Ⅰ白のポーン 2. メイヤーの店4

 それから青年は再び難しい顔に戻り、沈黙が流れた。リアはしばらく寡黙な騎士の黙考を邪魔しないことにした。そばに給仕が通ると、リアは左肩で温和しく付き添ってくれているサイトのために、胡桃入りのパイを一皿注文した。二人の背後では、厚い新聞を持った常連客の猿飼いの青年の周りに、甲冑姿の女戦士や旅芸人風の一行など多種多彩な客たちが集まって、今日の正午に発表された、チェスのプレイヤー情報の話に花を咲かせていた。


 ちなみに、新聞社は西大陸全体で二、三社しかない。印刷は西大陸に移り住んだ鏡の国の者が行っているという。鏡の国の者とは、チェスの試合が記録される魔法本のように、実時間の出来事を自動筆記する本を製作できる一族である。だが新聞には、魔法本のように、リアルタイムに状況を伝える魔法はかかっていなかった。それは、新聞を発行する者が、鏡の国の者の中でも下位の者だからだとも、そもそも魔法本の原料となる湖の欠片が、新聞のような刊行物には向かないからだ、とも言われていた。新聞は、ほとんどがこのような情報を売る酒場か、自治都市の集会所などでとられていた。王城でも新聞を読む王は多い。枚数は多い日には、一日に五十~百ページも発行されることがあった。


 リアは少しの間、その期待にあふれた会話に耳を傾けた。


「今年はあの幻湖の町セラムの騎士ロッドが、白のナイトとして出場するってさ!」


「おぉっっ!! そりゃあ馬上試合が楽しみだ!! 今回はフロム様のご城下で催されるんだったよなぁ。うーーっ、おいらも武器屋の店番がなきゃ、見に行きたいぜ……っ!」


「あたしは見に行くよ!! こっから一日で行けるからね! 聞いた話じゃ、すでにお城にゃ騎士たちがぞくぞく集まってきてるっていうじゃないか!」


「いいねぇ! 戦士風の姐さん! 大会が終わったら、帰りにまたこの店に寄って、俺たちに観戦報告を聞かせてよ!」


「オーケー!! 猿飼いのお兄さん! 帰ったらたっぷり語ってやるよ!」


「ところで、おい! 赤のポーンの“宣伝人”って何だ? 聞いたこともないぞ。誰か知っとる者はおらんか!?」


「いんや! それより白のポーンの、“風見鶏養鶏業者”って何できるんさ? 何か応援してみたい気分」


「そんなら、赤のポーンの“運び屋”だってよくわからんぞ! “史料本製作者”つーのも大穴だなぁ。なあ、藤色ローブのご隠居さんに旅芸人の旦那?」


「ん? あれ? 確かこいつらって、去年も出場してたよな?」


「うん……? どれどれ?」


「……はい、お兄さん! お待ちどうさまだにゃ!」


 この時、客の間を軽やかに縫って、猫耳の女給がリアたちの座るテーブルに、先ほど頼んだパイの小皿と、二人分の白ワインをひょいと置いた。


「酒杯は店の主の祝杯だそうにゃ!」


 女給は片耳を立てて愛想良くそう告げると、忙しそうに人ごみの中に戻っていった。


 リアは甘い香りの立ち上るパイの小皿を引き寄せると、それを小さく切り分けて、左肩の青い鳥の前にそっと置いた。すると、サイトはリアの肩からテーブルの上にぴょんと飛び移った。そして一度リアを見上げて、青い羽を広げ「きゅるっ」と一言鳴くと、好物のパイをおいしそうにつつき始めた。リアは微かに笑むとグラスの方へ目をやった。


 店の主が届けた祝杯は二つ。気難しいメイヤーが、常連客以外に酒をふるまうことはほとんどない。耳の早いメイヤーが、何か情報を得たのかもしれない。リアはグラスの一方を手に取ると、水のように透き通ったぶどう酒に一口口をつけた。


 隣の青年は何かを深く考えている様子で、ずっと黙ったままだった。客たちの話し声もあまり耳にしてはいないようであった。青年は一人でぐいと二杯目のグラスを干すと、ぼんやりと壁の隅にかけてある古びた絵に目を留めた。それは、遺跡のような土色の塔が並ぶ、無人の町の絵だった。それを見て、青年はふと独り言のようにリアに語り始めた。


「この『塔の町』の絵は、どこの町でもどんな場所でも飾られている、世界中で最も有名な絵画であるが、その実、作者が誰であったか誰も知らない。この、大小様々な土っぽい塔が連なる、人のいない町というモチーフは、時代を越えて、色々な国々の画家が題材にしているが、誰もモデルになった町のことについては全く語らない。果ては、モデルとなった場所がどこかも知らずに描く者も多くいる。


 ある者はここを古代文明の遺跡だといい、またある者は古今東西の書物が集められた、異界の知の都と考える者もいる。いつも不思議な絵だと思う……。


 異界とこの世界の関係は不思議なものだ。アルビノの魔術師リン・アーデンも、異界と関わりある者だと言われている。チェスで使われている魔術も、異界の者から教えられた技だとも伝えられている。何千年経っても衰えることのない魔術。魔術師はこんな大規模な魔術をこの世界に残して、何をしたかったのだろうか。『探求者は塔の町にも行ける』……」


 青年の呟きを聞いて、リアはやっぱりこの青年はまじめなんだろうなぁと思った。『塔の町』の絵は、東西を問わず全大陸で見かける、ありふれた絵画である。どこか新しい町を発見したような気分のする魅力ある絵だが、その由来について深く考える者はあまりいない。黒い瞳に翳りがひそむこの青年は、気になることはずっと考え続けて、まわりを気にせず、とことん追究したくなる性分なんじゃないかな、と感じた。


 リアは食事の終わった青い鳥をそっと手に乗せ、再び左肩に添うのを助けると、青年の問いに答えた。


「『探求者は塔の町にも行ける』――何かを必死で究め知を求める者は、その存在が幻だとされる『塔の町』さえ行ける、ということわざですよね。僕も好きな言葉です。


 アルビノの魔術師がチェスを作った理由は、古くから色々言われていますよね。その当時、西大陸に百五十あった城の領主たちに、この大規模なゲームの参加を義務付けることで、国力を消耗させて、盟主である青年王に対抗する力を削ぐことが目的だったとか、領主たちにその国の武力を誇示できる場を与えることで、むやみに武力を試したがる衝動を抑えて、本当の戦を減らすためだ、など。他にも、ただ娯楽として民衆を楽しませるために作られただけだ、という話もありますよね。


 ところで、アルビノの魔術師が残した陽炎のような魔術が、たまにプレイヤーを驚かせることは、チェスの楽しみの一つですよね。例えば、数分で消えてしまう名前を忘れる小さな森が立ちはだかったり、旅の途中、地図には描かれていない湖に浮かぶ幻の古城が現れる、という伝説があったりします。


 プレイヤーは、そんな残された魔術を探すことで、アルビノの魔術師がチェスを作った理由を見つけられるんじゃないかなと思います」


「……魔術の探求か」


 青年は呟いた。

 リアはにこりと笑って、ここで改めて三角帽子を脱いで自己紹介をした。


「僕は白のポーンのチェスプレイヤーで、リア・クレメンスです」


「実はリアの名は闇の森の宣誓の時に知った。自己紹介が遅くなったが、私の名はエンドワイズ・ジェイン。去年正式な騎士になったが、訳あって今年白のポーンとしてチェスに参加している。武器は大マイクロフトの魔槍」


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