Ⅰ白のポーン 2. メイヤーの店2

 そうしてキルクと別れの挨拶をすると、リアは教会を去り、町中の行き着けの店に宿をとった。それから先ほど教会で渡された報酬を、必要な分以外を聖騎士銀行に預けると、これからの長い冒険に備えて、雑貨や食料品などの調達のため、商店が軒を連ねる川沿いの大通りを散策した。


 夕暮れの街は賑やかだった。長いローブを羽織った賢者と、腰に竪琴を結わえた若者が連れ立って歩き、古の勇者のいさおしを笑いながら語り合っていた。その横では、小さな荷馬車が通りを軽快に駆けて行く。たまに、馬車からひらりと漆黒の葉が落ちる。すると、町を歩く猿飼いの背から白き猿がぴょんと跳び降り、石畳の道をすばしこく横切った。灰色の石の道の上に、ぽっかり小さな穴が開いたような一葉の黒い葉を、猿はさっと拾い上げて、背の籠に大事そうにしまい込む。猿飼いは相棒に追いつくと、ふたたび優しくその背におぶった。


 川の上の石橋では、きらびやかな銀の甲冑を身にまとった騎士の二人連れが、これからかの者たちが向かう城の主の話に打ち興じながら、愛馬と共にゆっくり歩を進めていた。橋の先では、年若い従者たちが、今宵の宿を探しに、人ごみの中を軽やかに駆け回っている。


 その橋の袂では道化師姿の旅芸人が、アコーディオンを踊らせながら、おどけた口調で歌っていた。


「うちの女王は気が荒い。

 敵陣目掛けて天馬駆り

 守りを固めた相手の城で

 揃って居並ぶ兵たちを

 きっと空から睥睨し

 試合を挑む斬り込み隊長!

 なんと言っても女王は、王の三倍気が強い。


 


 剛毅な女王の突貫の

 後を続くは怜悧な騎士。

 血気に勇む女王は

 騎士の援護を背に受けて

 次から次へと来る者と、丁々発止と斬り交わす。

 なんと言っても女王は、王の三倍働き者さ。




 なだれ込んだは王の間で

 王はのそりと起き上がる。

 逸る女王の猛攻を

 王はゆるりゆるりと受け流す。

 なんと言っても女王は、王の三倍せっかちだ。




 呑気なルークが戦場に、そろりと現れ王手詰み」




 今日はいつにも増して人通りが多かった。その人の流れの一つは教会へ向かい、もう一筋は町中の酒場へと吸い込まれていく。


 リアは商店街の通りにあった一軒の旅道具屋に入った。賑やかな大通りの半ばにある鞄マークの立て看板が目印である。


 店ではリュックサックや肩掛け鞄などの鞄を始め、鍋や食器などの調理具や、モンスター回避のアイテムや、長い旅の中での便利な小物などが置いてあった。


 店に並ぶ棚の多くは鞄が占める。旅道具屋で売る鞄は、容積以上に荷が入る。城や酒場で爪弾く楽器を仕舞うことも、無人の原野を長い年月渡り歩くための荷を運ぶこともできる。高価なものなら小屋さえ収まるものもある。容量は大きければ大きいほど高価になり、冒険者は旅をして実力を上げ、大きな鞄に手を伸ばす。


 店の中に並ぶ物には、風変わりなものも多い。ある棚には、小さな風見鶏が並んでいる。教会の三角屋根の頂で風向きを示す、かの鳥と同じ姿である。が、こちらは旅を助ける友となる。薄い体は風の吹く方を向き、細い足はいつでも北を向き続け、朝には時を作る声が目覚ましとなる。餌は不要である。一人旅の者や、幼い冒険者などに多く好まれ、小さな旅仲間として肩や鞄に乗せて歩く。


 リアはカウンターの前に立ち、その奥の棚に置かれた小さな籠に目をやった。その中には銀色の山があった。中身は唐辛子である。形や大きさは料理で使われるものと変わらないが、人は口にしない。これは“鉱物芥子”と呼ばれ、野生のモンスターはこれを食することを嫌う。森の道で大型モンスターに遭遇した時、その大きな口の中に放ると、ひととき魔物の動きを麻痺させることができる。西大陸に伝わる古い詩には、空間を渡る三頚の翼竜をも遠ざけると歌われている。冒険者は常に鞄に備え置く。


「鉱物芥子を一袋お願いします」


 馴染み客の声に、店のおかみは奥から笑顔で出迎えた。


「ええ、いらっしゃい」


 店の主は、籠をカウンターに置くと、据付のスコップをざくっと突き刺し、客の渡した空の巾着に、ざざーっと銀の芥子を流し込んだ。リアは代価を支払うと、鞄の横ポケットに巾着をしまった。


「はい。相棒のココアにも、うちの店特製のおまけだよ」


 おかみさんは、手作りの鹿用のクッキーを包んだ小袋を馴染み客に手渡した。この店では、馬や鳥や小動物などの旅人と連れ添う生き物のための、お菓子などの軽い食べ物や、小皿や杯などの旅道具も揃えていた。リアは親切ななじみの店主に丁寧にお礼を告げて、店を出た。


 旅道具屋で必需品の補充を済ませると、次にすぐ横の店へと足を寄せた。隣の店は地図屋である。


 地図には魔法がかかっている。一般的な新しいものなら、一枚の地図で現在地からの縮尺を数種類切り替えられる。隅に描かれた縮尺記号を右になぞれば拡大し、左に擦れば縮小する。高価な物なら、一国分の地理情報のすべてが一枚で確認できる。地図屋ではメンテナンスも請け負うので、手持ちの物を最新の情報に更新したり、新しく訪れた土地の情報を追加したりするために訪れる旅人が店の主な客であった。


 店では古地図も数多く揃えている。それらは今は失われた遺跡の場所を示したり、昔の魔術師が一定期間になると現れるように魔術で隠した場所の位置を表したりする。遺跡探索などのクエストを望む冒険者は、地図を買う。良品の集まる地図屋には、冒険者は事あるごとに顔を覗かせ、町の近くを通ればしばし寄る。反対に地図屋は冒険者から貴重な地図を買い取り収集する。冒険とは結びつかない古い地図は、記録の乏しいいにしえの歴史を現すものとなるため、国の歴史家や学者が足を寄せて買い集める。


 小ぢんまりとした店内には薄く広い箱が陳列棚に規則正しく整然と収まり、年を重ねた古い地図やら最新の仕掛けが施された織物のような地図が棚の上に広げられていた。こげ茶色のカウンター越しから、背の低い老夫が挨拶をした。


「やぁ、いらっしゃい。リア・クレメンスさん。チェス参加おめでとう。良かったら、今回のゲームが終わった後に、チェスプレイヤー用に配布された地図を譲ってくれまいかねぇ。三十二枚しか製作されない王家勅命の特注品だから、新版の地図の中でも最も精密だし、チェスにまつわる小物を集める好事家の中にも買い手があってねぇ」


 リアは軽く挨拶を返すと、しばし店の品を眺めた。壁掛け大の大きな地図が、カウンターの横に掛けられていた。色鮮やかに描かれたそれは、西大陸のすべての国を表していた。それぞれの国の中には飾り文字で花の名と王家の紋章が記されていた。リアは地図の前に立ち、杖で下隅に表された年代の文字を一つ軽く叩いた。すると、国境が変わり、時代を遡った百年前の地図が現れた。それをひととき眺め、再びトンッと地図を叩いた。客人はノックと鑑賞を交互に続けた。時代は古くなってゆく。トン、トン、トンッとゆっくりいくつかノックを続けるうちに、二千年前の地図が浮かび上がった。当時は大陸が百五十の国に分かれ、北西側の国の一つ現在地の辺りには、歴史的に有名な青年王の国があった。ちなみにこの地図は、端を持って揺さぶれば全大陸を総覧できる世界地図となる。


 店主は珍しき地図を前に佇む常連客に、ゆったりと言葉をかけた。


「三百年前の地図は、まだ動いてるかね?」


 リアはこの店の主人に一度、動かなくなった古地図を修理してもらったことがあった。魔法のかかった古い地図が傷んだ時、それを繕い治すのも、地図屋の仕事である。リアが礼を込めて頷くと、店主は笑った。


 それから二言三言挨拶を交わして店を後にすると、リアはいくつかの店で食料の補充を済ませ、宿屋で鹿ココアと旅に付き添う大鳥たちの夕食の世話をした。


 そしてすっかり暗くなった頃、リアはアラネスに来た目的である、隠れ路地の情報屋メイヤーの店へと足を運んだ。

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