第7話

 母親からもらった謝礼金で適当な宿屋に泊まるつもりだったが、そんな気持ちはどこかへ失せてしまった。アナスタシアはクリス家の敷地の隅にあるうらびれた小屋で一夜を明かすことにした。


 なんとなく、クリスを一人にしたくなかったのだ。アナスタシアがここにいたってクリスは知る由もないし、彼の気分がどうこうなることはないのだが。

 それでも今のクリスの心中を思いやると、この家から離れることができなかった。物理的な距離だけでも彼の側にいてあげたいと思った。


「ここは農具置き場だったみたいね。錆びの具合から見ると、数年は使われていなさそう。戸締まりをすればここで過ごせそうだわ」


 さっそく錠前を加工して外側から開かないようにした。

 幸い小屋には土を養生するための布地や誰かが使っていたらしい外套があったから(かび臭さには閉口したが)、寒い夜でも凍えずにすんだ。


 明くる日は朝から快晴だった。荒天だった昨日とは打って変わって、冬の終わりらしい穏やかな日差しが降り注ぐ。

 くるまっていた外套から這い出たアナスタシアは、全身に陽の光を浴びてうんと伸びをする。


「新しい一日に感謝ね。今日も無事に生き延びましょう」


 洋館はひっそりとしている。忍び足で農具小屋から出たアナスタシアは街へ向かった。

 ギャガの荒廃的な街並みも、天気が良いだけでいくぶんマシに見える。

 まずは腹ごしらえだ。アナスタシアは昨日美味しそうな匂いを漂わせていた食堂に意気揚々と入っていく。カウンターでゴズリン魚の煮込みとバケットを注文して金貨を差し出すと、店員は顔をしかめた。


「おいお前。そんな身なりのくせして、なんで金貨なんか持ってんだ? どっかから盗んだんじゃないだろうな? 事情によっちゃあ憲兵に突き出すぞ」


 強面の店員がアナスタシアに詰め寄った。

 彼女は慌てて顔の前で両手を振る。


「ちっ、違いますよ! 昨日、爆弾をつけられた男の子を助けたんです。そのお礼にもらったんです! ほんとうです!」

「……ああ。あの騒ぎか。なるほどな、お前が錠前を開けた子供か」

「子供じゃないですよ。もう十五になるんですから」

「ふん。そんなことはどっちだっていいさ。とにかく金貨を寄越せ。釣りを出す」


 騒ぎがあった港は店のすぐ近くだったことが幸いした。店員は納得して金貨を受け取り、よそでアナスタシアが怪しまれないようにと、銀貨ではなく銅貨に両替をして返した。


「うわぁ、親切にありがとうございます!」

「ひひっ。俺って優しいだろ? いいってことよ」

「わたし、よく気が利かないって言われるので。店員さんを見習いますね!」


 アナスタシアは大量の銅貨が入った麻袋を受け取り、ポシェットにぎゅうぎゅうと押し込む。

 店員を信用しきっていたため、銀貨一枚分の銅貨がちょろまかされていたことには最後まで気がつかなかった。


 満腹になって食堂を出たあと、アナスタシアはパンパンのポシェットから四つ折りの紙を引っ張り出す。狭い空間にしまっていたせいか、紙の角は小さく折れて皺になっていた。

 通りに出て、道行く人全員に声を掛けていく。


「すみません。人を探しています。この人を見かけませんでしたか?」

「あ? ……ケッ。知らねえよ。どいたどいた」


「この人を知りませんか?」

「うーん。見たような気がするな」

「ほ、ほんとうですか!? どこで見かけましたか!?」

「うーん。銅貨一枚くれたら思い出せそうな気がするな」

「銅貨一枚ですね! はいどうぞ」

「うほっ! マジかよ! あー、悪いな。オレの記憶違いだったみたいだ。じゃあな!」

「あっ! ちょっと! ならお金は返して――」


 男はアナスタシアを振り切って駆け出し、あっという間に姿をくらましてしまった。

 勢い余って倒れ込んだアナスタシアは、両手でぎゅっと冷たい砂を握りしめる。


「……めげないわよ。これこそが、わたしが旅をする意味なのだから」


 ――アナスタシアが家を出てきたのは、もとはといえば人探しのためだった。

 道中、予期せぬ展開に見舞われてギャガに流れ着いたため、ダリヤのもとで旅の資金を稼ぎながら、人探しを続けているところだった。

 収入が途絶えたのは痛いが、本来の目的に時間を割けるのはありがたい。


 ぐっと足に力を込めて立ち上がり、再び聞き込みを開始する。


 多くの人はろくに紙を見もせず、興味なさそうに去っていく。

 粘り強く声をかけ続けていると、逆にアナスタシアに声をかける集団があった。


「おいおまえ。さっきから何をしてるんだ? 手あたりしだいに何かを訊ねているようだが」

「あっ! 人を探してまして。この顔に見覚えはありませんか?」

「ん~? 全然わからんな。おまえら知ってるか?」

「いや……」


 五、六人の男たちはみな首を横に振った。


「そうですか……。わかりました。ありがとうございました」


 アナスタシアはぺこりと頭を下げ、次の聞き込み相手を目で探し始める。

 ところが、男たちはその場を去らずに彼女を取り囲んだ。 


「えっ? え~っと……?」


 状況が呑み込めないアナスタシアににじり寄り、彼らは濃い無精ひげの隙間から汚い歯をみせて笑った。


「人探しなんてやめて、俺らともっといいことしようや」

「薄汚れてるが、よく見りゃ上玉じゃねえか。それに、灰色かと思ったら、ここらじゃ珍しい銀髪だ。さてはギャガの人間じゃねえな? 都合がいい」


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