当てだ。リアは他の者がここに突然現れないか注意を頼む」


 リアは頷くと、肩の上のサイトをさっと空に向けさせた。


 ピコットは狙いを定めると、魔槍の防壁の中央の一点目がけてひゅんと矢を放った。魔槍の防壁と魔弓のやじりがぶつかり合う。瞬時に現れた炎の壁が防壁を支える者を圧す。ピコットは先ほど作り出した岩の砦の影へぱっと隠れた。


 空間が震え、爆風が両方向に吹きすさんだ。辺りには土煙が立ち込めた。


「お見事!」


 魔弓使いは岩の砦から出ると、魔槍の防壁が崩れることなく、相手が魔弓の矢を完全に受け止めたのを確かめて、手を打って喜んだ。


「魔弓と魔槍は互角ってトコね。相手に不足なし!」


 ピコットは地に倒れていた一本の薄紅色の羽の矢を弦をはじいて回収しながら、そう小さく呟いた。だが突如、いまだ残る土煙の中から、一陣のかまいたちがピコットを襲った。ピコットは素早く再び岩の砦に隠れた。かまいたちの正体は、円盤状で回転した風の刃だった。攻撃は土煙の奥から、間断なく弓使いの砦に迫った。


 辺りが晴れても、魔槍使いは手を休めることなく、岩の砦を狙った。


 魔槍の放つ魔力がぶつかり、岩の砦がすうっと薄れた。一陣の風の刃がピコットの頭上をかすめて過ぎ去った。攻めは続き、強い魔力に相殺され砦は消失した。


 砦が霧散し風の刃をかわし切れないと分かると、ピコットは弓の下を両手で掴んで、剣を構えるように、長弓を真正面に構えた。無音の刃が迫る。弓使いは魔槍の放つ空気の刃を受け止めた。風が止んだ。


 ピコットは舌打ちした。


「今ので弓を痛めたわね」


 そうぼやくとピコットは木に飛び移り、ひゅう、と短く口笛を鳴らした。と、森の空の向こうから、ばさ、ばさ、ばさっと何かがゆったりと羽ばたく大きな音が近付いてきた。森に風が起こり、だんだん強まってきた。


 空で見張りをしていた大鳥が、こちらへ向かう新たな客を出迎えて、威嚇するために元の大きな姿に戻った。現れたのは、小竜だった。


「安心して! 私が呼んだのは、商人の乗るドラゴンよ! 同じ赤のポーン“運び屋”ルーマから、赤の者はチェスの間、希望者にだけ移動手段として小竜を拝借できるの」


 そう説明すると、ピコットは木の上で停泊する小竜にひょいと飛び乗り、背に腰掛けると弦を空弾きした。地上に一本残っていた炎の矢がえびらに帰還し、森を寸断していた炎の壁は、その姿が薄らいだ。


「また会いましょう! 白のポーン!」


 小竜は羽を広げ、上空を翔け上がった。

 弓使いが去ると、大鳥は降りてきた。

 天を衝く炎の壁が消えた時、突然、その後ろで待ち伏せていたらしき緋色の髪の少年が姿を現した。

 古びた長剣を構えたその少年は、リアとエンドの虚を突いてただ一言短く呪文を唱えた。するとその柄に嵌め込まれた真珠色の魔法石から、瞬時に森を飲み込む白い光の嵐が発せられた。

 光は森の緑や樹木や地面の茶色をすべて白一色に包み込んだ。その場にいた者たちは、これを放つ剣士以外まばゆい光に目がくらんで動けなかった。


「リア!! 急いでここから立ち去れ!! この光が目をくらましている間に、奴がクロスを奪う!!」


 リアは突然の襲撃に気をとられていたが、エンドの注意を喚起する叫び声でさっと我に返った。まわりは強烈な光で覆われていたが、手探りでそばにいた鹿ココアに飛び乗り、とにかくその場を離れようとココアを走らせた。その矢先、背後に人が迫る気配がした。

 リアは首元のクロスをぐっと握りしめながら、夢中で辺り一面真っ白な光の中を鹿に乗って駆け抜けた。

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