第二十四話 始まりの予感

 華理に入ると、入場門にはずらりと多くの人が整列していた。

 制服姿の者は小走りで朱に駆け寄った。荷物を受け取ったり瀘蘭はどうだったかの話をねだったり、嬉しそうな笑顔は帰還を心待ちにしていた様子がうかがえる。

 一方で国民と思われる私服の人々は、口々に薄珂様、薄珂様、と言っていた。その様子は朱にも劣らない熱狂ぶりだ。

 宮廷という巨大な組織に所属する朱と並列に歩く姿は改めて畏怖を覚えたが、突如国民の視線が威龍に向いた。


「彼が威龍だよ。これからうちの配達全般をやってくれるんだ」

「まあまあ。ついに薄珂様の認める方がいらっしゃったんですね」

「俺より力があるし飛行領域も広い。今までよりも良い提供ができると思うよ」

「そりゃあ凄い! 威龍様! 饗宴の用意はできてるんで夜に薄珂様と一緒にお越し下さいませ!」

「え、あ、は、はいっ」


 敬語で様を付けられた事なんて一度も無い。それは今までの隊商生活での苦労も瀘蘭での騒ぎなど吹き飛ぶほどの衝撃で、思わず雛をきゅっと抱きしめた。

 朱は面白そうに笑い、とんっと薄珂の肩を軽く叩いた。


「僕らは報告に行くけど薄珂はどうする?」

「俺関係無いよ。被害者は威龍と雛だから二人に聞いて」

「俺の加害者は囮にしたお前じゃね?」

「あ、そうくる?」

「はは。けど薄珂は来た方が良いよ。あの人が到着したそうだからね」


 あの人、と聞いた途端に薄珂の身体がぴたりと固まり、澄ましている顔がわずかにほころんだ。


「どっち?」

「両方。無視したら痛い目見るんじゃない?」

「……行く」

「急にあっさりだな」

「まあ、ね」


 この薄珂が自分の意思を手のひら返す姿は、まだ付き合いの浅い威龍ですら珍しいであろうことが分かる。

 薄珂は何故かもごもごと口籠り、ぷいっとそっぽを向いた。

 明らかないじり時に目を付け、威龍はちょっと突いてやろうと思ったがどこからか透き通るような可愛い声が聴こえてきた。


「薄珂ー! おかえり!」

「立珂!」

「おかえりおかえりぃ!」

「ただいま。何も無かったか?」

「あった! さみしかった!」


 薄珂にぴょんと飛びついたのは立珂だ。薄珂は満面の笑みで立珂に頬ずりし、ぐりぐりされる度にきゃあきゃあ喜ぶ立珂の笑顔は見ている者全てを魅了している。

 朱を始め物々しい制服姿の者は邪魔するまいと思ったのか、声を掛けずに宮廷へと足を向けて行った。

 しかしそれと入れ替わるように、一人の女性が薄珂と立珂の元にやって来る。


「お帰りなさいませ、薄珂様」

「ただいま、美星みほしさん。今日も有難う」

「いいえ。お寂しくなさってましたよ」


 薄珂と立珂を見守るように寄り添っているのは有翼人の女性だった。

 宮廷の制服と思われる質の良い服を着ていて、流れるような歩行と柔らかな所作は育ちの良さが窺える。

 人々が一斉に頭を下げていく様を見るに、とても子供のお守りで済むような人物には見えなかった。

 しかし薄珂に仕える様子もしっくりきていて、威龍は思わずじっと見つめた。

 するとその視線に気付いたのか、薄珂が女性と共に威龍を振り向いた。


「紹介するね。この人は立珂専属侍女の美星さん」

「美星と申します。蛍宮の頃より立珂様のお世話をさせて頂いております」

「威龍です。こっちは雛」

「美星さんは威龍の同僚になるよ。扱いとしては美星さんも天一の従業員だから」

「有翼人の生態はよく存じております。雛様にも健やかな生活ができるようお仕えいたしますのでよろしくお願い致します」

「え、あ、は、はい、よろしくお願いします」


 またも敬語に様付けで、薄珂の存在価値がどれだけ高いかを実感させられた。

 戸惑いながら薄珂と共に朱や哉珂について行くと、当然の様に宮廷の門をくぐり行き交う職員には次々頭を下げられる。

 まるで貴賓扱いで辿り付いたのは恐ろしく広い場所だった。

 隊商が全てだった威龍にはここが何をするための部屋か想像もつかない。

 無駄に長く使い勝手が悪そうな机に何の意味があるのか、何故透かし彫りという耐久力の無さそうな椅子を使うのか、何一つ分からない。

 これに座るのかと呆然としていると、薄珂がくんっと袖を引いてくる。


「俺達はあっち」

「え? あ、ああ――え?」


 位の低い者は下手に行くくらいのことは知識がある。そういうことだろうと思ったが、どういうわけか薄珂が指差したのは座椅子だった。

 それも身体が埋まりそうな大きさで、明らかに寛ぐ目的で置いてある。この場で一番贅沢に見えた。

 だが薄珂は迷わずそこに座り、立珂はころりと薄珂の膝枕で横になった。

 この場で誰が一番位が高いのかなんて分からないが、威龍がやっていい姿勢じゃないことは分かった。


「……俺は立ってるからいい」

「駄目だよ。雛が疲れちゃう」

「でも抱っこしてるから」

「有翼人は羽が重いんだ。ぶら下がってるだけで人の数倍は疲れる。それに知らない場所じゃ羽を撫でてやらないと変色する。横にして羽を撫でてあげないと駄目だ」

「あ、ああ……いや、でもさあ……」


 言いたい事は分からないでもない。それでも宮廷という場所で単なる子供でしかない威龍がそうするのは躊躇われた。

 威龍は薄珂のように認められた何かがあるわけでもないし、宮廷に見合う身分があるわけでもない。それが薄珂と同列に座る事すら悩むのだが、ぐいと肩を掴んで座るよう促してくれるのは哉珂だ。


「華理は各種族の生態を尊重する国だ。有翼人の子供は場面問わず横になることが許されている」

「じゃあこれは薄珂と立珂が特別ってわけじゃなくて」

「普通のことだ。だから気にせず座って雛を横にしてやれ」

「そっか。じゃあ……」


 この場で唯一身近な哉珂に許されると安心できて、ほう、と威龍は息を吐いた。

 雛を抱っこ紐から下ろして羽を撫でるとふにゃりと幸せそうに微笑んでくれた。


「雛の羽を威龍の腹側にして抱っこするんだ。寝にくそうに見えるけど、有翼人はこれが正解」

「う、うん」

「羽を威龍の肌と触れるようにしてあげて。裸が理想だけどさすがに公共の場では無理だから、いっぱい羽を撫でてあげるといいよ」

「おなまえよんであげるといいよ! 薄珂になまえよんでもらうとしあわせなの!」

「……雛」


 言われるがままに抱っこをし、すりすりと羽を撫でてやった。

 すると雛は数秒で眠ったしまう。安心したような寝顔で、威龍もほっと一息つく。


(やっと落ち着かせてやれた。これからもこうやって生活したいな)


 雛の寝顔は威龍を癒してくれて、このまま昼寝をしてしまいたい。

 この先もずっとこうして穏やかな日々を過ごさせてやりたいと思い撫で続けていると、どんっと控えめに銅鑼が鳴った。


勝峰しょんふぉん様がご入場なさいます」

「勝峰様?」

「華理の国主だよ。一番偉い人」

「は⁉」


 唐突な宣言に威龍はびくりと震えたが、雛は心地良さそうに眠っていた。

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