Ⅰ白のポーン 2. メイヤーの店3

 この情報屋は、町の裏通りの奥まった少し分かりづらいところにある。そして店には看板はなかった。しかし、旅に長じた冒険者であるならば、誰でもこの枯れ蔦の絡まる灰色壁の酒場を知っていた。


 店の中は少々暗く、いつも色々な職業の者たちで混み合っていた。ここでは客同士で仕事の仲介や斡旋、パーティの仲間集め、情報の売買、そしてチェスの最新情報や裏情報が取り交わされていた。客たちは店に持ち込まれた耳寄りなクエストの話に耳を傾け、護衛の募集や暗殺の依頼をささやき合い、ある時は店の中央で賑やかに、ある時は隅の一角でひっそりと、自分が持つ人や国などの情報をやり取りしていた。


 その中で店の主こそ耳の早い者はいない。メイヤーは気に入った人物としか交渉をしないくせの強いおやじであったが、僧侶から呪術師まで顔が広かった。


 メイヤーはリアが店に入ると早速カウンターに引き寄せて、リアの耳元でささやいた。


「やぁ、坊主。白い巨人の件はうまくいったようだな。今日は店でもチェスの話題で持ちきりだ。魔術師の町エルシウェルドの付近では、早くも紅白のポーンが出会ったそうだ。


……ところでお前“駒のクロス”を捜してるんだったな?」


 店の主はそう言うと、店の奥の方に一人で座っている若い黒髪の男を意味ありげに顎で示した。


「お前の来る少し前に来た。この店には初めて来た客だが、他の客の話だと、騎士のような風采で立派な白馬を持ちながら、その馬には乗らないで、ただ横に連れ添ってきただけだそうだ。白の王都の方向に向かっているらしい。馬飼いじゃあるまいし、あれはゲームの期間中、絶対馬に乗れない“ポーン”かも知れないという噂だ。


 ……それともう一つ、ついでに教えてやろう。これは確かな話だが、白の都の近くサランという町に、リュージェっつー変わり種の白のポーンがいる。そいつは何でも普通の冒険などしたことがない、学者然とした奴だそうだ。それどころか、家からもあまり出ない牡蠣みたいな奴らしい。あだ名が“影絵師”。それがどうゲームに関わるつもりか俺にはわからないが、お前がこれから王都に向かうんなら、少し寄り道してみてもいいんじゃないか? 白のポーンさんよ?」


 メイヤーは、あごに手を当て上目遣いにリアを見やった。


「ありがとうございます、メイヤーさん」


 リアはメイヤーに礼として、一つ二つ旅の土産話をした。店の主はリアに自家製の蜜酒を振る舞い、愛用の使い古したパイプを燻らせながら、古い馴染み客の話を愉快そうにしばらく聞いた。この情報屋では、遠い土地から帰ってきた冒険者の旅の話が、一番の報酬となる。リアは先ほどの白い巨人との契約のいきさつから始まって、その時必要となった巨人の病を治す薬をもらうために、白い手の乙女の城を往復した時の道中で見聞きした話をメイヤーに伝えた。


 話が一段落すると、店の主は他の客の相手を始めた。今夜は特に混んでいるようだった。客たちは皆、メイヤーから今日始まったばかりのチェスの情報を仕入れようと、または自分が手にした裏情報を高く売りつけようと、酒杯片手にカウンター席を行きつ戻りつしていた。


「久しぶりだな、店主。これで何かいい情報を」


「銀貨十枚、なら金の瞳を持つ、赤の闇の僧侶ブラックベリの生い立ちなんてのはどうだ?」


「やぁ、親爺。今年は白の王が青年王の末裔だから、店もいつもより客が多いようだな」


「ああ、賑やかなことだ。チェスの中でも今年は百年に一度の大祭だな。で、お前は何を売りに来た?」


「おう、メイヤー。今朝方“名なしの森”で“アリス”が現れたらしいって話は――」


「そんなこととっくに知ってる。酒もやれねぇ。出直して来な」


「情報屋はどう思う? アルビノの魔術師が予言した“聖杯城”に至る騎士は、今年こそは現れると思うか?」


「さぁな。今まで誰も辿り着いた者がいない伝説の城なのだから、何とも言えん」


「ま、そうなんだが。お、ビールか。いつも悪いな。ところで気が早い話だが、来年のチェス参加国に、西海岸の小国が円卓会議の僧侶連に働きかけているって噂は耳に入ってるだろ?」


「ああ、まだ十代の若い女王の国だろう。口癖が“血祭りだ!”らしいが、今まであまり話題に上ったことのない国だな。……で、その話はいくらだ?」


「さすがメイヤーだ。話が早い。銀貨二十五枚だ」


 リアは空の酒杯を置き、そこからそっと席を外すと、薄暗い店の奥へと向かった。


 件の黒髪の青年は、何か思いの中に沈んでいるような難しい顔をして、一人でグラスを傾けていた。テーブルの傍らには、柄に蔦が巻きついたような細工のある古びた槍を立てかけていた。頭に西大陸の騎士が身に付ける金の髪飾りを付けているので、この青年は騎士の家の生まれであるのだろう。


 青年はリアに気付くと振り向いて、黙したまま隣の席を空けた。リアは隣に座ると、青年に声をかけた。


「先ほどは闇の森にいらっしゃいませんでしたか?」


 リアは闇の森の中で、他にも誰かがいるような感じがしていた。それがこの青年だったかどうかは当てずっぽうなのだが、何となくそうかなと思った。


 青年は落ち着きのある低い声で答えた。


「気付いていたのか。私もあの巨人の件で仕事しようと、森に入っていた。私の場合、槍で巨人を退治するつもりだったのだが。しかし闇の森でも明かりを灯せるランタンを持つ者がいようとは思わなかった。宜しければ、ランタンの由来を聞かせて頂けないか? 魔法アイテム工房で見習いをやっている友がいるので、旅の土産話にそこで語って聞かせたい。……私の予想では、そのランタンは数百年前の不世出の魔法アイテム職人、小マイクロフトが、チェスに参加したときに作ったものではないか? 外れていたら酒場でのたわごとと思って勘弁してくれ」


 小マイクロフトとは、約五百年前に西大陸に生まれた、歴史上最も優れた腕を持つ魔法アイテム職人である。彼自身が作った作品は今ではほとんど残されていなかった。それゆえ珍しく、伝説の品といっても過言ではなかった。ちなみに、大マイクロフトという同じ工房の職人もいる。大マイクロフトは、それよりさらに千五百年古い、武器を専門とした腕の立つ職人である。かの者は、青年王とも縁が深く、その作品は世界宝級であると言われていた。


 リアは青年のきまじめそうな話し振りに、少し好感を持って答えた。


「はい。本当にお詳しいのですね。あれは以前パーティを組んだ友人から譲って貰った、僕の少ない宝物の一つです。確かにランタンには、小マイクロフトの二重天秤の紋章があります。とても貴重なものだから、限られた時しか使ったことがないのですが」


「やはりそうか。よいことを教えてもらった。友が大はしゃぎしそうだ。しかし決してその工房以外で口外することはない」


 そう言うと青年は、その友人のことを思ったのか、ふっと微笑した。


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