第十話 化け物誕生

 それから二日ほど経ったが迎えの馬車はやって来なかった。

 しかし朱は随分とばたついていて、薄珂も朱と話し込むことが多くなっていた。

 立珂は話し合いに参加しないようで、ずっと雛の遊び相手になってくれている。


「有翼人ははねのつけねをむにむにしてあげるときもちーんだよ。羽おもいからいたくなるんだ」

「付け根をむにむに……」


 立珂は有翼人の生態や何をどう感じるのかを教えてくれた。

 気持ち良いということをやってやると雛も笑顔で大はしゃぎだった。

 それは今まで見たことのないはしゃぎっぷりで、今までは色々と耐えていたことがあったかと思うと苦しい気持ちになっていた。 

 薄珂にも色々聞きたかったが難しい顔をしてる時が多く、事件性云々というのが真実味を帯びてきたのかもしれない。

 しかし威龍は雛を理解するだけで精一杯で、立珂に遊んでもらうだけだった。

 それから数日して、日が落ち夜になると朱と薄珂、立珂は三人とも外出着に着替えて出かける準備をしていた。


「こんな時間から出かけるの? もう暗いじゃないか。明日じゃ駄目なのか?」

「ちょっと急ぎの仕事でね。二、三日戻れないかもしれない。ああ、君らはのんびりしてていいからね。ここは好きに使ってくれていい。哉珂。ちゃんと傍にいてよ」

「分かってるっての。さっさと行っちまえ」

「威龍。有翼人は環境の変化に弱いからあちこち歩き回らない方が良いよ。色んな匂いが混ざる場所は特に駄目。食堂なんかは止めた方が良い」

「立珂に色々教えてもらったから大丈夫。服は俺の匂いが付いてると良いんだよな」

「明日の昼には戻るからね。それじゃあ行ってくるよ」


 そうして三人は出かけて行った。威龍と哉珂は特にすることも無く、好きに使って良いと言ってくれた天一の商品を試していた。

 しかし立珂の商品はお洒落な服や装飾品ばかりで、まだ赤ん坊の雛自身は全くわかっていないようだった。それよりも有翼人の赤ん坊専用離乳食に高揚している。


「肉団子は嫌か。やっぱり肉より魚なんだな、雛は。どんな魚でもいいのかな」

「んっ、んむぅ! おさかなっ!」


 口元に匙で魚を運んでやると、雛は威龍の手を両手で勢いよく掴んだ。

 そのままの態勢で魚を必死に食べ続ける。


「取らないからゆっくり食べろ。ここには色んな魚がいっぱいあるんだ。焦らなくてもいつでも好きなだけ食べられるんだぞ」

「やっぱり離隊してよかったな。馬車じゃ魚を食える機会は限られるだろう」

「うん。やっぱり雛は落ち着いて暮らす方が良いんだな」

「有翼人は大体そうだ。心の辛さが羽変色を引き起こし体調を崩す。だから精神がすり減る人間関係が増えないよう、集団生活を避けるんだ」

「そっか。じゃあ隊商は嫌だったよね。ごめんな、雛。辛かったよな」

「一概にそうとも言えないがな。その辺は薄珂に色々聞いておけ」


 薄珂と言われて威龍の雛に魚を運ぶ手が止まった。


「ねえ。聞いてもいい? 薄珂は身内なんだよね。薄珂って何者なの?」

「お。お前もあいつのやばさに気付いたか」

「やばいっていうか、結構良い身分だろあいつ。皇子とか皇太子とかそれくらいの」

「それは説明が難しいな。けど皇太子とは呼ばない方がいい。あいつはそれを嫌う」

「え……つまり皇太子ってこと……?」

「違うな」

「どっちなんだよ!」

「どっちだろうな~。とにかく面倒な立ち位置なんだよあいつは」


 哉珂はけたけたと笑い、それ以上は何も答えてくれなかった。

 けれど与えて貰った品々は、どれも宮廷に相応しい高級品である事は確かだった。


(帰ってきたら思い切って聞いてみようかな。あんまり失礼なことはできないし)


 そして薄珂たちの帰りを待ち翌日の夜になったが三人は帰ってこなかった。酉の刻に差し掛かっても戻ってこない。


「んっ、んっ。いっか、いっかぁ」

「ごめんな、雛。立珂はまだ帰ってないんだ。きっともうすぐ帰って来る」


 同族同士で分かり合える事が多いのか、雛はすっかり立珂と仲良くなっていた。

 二人とも全力で遊んだらお腹が空いて、食事をしたら立珂は薄珂の、雛は威龍の腕の中で昼寝をする。

 この繰り返しだったがそれが幸せで、日中に立珂がいないと雛は寂しがる。今も遊んでほしくて手足を必死にばたつかせている。


「ねえ、哉珂。薄珂たち遅くない?」

「二、三日って言ってたし忙しいとこんなもんだ。気にせず先に寝てろ」


 雛は立珂がくれた鳥の人形を握りしめ、笑顔の雛を抱いて威龍も眠りについた。

 しかし翌朝、起きても薄珂達は帰っていなかった。昼になっても夜になっても戻らず、さらに一晩明けてもまだ帰ってこない。


「哉珂。いくらなんでもおかしいよ。探した方が良くない?」

「どうかな。遅いっちゃ遅いがこんなもんな気もするし」

「探すだけ探してみようよ。やっぱり教会かな。朱さんはともかく立珂は有翼人の子供だ。教会は欲しがるだろ」

「それはないな。今更立珂に手を出す馬鹿はいない」

「何でだよ。それに薄珂だって身代金目的の誘拐とか、そういう犯罪ありえるだろ」

「あってもそんなのに引っかかりはしない。まあ、けど心当たりを見て来る。俺は何があっても夜には戻るからはここにいろよ。誰が来ても開けるな」


 哉珂は袍を羽織ると短刀を腰に挿し、雛の頬をつんっと突くと屋敷を出て行った。

 拾い屋敷の中は静まり返り、雛が少し声を上げるだけでとても大きく響く。


(何も無いと良いけど……)


 窓の外を見上げると雨雲が流れて来ていて、夜になれば振り出すだろう。

 それまでに薄珂たちが帰ってくるのを祈ったが、哉珂は帰って来たが薄珂たちは帰って来なかった。

 さらに翌日まで待ったがやはり帰って来ない。街でそれらしい人を見なかったか聞いてもみたが、有翼人の成人男性の目撃情報は無かった。

 薬屋にも行ってみたがあれ以降薄珂は来てないという。完全に消息が掴めず、ついに哉珂は立ち上がった。


「教会を見て来る。少なくとも朱は商談で行ったはずだ。手掛かりはあるだろう」

「俺も行くよ! 元はといえば俺と雛の事で迷惑かけたんだ!」


 朱は約束を取り付けていると言っていた。つまり朱は何も問題を起こしていなかったわけで、問題を持ち込んだのは威龍だ。

 それも教会は胡散臭いという印象だけで、実害があったわけではない。


「巻き込んでおいて放ってはおけない。最悪何かあれば飛んで逃げるよ」

「……ったく。分かったよ。とりあえず祈りの塔見に行くぞ」

「いきなり? 見つかったらどうするの」

「迷いましたすみません。豪華な教会は田舎者には眩しすぎまして~、ってな」

「そんな嫌味な言い訳は通じないと思うよ」


 隊商は粗雑な集団に見られがちだが、信用第一のため詐欺や虚偽は絶対にしない。

 そんな環境で育ってきた威龍には、騙す事も必要だとする哉珂の行動はすぐに呑み込めないこともある。

 もう隊商じゃないのだからそれも関係無いが、何となく落ち着かなくて哉珂の背に隠れながら付いて行った。


*


 どう忍び込むのかと思ったが、一般に開放されている区画の入退場はすんなりと通った。しかし祈りの塔へは警備も多くてこそこそと裏道を探しながら進む。

 しかしどこを見ても美しい植物が咲き乱れ、噴水や池もあって静かな水音が心地良い。手入れの域届いた庭園のようだ。


「綺麗な場所だね。やっぱり誘拐も失踪もないのかな。何か偶然が重なっただけで」

「偶然が重なったら必然と思え。美しい外面は悪事を隠すためだよ」

「それはそ――……」


 そうだけど、と言おうとしたところで威龍はびくりと震えた。

 その理由は庭園の少し奥、林を入ったあたりにいた人物の形状だった。

 基本的な形状は人間だが、手足は肉食獣のようで背には真っ黒な鳥の羽が折れ曲がって生えている。それは馬車で襲われた異形の化け物だった。

 同じ者かどうかは分からないが、少なくとも同種だ。

 思わず哉珂の腕を掴み声を上げようとしたが、もがっと哉珂に口を塞がれた。


「んっ! んー!」

「静かにしろ。声を出すな」


 何をするでもなくうろうろとしており、少しすると鎧姿の男が数名やって来た。

 異形を囲んでごそごそと何かをしているが遠目からは何をしているか分からない。

 まさか侵入されたのかと思ったが、何と少し離れたところには神官の姿もあった。

 異形がくたりと動かなくなると、鎧姿の男達がそれを担ぎ、神官の案内でどこかへ消えて行った。

 彼らの姿が見えなくなり、ようやく哉珂は解放してくれた。ぷはっと息を吐いてから威龍は大きく呼吸をする。


「何だよあれ。何で神官が手引きしてんだ。手懐けられるのかあの化け物」

「考えなくていい。今すぐ街を出るぞ。貴重品は持ってるな」

「は⁉ 何言ってるんだよ! 薄珂たちはどうするんだ!」

「後から考える。大体お前じゃどうにもできないだろ。雛がどうなってもいいのか」

「それは、けど薄珂に何かあれば蛍宮が黙ってないだろ」

「そうだ。だからこそ薄珂は危害を加えられない。有翼人の朱と雛もだ。だがお前は何の後援も無く疑念を持っている。生かす利益が無い。何かされるとしたらお前だ」

「そう、だけど……でもこの状況で俺だけ逃げるなんて……」

「どうしても何かしたいなら華理宮廷へ行って通報しろ。国家権力に正当な調査をして貰えば正当に助けてもらえる。だからまずは逃げる。いいな」

「……うん。分かった」


 ここでも威龍は何もできなかった。

 もし何かあれば飛んで逃げる、それしかできないのが歯がゆかった。

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