第9話 研究されるふたり

もちろん『実験』はメイだけではなく、獣形から変化できなかったルガにも及んだ。

別に痛いことをされたわけではないが、美味しくない草の汁を飲まされたり、魔法陣の中で一晩寝かされたり、新月と満月、そして半月の時にいろいろ体を調べられたりしただけである。

いったいアレにどんな意味があるのかわからないが、ムズムズする感覚しかなかったので、ルガは今だに気にしていない。


それ以上にメイは嫌な思いをした覚えがまったくなく、ユルヴェストルが研究したおかげで離乳食からゆっくりと幼児食と変えられ、入浴と十分な睡眠で飢餓寸前の状態から子供らしい成長を遂げていた。

そんなユルヴェストルが便利に使う『魔法』を見て当然のように自分もできるようになりたいと強請ったが、「メイコ、君にはまだ早いよ」と微笑まれてやんわりと断られるのが唯一の不満だったかもしれない。

ちなみにメイの正式な名前は今だわからず、ユルヴェストルが『迷子メイコ』と呼び出し、『ルーガルー』という種族名から黒い子狼を『ルーガ』と名付けたのである。

何とも安直だが、ユルヴェストルにとって名は単に個体を区別するための記号に過ぎず、それでも数字で呼ばれるより個々に付けられた『名』というものの方が反応が良く、しかも八キッできる能力も忠誠心も格段に上がるということがわかった。

そうなればユルヴェストルにとって『弟子が誰だか覚える』という相乗効果をもたらす利便となり、考えるという手間はあっても対効果を考えて使う必然性となったのである。

それがさらに縮まったのは、メイ自身が自分のことを呼ぶのに『メイ』と言い、『ルーガ』を『うが』と短く発音し、ユルヴェストルを『ゆうたん』と認識したためだった。



やがて二人は人の住む町に辿り着き、『旅館』という看板が掛かっている建物に辿り着いた。

「あ、これ、この形のとこ」

「うん、そうだな……うん、間違いない」

ある程度教育も施され、メイとルガが訪れる地の文字や言葉は叩き込まれているが、残念ながらユルヴェストルはすべての学問を修めているわけではない。

だから教えてもらっていることにも偏りや欠けが多く、この国の言語を司るもののひとつ『漢字』も意味は知っていても『形』として覚えている物が多かった。

その中でも『旅館』とか『ホテル』という言葉の形は人間のいる場所にあると安全だということを知ってからは、人型のルガと共に宿泊することにしている。

今メイとルガが見上げている建物も、少し寂れながらも間違いなくその『形』を貼り付けた看板をくっつけていた。


部屋に入ってすぐシャワーを浴びてユルヴェストルが準備よくメイの小さな腰バッグに入れておいたパジャマを羽織ったメイは布団に寝っ転がり、髪を濡らしたまま部屋に置いてあったいつのかわからない雑誌をめくっていた。

『あ~、すっげぇいいな、ここ!』

ふんっふんっと満足そうな鼻息で、やはり濡れたままのルガが浴室から部屋に戻ってきた。

石鹸やお湯は嫌だが、水浴びで魔獣たちの汚れを落とすのは嫌じゃない。

人型を保てるのはメイのそばにいて、しかも彼女と繋がりを示す銀の鎖と首輪がなければならないので、ユニットバスでは獣のままだ。

むしろそっちの方が都合がいいし、水浴びが遊びに変化してしまうと加減が効かずにメイに向かって噛みついたり引っ掻いたりする危険もある。

師匠であるユルヴェストルがいれば幼く脆い人間を守ってもらえるが、残念ながら今はいない。


だからこうやって別々に『入浴』したのだが──


『めい~~~~!!おまえびっしょびしょじゃないか!』

「んぁ?」

毛皮だらけのルガが獣型のまま濡れるのとは訳が違う。

ニンゲンが『濡れたままになる』というのは『病気になる』に直結することを、幼いメイが『風邪』という状態になったためにユルヴェストルは彼女を『ちょうどいいモノ』としてルガに教義を施し、何だったらこのまま悪化させて死ぬところまで観察させようとした時に知った。

もっとも獣型ルガが理解できたのはほんの一部で、むしろ早く何とか元の状態に戻せとガウガウ吠えまくり、ユルヴェストルは「せっかくいい実験体だったのに」とか何とか言いながらも弟子たちの中でやっていた『看病』というものを思い出しながら行い、高熱でうなされてまた死にかけていたメイが持ち直していく様を記録していった。

ルガ自身は自分がどうしてここまで種族の違う幼女を気にかけるのかを説明できず、しかし次第に健康体に戻っていくのに安心したものである。


な・の・に──


「もう──っ!ユルヴェストルが『濡れたままだとビョーキになる』って言ってただろう?!ほらっ!ちゃんと乾かせって!」

「ひゃぁ~~~~~っ!」

ぶわぁっと黒髪が舞い踊る。

人型に戻ったルガが全裸のままメイの真後ろに立ち、温かい風を起こして乱れることも構わずその長く伸ばしたままの髪に当てて乾かしているのだ。

髪に隠れていた背中は思った通りびしょ濡れで、薄い布が肌にピッタリ貼りついている。



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