01.07 :王立学園のススメ~おおっと、王都行きのプレッシャーで嘔吐ですかい!?~

「オーコーキゾクコートーガクエン?」

「うむ、王侯貴族高等学園だ」


 ゴフジョー辺境伯家からバウルムーブメント伯爵家に戻ると、父から進路についての話がされた。これから貴族として生きる者は皆、12歳の誕生日を迎えた次の春から3年間、王都にあるその学園に通って卒業しなければいけないと。そうしないと、大人の貴族として認められないと。

 クリスター・X・バウルムーブメント11歳、これはつまり兄の進路についての話である。じゃ、俺は現状では聞く必要ないじゃん? 何故、俺は館の広間で聞かされている?

 などという疑問が俺の口から出る間もなく話は進んでいった。


「僕も次の春から通うことになる訳ですね」

「うむ、頑張るように」

「は、はぃ……」


 カタカタカタカタ……

 兄の青い顔はますますブルーの色合いを増し、それと共に細かい振動が増えた。ガクガクブルブル、ガクガクブルブル……

 って、ちょっと待とうかブラザー。今の流れの何処に震える要素があったんだい?

 などという疑問が俺の口から出る間もなく……


「と、トトトト、トイレェエエエエッ!」


 兄はそう叫んだかと思うと、全力ダッシュでトイレに駆け込み、上からも下からもあれこれ排出する大騒ぎとなった。

 しばらくお待ち下さい。しばらくお待ち下さい。しばらくお待ち下さい……

 俺の心の中で、綺麗なお花畑が広がり、題名の知らないクラシック曲と共にそんなテロップが流れた。ジャジャー……

 5分程経つと、蒼白な顔をした兄がトイレから帰ってきた。何一つ話などしていないのに、出すもの出し切ってしまった訳か。草。


「も、申し訳ありませんでした……」

「クリちゃん、大丈夫?」

「は、はい……」


 心配そうに訊く母に向かっても、兄は申し訳なさそうに首を下げた。その一方で、俺は特に何もしなかった。上からはともかく、下から超・下り列車が出発進行してしまうのは、兄にはよくあることだからだ。

 父も心配と言うよりは困った顔をしてみせた。そして、訊いた。


「クリスター、今の話で何かプレッシャーを感じる要素でもあったか?」

「僕は良い成績を収められるだろうか? 他の貴族子女と上手くやっていけるだろうか? 次世代の貴族として失格の烙印を押されたりしないだろうか? などと色々考えが巡ってしまいまして……」


 グルグルしてしまった訳か。ヤベェな。

 父は困った顔で一つ溜め息をついた。そして、今度は俺に訊いてきた。


「インドールよ、お前も3年後の春からクリスターと同じ学園に通うことにるが、どうだ? 上手くやれそうか?」

「なるようになるんじゃないですかー」


 父の問いに俺はサラッと答えた。良い成績を収められるかどうかなんて、他者を知らないんだから今から分かる訳がない。考えても無駄だ。

 つか、どーでもいいべ? そう思って俺はそう言ったところ、父としてもそれは大正解だったようだ。


「クリスターよ、このインドールの言う程度で良いのだ。そう気負うことはない」

「し、しかし、父上!」

「学園生活の3年間、お前達は事あるごとに優劣を比べられるだろう。だが、逆を言えば学園生活の優劣は学園生活時だけのものだ。卒業して数年でも経ってしまえば、学園生活時の成績など誰も覚えてなどおらんぞ」

「え!?」


 兄は父の言葉に目を丸くした。驚いたのだろう。だが、俺は驚かなかった。

 前世での俺はバキュームカーでの汲み取りを仕事としていたが、その職場で学生時代の成績など知る者はいないし、気にする者もいない。今と何ら関係がないからだ。

 父は兄に言った。


「大切なのは目の前の成績などではなく、しっかり学びを積み重ね、身につけ、それを将来の武器とすることだ」

「はい」


 返事をした兄の顔に、不安満載の蒼白さはもうなかった。しっかりとやるべきことを見据え、しっかりと学んでいこうと決意したのだろう。……堅苦し過ぎじゃね?

 父もそう思ったのか、苦笑いしながら兄へ続けた。


「そう大仰に構えるな。心持ちとしてはインドールくらいにふてぶてしく、図々しく、そして厚かましいくらいがちょうど良い」

「そうですか。ただ……」


 今度は兄が苦笑いを浮かべる番だった。


「父上、ふてぶてしいも図々しいも厚かましいも皆、意味にさほど変わりはないですよ」

「ああ、そうだったな。フハハハ」

「そうですよ、フフフフ」

「そうね、ウフフフ」


 父、兄、母はそう笑った。つか、全然俺を褒めてはねぇよな? どーでもいいけど。

 ただ、俺はちょっとだけ疑問があった。なので、俺は父に訊いた。


「父上、次の春から兄上が王都に行くことになる。その話を何故俺がいる時にされたのです? 俺には事後報告か、サラッと一言だけあれば良かったのでは?」

「ええええっ、インドォ。兄がいなくなるっていうのに、その反応は冷たいんじゃないかい」


 ガクガクガクガク。父が俺の問いに答える前に、兄は俺の両肩を掴んでそう言いながら揺すった。

 まあ、あっしには関わりのないことでござんす、といった感じに聞こえなくもなかったのだろう。嗚呼、ガクガクガクガク。

 父はそんな俺達兄弟を見ながら笑い、そして言った。


「この冬が終わったら、クリスターは王都にあるバウルムーブメント家の屋敷に住むことになる。インドールは普通ならば3年後にそこへ行く予定だったのだが、インドールも一緒に王都住まいになるからだ」

「やったぁ! やったね!」


 兄はガッツポーズをして、俺の手を握り、珍妙なダンスまで披露した。って、そんなに喜ばれることか?

 母はそんな兄を見て、とても嬉しそうな顔をした。まあ実際、兄弟仲良しなのはとても嬉しいのだろう。

 その顔のまま、兄に言った。


「クリちゃん、とても嬉しそうね〜♪」

「ええ、嬉しいですよ」


 兄らしくなく、兄はすぐにそう言い切った。その兄の顔は、緩い顔の母とは対照的にとても真剣なものだった。

 兄はその理由を話した。


「僕はインドールの兄なのです。でも、傍にいてあげられるのはもう、殆どなかったのです。僕が王都の学園に入ると、それから3年間離ればなれになってました。3年経って僕が卒業してこの領都に戻る時には、今度はインドールが王都の学園に入って離ればなれになります。そして、インドールは卒業後にはこのままだとゴフジョー辺境伯家に行くことになります。それを考えると、僕達兄弟が一緒に暮らせるのは次の春までだったのです。それが3年後の春まで兄でいられる。とっても嬉しいことじゃないですか」

「「「…………」」」


 俺も父母も何も言えなかった。正直言うと、俺はそこまで考えていなかった。兄が王都の学園に通うことになる。ふーん、頑張ってねぇー、とだけ。

 そんな俺とは対照的に、兄はそこまで考えてくれていた。兄としてそこまで俺を愛してくれていた。前世ではほぼ独りだった俺には分かる。それはとても幸せなことだと。


「ありがとう、兄上。ありがとう」

「!」


 俺はそう言い、兄と抱き合った。抱き合っているので兄の顔は見れないが、きっと兄も嬉しく思ってくれているだろう。少し離れた場所で、母が鼻をすすっている音が聞こえた。って、それ程かぁ?

 俺は心の片隅でそう思いながらも、およそ1分ばかり俺達は抱き合ったまま動かずにいた。そしておよそ1分後、何となくハグを解除して離れた。

 と、それはそれとして俺は父に訊いた。


「そう言えば何故、予定が変わったのです? 俺も王都へ行くことになったのは何か理由があるんでしょう?」

「ああ」


 その理由は兄が喜ぶだろうから、といった甘いものではないことに俺は気付いていた。兄にとっても俺の王都行きはサプライズであって、決して望みを出したものではなかったからだ。

 まあ、面倒臭いことになりそうだな。俺にはそんな予感がしていた。そして、それは当たるものだ。父は言ってきた。


「インドールのお陰で我がバウルムーブメント家の領都に下水道が整った。そこで働く者の尽力もあり、他の大きな街にもそれは広がりつつある。そして、スルフィド伯爵家やゴフジョー辺境伯家にもそれが広がり、他家にも普及しつつある」

「あの、父上? 簡潔に言ってもらえませんかね?」

「インドールに王都にも下水道を配備しろとの王命が下された」

「!!」


 めんどくさっ!

 父からの言葉は、俺が想像した以上に面倒臭いものだった。俺は一応父に訊いてみた。


「一応訊きますが、それって断ることは……」

「出来んな。王命だからな、王命。そんなことをしたら、このバウルムーブメント伯爵家がなくなる覚悟が必要になってしまうな」

「何故、俺なんです?」

「もう、俺じゃなくても下水道敷設くらい出来る人はいると思うんですけどねぇ」

「でも、あくまでもお前が源流だからな。王都であるが故に、その源流であるインドールがきちんと携わったものにしておきたいそうだ。人手自体はあちこちから出されるんだ。諦めろ」

「へーい」


 俺は俯いて、適当な返事をした。嗚呼、兄ではなく俺が嘔吐してもいいんじゃねぇかって状態だった。

 王命による下水道敷設、それは絶対に失敗が許されない事業であるに違いない。それはとんでもないプレッシャーであった。メッチャ嫌なプレッシャーだった。

 ……俺は少し考え、言葉にした。


「ま、最善を尽くせばいいか」


 開き直ることにした。

 ベストを尽くす。それしか出来ることはないからだ。プレッシャーを感じようとも、恐れを抱こうとも、そんなものは全て無駄でしかない。そう思い至ったからだ。

 父も俺の言葉に頷いた。


「ああ、そうしてくれ。責任は儂等、大人がとるからな。不安にはならんで良いぞ」

「はーい」


 そうして、バウルムーブメント家の王都行きの話は終わりとなった。俺と兄と母が王都へ行き、父は王都と領都を行ったり来たりするそうだ。

 その決定事項を聞いた際、俺はまだ母の信用がないのか、とチラッと思ってしまったことは内緒だ。




 そうして、春になった。インドール・S・バウルムーブメント、9歳になりました。

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