Ⅰ白のポーン 2. メイヤーの店1

 リアが森を抜けた時、西の方ではすでに日が傾きかけていた。


 リアは森の出口でいったんココア色の鹿を止めると、ランタンを消灯して鞄の中に丁重にしまった。その間、大鳥たちは、オレンジ色に暮れなずむ空の中でゆったりと羽ばたきながら、しばし待った。召喚士は、ライムグリーンの瞳で大鳥たちを見上げた。


 リアは鳥たちに話しかけた。


「これから一月半くらい、僕は“チェス”というゲームのプレイヤーとして、色々な町を旅しなければなりません。サイトとカイヤ、いつものようにお手伝い宜しくお願いします」


 召喚士は緑色の三角帽子を取ってぺこりと頭を下げた。すると、それに応えるかのように、人が乗れるほど大きかった鳥たちは、姿が徐々に小さくなっていった。しばらくし、鳩ほどの大きさまで縮むと、サイトと呼ばれた大鳥の片割れは、リアの左肩にちょこんと止まり、もう一方のカイヤは鹿の角にゆったりと降り立った。


 これは、召喚士と交わした契約のためである。大鳥たちは、召喚士の仕事を助ける代わりに、自分の体の大きさを、自分でいつでも自由に変えることができる契約を結んでいた。魔力を持たない生き物たちは、よく召喚士とこのような契約を交わす。リアは見つめる鳥たちに微笑んだ。


「お世話になります。……ココアもよろしく」


 そうささやいて鹿の首を軽くなでると、草を食んでいた鹿はゆるりと乗り手に首を向け、穏やかなまなざしで見つめ返した。リアは再びアラネスへと向かった。






 闇の森の隣町アラネスは、美しい二本の川が街の中を交差して流れる、珍しい町であった。二つの川は同じくらいの川幅で、一の川は南北に沿って地上を流れ、もう片方の二の川は東西に走り、一の川との交差地点は石橋の上を通って流れていた。石橋の真ん中には小さな滝のように、二の川の水が少しだけ一の川に流れ落ちるように仕掛けられており、その場所は西大陸の町でよく見かける噴水広場のように、人が集まる町の中心地であった。


 昔から、尋ね人のいる旅人や良縁を求める若者は、アラネスを通った時、その滝つぼに魔法石の欠片を投げ込むという習慣があった。別に何かの神に祈っているわけではないのだが、二本の異なる川が重なるというところが、決して会うことができない人にでも会えるような霊感を人々に感じさせていたからだった。


 川の交差地点を町の中心とし、一の川に沿って商店と闇の葉を保管する石造りの倉庫が立ち並び、それを魔法アイテム工房へと運ぶ荷馬車が通りを行き交っていた。ちなみに、一の川は運河としては機能せず、二の川が闇の葉を運ぶための道として使われることもなかった。


 そしてこの町で一番目立つのが、白き猿を背負うアラネスの猿飼いたちであった。彼らは寝るとき以外、ずっと仕事の相棒を背負っていた。この猿飼いたちの奇習は、もともと西大陸には生息せず、遠く中央大陸から連れてきたこの生き物をとても大事にしてきたことを物語っていた。そのため、白き猿と猿飼いたちが採取する闇の葉の富で暮らすアラネスの住民は、町を支える猿飼いたちの影響を受けて、全体的に動物やモンスターを大切にする気風があった。


 街に着き、リアは最初に教会へ足を向けた。西大陸の冒険者たちは、出発の朝はその日の無事を、帰還の夕べは息災の感謝を祈るために教会へ立ち寄ることが多かった。またチェスの間、教会では僧侶からゲームの進行状況を聞くことができる。チェスのプレイヤーは、時には本陣である王城から伝令を受け取ることもあった。


 入り口前の花壇の横に鹿ココアと大鳥の片割れカイヤを待たせると、リアは石造りの堂々とした建物の中に入って行った。


 教会では横窓のステンドグラスを通過した西日が、整然と並べられた木製の長椅子と白い通路の上に、鮮やかな七色の光を落としていた。今は町の人は誰もいなかった。


 少し待つと、奥の方からゆったりとした青い僧衣に身を包んだ、顔なじみの僧侶キルクが現れ、柔らかな笑顔で旅人を迎えた。


「お仕事お疲れ様でした、リアさん。闇の森の巨人が召喚登録されたのを確認しました。これでアラネスの人も猿も白い巨人も救われました。これが町の人たちからのお礼です」


 そう告げるとキルクは、依頼主であるアラネスの猿飼いたちの代わりに、リアに報酬の金貨を手渡した。西大陸では、町の住民やギルドが結束して冒険者に仕事を依頼する時、教会の僧侶がその仲介をする。


 リアが謝礼の入ったずっしりと重たい皮袋を受け取ると、キルクは早速リアにチェスの話を始めた。ちなみに今朝、プレイヤーが必ず所持する、駒のクロスと地図と参加者をつづった巻物を渡してくれたのも、この僧侶だった。クロスを受け取る町はその国の直轄領、同盟都市、緩衝都市のみである。相手の国の直轄領や同盟都市ではクロスは受け取れない。


 キルクは朗々とした声で、夕刻の鐘の音と共に白の王城から届いた情報をリアに教えた。静かな教会に、僧侶の声が響いた。


「八月一日。チェス第一日目、晩鐘の知らせです。今日は各町でプレイヤーたちが旅立ったり出会ったりした話が伝えられています。ですが、クロスを賭けた“試合”はありませんでした。


 白の王都から訪れた伝書鳩の伝令では、今朝と同様、白のポーンのプレイヤーさんたちは、引き続き、特に旅先が決まっていなければ、王都へいらして下さいとのことです。もちろん行動は自由です。用事や約束のある方は、そちらを大事にして下さい、とも記されていました。リアさん個人に宛てられた手紙はありませんでした。


 もう一つ。この町に、白のポーンさんがお一人いらっしゃいます。小さな町ですから、簡単にお会いできるでしょう。これで今日のチェスの話は終わりです。古の魔術師が作りしこのゲームに祝福あれ!


 ……それと、これはいつもの“お土産”です。リアさんの探し人が見つかるといいですね」


 僧侶は簡潔に情報を伝え終えると、懐から深緑色の石の欠片の入った小さな巾着を取り出して、それをリアに手渡した。リアはゲームの情報に、この町に同じ白のポーンが一人いる、ということ以外、特段何もなかったことを確認すると、キルクに贈り物の礼を告げた。


「いつも魔法石をありがとうございます、キルク。うーん、彼は隠れるのが得意だから、何度アラネスの二重川に願掛けしたことか……」


 リアはそう言うと渋い顔を作り、少し肩をすくめて見せた。キルクはそれを、ただ温かく見つめた。このようなやり取りは、リアがこの教会に立ち寄るたびに交わされていることだった。両者とも、これが久しぶりに会った時に交わす、なじみの挨拶のようになっていた。


 キルクは、いつからか、アラネスに訪れると必ず二重川に足を寄せるリアに、願いを込めて川に投げ入れる魔法石の欠片を用意してくれるようになった。この親切な僧侶は、二重川に祈りを捧げる者たちに、無償で魔法石の欠片を渡しているのだという。


 キルクの話では、川に投げ込まれた魔法石は、数年に一度、アラネスの住民が定期的に川さらいをして、再び川のほとりの露店に並べるそうだった。石を購う者にとっては、一見、アラネスの住民に荒稼ぎをされているように感じる話だが、魔法石の収益は、その数日間を要する川浚いの少ない手間賃にしかならないのだという。


 キルクは、川浚いで魔法石をすくい上げた時、町の人たちから、少しばかりその石を分けてもらっている、ということだった。だからこのお土産は遠慮無用です、と初めて石を渡された時、僧侶は大らかに話したのだった。


 教会に陽気な話し声が近づく気配がした。夕方から晩にかけて、教会では町の住民や旅の冒険者が、僧侶にその日のゲームの進捗を尋ねに集まる。リアは、これからキルクが忙しくなる頃合なので、小さな巾着を鞄にしまうと、いとまごいを告げた。


「それでは、また明日の朝も立ち寄ります、キルク」


「……そうそう、リアさん。出立前に、一昨年リアさんに、お城の書庫から届けて頂いた古文書をお返しします。では、汝リア・クレメンスの旅立ちが、良き邂逅を導きますように」


キルクは穏やかに微笑むと、旅人のために祈りを捧げた。

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