第8話 生きかけるふたり
目の前に突然現れた、本能で求める『食べ物』
それを突きつけられてもなお、幼女の体は動かなかった。
「だからと言って、無理やり口に突っ込むことはないわよね」
「何の話だ?」
メイがふんすと鼻息荒く思い出に怒りを込めていると、先ほどの思念語よりもよほど知的な話し方でルガが戻ってくる。
いつものようにお気に入りの破れた服を着ているが、やはり裸足のままだ。
メイが胡乱げに見つめるのにまったく気にすることなく、すとんと地面に腰を下ろす。
「何って…師匠がいきなり肉と魚を口に突っ込んできた時のこと」
「ああ〜……」
『ニンゲンと人狼族は違う』なんて言いながら、美味しそうな焼き魚や焼き肉を目にしても動かない幼女の口を開けさせたユルヴェストルは咀嚼して飲み込んだかどうかと確かめもせずに、まとめて口の中に押し込めたのである。
当然ながら小さい口腔には容量過多で、しかも窒息しそうになった幼女が倒れたことで、ようやくユルヴェストルはルガに向けていた視線を戻して、出会ってから初めて穏やかな微笑みを消した。
「な、何で……?」
『しらねって。そいつ、すっげちいさいあまいきになってるあかいのとかくろいのとか、そういうのしかたべない。あと、みず』
「えっ⁈じゃ、この子、『食べたことがない』っていう意味で『食べない』なの?」
『そうかも。にくをめのまえにおいても、つつくだけでなんだかわかんないみたい。げぇってしたあとからは、ちかくにもこないし』
「なんてことだ……」
さすがに自分が面倒を見てきた子供達と何かが違うと理解したのか、ユルヴェストルはこれまた先ほど有無を言わせずに『コレ』を泡だらけにした時とはまったく違い、余裕なくよだれを垂らす口から慌てて原型を留めたままの肉や魚を掻き出したのである。
意識を失っていた幼女の呼吸も薄くなっていくのに気づき、ユルヴェストルは魔力を通して息を吹き返そうとした。
「え……」
『そいつ、なんかへんだろ?ぜーんぶとおりぬけるんだ。おれのにおいつけとこーとしたのに、ぜんぶきえちゃうんだ。だからはなれたらだめだっていったのに……』
とにかく体内から全部出さねばと、弟子たちが背中を叩いた衝撃で飲み込んだお菓子を吐き出した時のことを思い出して、小さな体を起こして背中をバンッと強く叩いた。
『あっ!ばかっ!そんなことしたらこわれる!』
「えっ!」
自分が関わってきたよりもずっと幼いということがどういうことか考えもせず、ユルヴェストルは
その勢いに驚いたルガがさすがに二度目の叩き込みをしようとしていたのを止めようと、急いで大声で鳴いた。
その思惑通りにユルヴェストルは振り上げた腕をピタリと止めたが、そうして正解だった。
グッと小さな体が硬直したかと思うと、ゲボッという音と共に喉にまで入り込んでいた食べ物と一緒に胃液まで吐き出される。
しかしその小さな噴射はすぐに収まり、今度こそ幼女はぐったりと気を失った。
「……それから後は、赤ちゃんが食べる『離乳食』っていうのを調べてくれたのよね……」
頬に両手を当ててメイはうっとりと目を瞑ったが、ルガは逆に呆れたように溜息をついた。
「そこだけ聞くと何か『ちゃんと育児を頑張った人』みたいだけど、アレ、アイツはお前を使って『じっけん』ってやつをしてただけだぞ?」
「それはわかってるけどさぁ……」
そうなのだ。
ユルヴェストルにとって世界はすべて『研究すべきモノ』であり、突然自分の領域に転がり込んできた幼女と人狼ですら、保護し養育するという意識よりも『この生き物を育てたらどうだろう』という好奇心から手元に置いていたに過ぎないのである。
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