第18話

「それにしてもアナスタシア。お前は抜けてるんだか賢いんだかよく分からねえな。はったりでギルバートをやり込めたんだろ。大したもんだよ。俺には怖くてとてもできねえよ」

「どうにかなってよかったです。ボロが出て突っ込まれたらどうしようって、冷汗ダラダラでしたもん!」


 実は、ギルバートの金庫の鍵を盗んだというのは噓だった。アナスタシアは凄腕の錠前破りだが、泥棒ではない。肌身離さず大事に持っているようなものを盗み出せるスキルはなかった。

 本物の鍵には五芒星の模様があるらしい、というのはザカリーが憲兵団に忍び込んで仕入れてきた情報だったが、さも本物の鍵を盗み出したかのように振る舞った。


「金庫の中身を取り出して、鍵穴の奥に糊を詰めて、二度と開けられないようにして出てきたのはほんとうですけどね。あっ、ぬいぐるみだけは可哀想なのでこっそり別の場所に置いておきましたけど」


 なお、覗いた金庫の中身がそのまま残っているとは一言も言っていない。アナスタシアは嘘が苦手なのだ。


「くくっ。ギルバートは今ごろ地団太踏んでるだろうなあ。悔し顔を拝めないのが残念だぜ。それにしても、熊のぬいぐるみを可愛がってたような奴が悪党になっちまうなんてなあ。世の中ってほんとうに恐ろしいぜ」

「ですねえ。ギャガだけの話だったらいいんですけど……」


 金庫から取り出した多額の裏金と人身売買の取引帳簿は、反ギルバート派の憲兵たちに引き渡していた。彼らはギャガに残された最後の良心であり、かつてのグレゴール元長官の直属の部下でもあった。汚い手で権力の座につき暗躍を続けるギルバートを引きずり下ろすことを悲願としていたが、証拠を掴み切れず動けなかったのだ。


 アナスタシアがギルバートらと対峙している間、彼らは洋館の家宅捜索に踏み込んでいた。ここで一網打尽にしてグレゴールの仇を取るのだと奮起する彼らの瞳には、強い光が宿っていた。


 反ギルバート派との接触はすべてザカリーが担った。半信半疑だった彼らもザカリーの正体がX、この件をとして請け負っていることを知ると顔色を変えた。

 この一連の動きがあったため、計画の実行まで半月を要したのだった。


「クリスの母親と現旦那も今ごろお縄だろう。あの子にゃ可哀想だが、これでよかったんだろうよ」

「お母さんが以前のような心を取り戻してくれたらいいんですけどね……。とにかく、売られる前に助けることができてほっとしました」


 そんな話をしながら三十分ほど歩いたところで、目的の修道院に到着した。

 真白い石でできた清潔な建物。裏手には気持ちよさそうな緑の庭が広がっている。


「誰か来てくれ。子供たちの保護を頼みたいんだが」


 ノックに応じてくれたのは高齢の優しそうな女性だった。修道院と孤児院の院長を兼任するシスターだという。

 聖堂に案内され、ドアの隙間から孤児院の子供たちが興味津々で一行に視線を送る中、アナスタシアとザカリーは一連の事情を説明した。院長は「まあ、まあ」と驚きながら耳を傾け、話が終わるころには決意に満ちた表情をしていた。


「お話はわかりました。大丈夫ですよ。すべての子供をこちらで受け入れましょう」


 大きく頷いた院長を見て、緊張の面持ちで固唾を呑んでいた子供たちはわあっと歓声を上げた。


「辛い思いをしてきたでしょう。ここでゆっくり休みながら、お父さんとお母さんを探しましょうね」


 院長の慈愛に満ちた表情と声かけに子供たちは歓喜した。中には安心して泣き出す子もいた。


「よかったなあ、お前ら!」

「「ありがとう、ザカリーおじさん! アナスタシアおねえちゃん!」」


 急速に元気を取り戻した子供たちは、ザカリーの膝のあたりにまとわりついたり、入ってきた孤児院の子供たちと遊び始める。聖堂内は一気に賑やかになった。


「ったく。切り替えが早すぎないか、お前たち」

「ザカリーさんったら、すっかり懐かれてますね」


 子供たちに囲まれたザカリーは嬉しそうだった。元来の気さくな性格と親しみやすい雰囲気は子供にも伝わっているのだろう。

 そんな光景を微笑みながら眺めていた院長が、そっとザカリーに話しかけた。


「ザカリーさん。あなたはこれからどうするのですか?」

「俺ですか。あー、考えてなかったな。でも、せっかくディアマンに来たんだし、ここで仕事を探そうかな。ギャガですらまともなところは前科者お断りだったから、働き口はないかもしれないけど……」


 ザカリーが自信なさそうに言うと、院長は「なら、ちょうどいいわ」と手を叩いた。


「もしよかったら、ここの孤児院で働くのはどうかと思ったの。一気に十人以上も子供が増えるでしょう。人手が足りなくなっちゃうわ。修道院には男手がないし、受けてくれたら助かるのだけれど」

「えっ!? おっ、俺が??」


 ぽかんとするザカリー。隣でアナスタシアは「すっごく素敵なお話しじゃないですか!」と声を上げた。


「子供たちにも懐かれていますしぴったりですよ。それに、元泥棒だから、逆に防犯についても知識豊富で安心ですしね!」

「うふふ。アナスタシアさんは正直なのね」


 院長が笑うと、アナスタシアははっと我に返る。


「すっ、すみません。わたし、よく間違っちゃうんです。不快な思いをされましたよね」

「いいえ、そんなことはありませんよ。あなたが今回勇気を振り絞ったおかげで、尊い命が救われたんです。その素直さと真っ直ぐさは、あなたのかけがえのない長所です」

「あっ、ありがとうございます……」


 院長の言葉には、一つ一つ心が込もっていた。このような人が預かってくれるのだから、子供たちはきっとここで楽しく暮らせるに違いない。照れたように笑いながら、アナスタシアは安堵していた。


「で、どうですか? ザカリーさん。お気持ちを教えていただける?」


 院長は考え込んでいたザカリーに向き直る。

 彼は伏せていた目を上げ、真っ直ぐに院長に目を向けた。


「あの。俺でよければぜひ働かせてください。さっき話した通り、俺は昔盗みをしてました。でも、もう二度としないと誓ったんです。ここで真面目に働いて、人生をやり直したいと思ってます」


 真摯な言葉を受けて、院長は満足そうに頷いた。


「神はいつでもあなたのお側におられますよ。よろしくお願いしますね、ザカリーさん」


 ザカリーはがばりと勢いよく頭を下げた。再び顔を上げた彼の目元には、透明なものが滲んでいた。


(――よかったね、ザカリーさん)


 アナスタシアは、賑やかな聖堂からこっそり抜け出して外に出た。


 雲一つない青空。青々とした修道院の芝生は青くみずみずしい香りがして、思わず寝転がりたくなるよう。心地のよい、のどかな午後のひとときが広がっていた。


「……さようなら、ザカリーさん。元気でね」


 面と向かって言うと、なんだかしんみりしてしまいそうだったから。

 アナスタシアは振り返らずに歩き出した。



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