第十一話 羽民教教祖・笙鈴

 元々持ち物などない威龍達はそのまま街から出る門へ向かった。

 隊商が使う大通りへ行けばそのうち誰かが通る。それに乗せてもらうか、次の休憩所まで一気に飛んでいけば良い。どのみち隊商には遭遇するだろう。


(この抱っこ紐ならいつでも雛を掴んで飛べる。木の上へ逃げれば絶対に大丈夫だ)


 薄珂達を見捨てるのはやはり気が引けるが、それでも威龍は雛を抱きしめ走った。

 このまま行けばもうすぐ外に出れる――そう思ったけれど、辿り着いた門の付近はひどくざわついていた。

 大勢の人が門を取り囲んでいて、その向こう側には大きな柵が建てられていて外へ出ることができなくなっている。それを守っているのは神官と鎧姿の男達だ。


「何だあれ。検問? 何で神官がそんなことするんだろう。教会って国家権力?」

「違う。が、これはまずいな。先手を取られた」

「まさか俺らを捕まえるために?」

「というより」

「神子様! 雛様! よかった! 皆様ご無事でしたか!」


 ばたばたと走ってきたのは何度か対面した神官だった。

 さてはこの男が雛の勧誘係なのだろう。運動不足なのか、のたのたと走っていた割には肩で大きく息をして汗をかいている。


「何があったんだ。俺らは出発しなけりゃいけないんだが」

「申し訳ございません。実はその、詳細はお話しできませんが少々事件が発生いたしまして。この近辺の方には事情聴取を行っています。申し訳ございませんがお二方も今しばらく教会にご滞在下さい」

「事情聴取? 何で教会がそんな事するんだ」

「それが、実はこの近隣の司法行政は教会に預けられておりまして」

「は? 何だそりゃ」

「非常事態の場合、住民登録の無い方は教会へお越し頂いております。どうか」


 突如として突き付けられた、教会に都合の良すぎる設定に哉珂はひどく不愉快そうな顔をしていた。

 威龍も同じ気持ちではあるが、悪事を働いていないのだから揉め事を起こして無駄な罪を着せられる方が立場が悪くなるように思えた。

 少なくとも隊商では非常事態にも慌てず騒がず、必ず法に従ってきた。


「哉珂、行ってみようよ。もしかしたら薄珂たちも保護されてるかもしれない」

「……条件がある。俺たち三人は絶対に一部屋にしてくれ」

「もちろんで御座います。よかった。ではお部屋へご案内します」


 神官は相変わらず笑顔で、言う事を聞かせられた喜びというよりも心底心配をしてくれているように見えた。

 これが演技なのか、はたまた何も知らない下っ端なのかは分からない。

 けれど哉珂はじっと神官を睨み付けている。


「威龍。俺から離れるなよ。絶対に雛から手を離すな」

「うん」


 哉珂は腰に挿している短刀から手を離さなかった。いつも以上に警戒している姿にひどく不安を感じた。

 しかし特に妙なことはされず、教会へ入ると式典会場のような場所へ案内された。

 相変わらず内装は真っ白で、装飾は全て金だ。色とりどりの硝子で組み合わさった大きな窓は芸術品さながらだ。

 会場内には大勢の人が集まっていたが服装には統一性が無い。

 隊商か旅人か、いずれにせよ定住者ではないのだろう。


「この人達は?」

「ご自身の住居を持たない方々です。安全のためにご招待させて頂きましたが、個室にもは限りがございますので。ああ、お三方には聖堂の奥に個室をご用意しますのでご安心下さい」

「聖堂ってのは聖域とやらか?」

「はい。お部屋の準備ができ次第ご案内致しますのでこちらでお待ち下さい。じき教祖からご挨拶も御座いますので」


 雛を呼び込めたことが彼の評価になるのだろうか。神官は気分良さげで饒舌だ。

 聖堂だのこれが緊急事態だのと、聞いてもいないことをぺらぺらと喋るあたり上層部の人間ではないだろう。神官は足早にどこかへ行ってしまった。


「検問しといて見張りは付けないんだね。何か変だよね子の教会」

「事件の犯人は内部にいるって分かってるなら見張る必要ないだろうからな」

「そっか。化け物捕まえてたもんね」

「部外者集めたのも処分中の異形を見られないためだろ。どこかへ輸送するか放し飼いかは知らんが」

「馬車を襲ってきた奴も教会から出てきたのかな」

「かもな。けど問題は起きないと踏んでるんだろう。じゃなきゃもっと警備を置く」


 会場内を見回してみたがいるのは数名の神官だけで武装している者はいない。

 出入口の扉も解放されていて、非難している様子には見えない。

 招かれたという人々も何だか分かっていないようで、神官が配っているお茶を受け取りのんびりとくつろいでいる。


「薄珂たちいないね」

「いるとしたら来賓扱いで応接室だよ」

「分からないよ。金持ちの子供くらいに思われたら牢屋とか、酷い目にあってるかもしれない」

「薄珂が商談を持ちかけるさ。天一が優先取引契約するから解放しろ、とかな」

「あ、そっか。経営者なんだっけ」

「そうでなくとも象倒すような奴だから気にすんな。絶対大丈夫だ。それよりも俺たちがどうやって街を出るかだ。まずは教会内部を把握して、裏口でもあれば」

「お待たせ致しました! 教祖様よりご挨拶がございます!」

「あぁ?」


 哉珂の話を遮るようにして神官の一人が大きな声で宣言をし、それと同時に白く大きな扉が開かれた。

 入って来たのは大勢の神官に囲まれた教祖の少女だった。教徒だったらここで一斉に祈り始めるかもしれないが、おそらく羽民教ではない旅人しかいないこの場では教祖もただの有翼人の少女にすぎない。


「この度お招きしたのは皆様の安全のためでございます。先ごろ大きな暴力沙汰が確認されました。加害者は既に捕らえておりますが、念のため瀘蘭全域の安全確認が済むまでここでお過ごし下さい。教会内の施設はご自由にお使い頂けますので、何かあれば神官にお声掛けなさって下さい」


 教祖は恭しくお辞儀をし、会場の全員ににこりと微笑んだ。上品でありながらも愛らしく、教徒ならこの笑顔だけで心震えるのかもしれない。

 けれど威龍には雛と同族の少女でしかない。

 会場の人々からも子供が何言ってんだ、親はどんな教育をしてるんだ、という否定的な声が聞こえてくる。けれど中には微笑みかけられたことで安心を得た者もいたようで、ちゃんとした教会だったのねと笑っている者もいる。


(確かにこの子は異形を率いてるように見えない。どっちかといえば襲われそうだ)


 教会が連れ帰ったように見えたが、逮捕し捕獲した場面だった可能性もある。

 それに教祖の純粋そうな笑顔はあんな異形を内包する危険集団には思えなかった。

 教祖はまたにこりと微笑むと上品なお辞儀をして、神官と共に会場を出て行った。


「哉珂どう思う? 悪い子には見えないよ」

「俺は全て疑う主義だ。あれは演技で何か隠してると見なす。今のうちに教会内を見ておこう」

「う、うん。そうだね」

「何があっても離れるなよ。外で異形を見たことも言うな。ついでに誰も信じるな」

「……うん」


 つんっと眉間を突かれた。哉珂は完全に呆れ顔だったが捜索を先行してくれて、前回歩かなかった場所を見て回る事にした。


*


 神官が言うには、教会の中は大きく三つの区画に分かれている。

 一般開放区域と教会職員しか入れない区域、そして神子専用区域だ。神子専用区域の中心が教祖の祈りの塔で、足元に大きな聖堂があるという。

 ここは一般神官ですら立ち入りが許されず、神子以外で出入りできるのは司祭と司教のみらしい。

 今回集められた一般開放区域は生活に必要な設備が整っていた。教会が保護対象であると認めた者は無料で食事ができて寝泊まりも可能。

 さらには風呂も入れるという。教会というよりも豪華な客桟のような印象だった。


「本当に福祉団体なんだね」

「じゃあその正体暴くために祈りの塔へ行くぞ」

「やっぱり?」

「そこ意外に怪しいとこねえだろ。それに今なら教祖は外に出てる。絶対に無人だ」

「あ、駄目だよ。あそこ」


 恐らく祈りの塔へ向かうのだろう、神官に囲まれながら渡り廊下を行く教祖の姿があった。

 哉珂は舌打ちをして、方向転換をしようとしたがふいに教祖の少女と目が合った。

 すると教祖は神官に何かを告げ、こちらに小走りで向かって来る。


「見つかったね」

「面倒だな。俺の後ろにいろ。いつでも飛べるよう構えとけ」

「うん」


 哉珂は威龍をすっぽりと背に隠してくれた。

 ちらりと見えるのは苦笑いで駆け寄ってくる教祖と、いぶかしげに睨んでくる神官達だった。


「すみません。雛様とご随伴の方ですよね」

「あんたは教祖だったか」

笙鈴しょうりんと申します。神官が無礼をはたらいたと聞きました。変わってお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」


 笙鈴は勢いよく頭を下げた。よく手入れされているであろう艶やかな羽がふわりと揺れるが、ふと妙な香りが漂ってきた。


(お香かな。薬みたいだけどこんなのが良いのかな……)


 一般的なお香は花を用いる。天然由来の物はとても高価でなかなか手に入らない。

 隊商程度で扱える物では無く、威龍は見たことが無い。もしかすればこういった香りがするのかもしれない。

 だが良い香りとは思えず、威龍は一歩下がり雛に匂いが付かないよう両手で覆う。


「それはいいが、暴力沙汰ってのは何なんだ? こんな保護が必要な規模なのか?」

「分かりません。私の仕事は教会の意向を代弁するだけですので」

「だが教祖になるほど特別な何かあるんだろ」

「いいえ。神子職にある有翼人職員から選出されるだけで、単なる役職名です」


 笙鈴は教祖として立っていた時とはまた違う、どこか軽薄な笑みで言い捨てた。


(何だろう。この言い方は神秘性のある教祖というよりも)


「ふうん。あんたは教会に賛同してないわけだ」

「ええ? 何故です?」

「言い方さ。普通教祖といえば神の代弁者として己を誇る。それを業務扱いなんて信仰心の無い証拠だ」

「普通はそんなの気にしないですよ。気にするとしたら教会に疑問を持つ者くらい」

「へえ。わざとかい?」


 哉珂はにやりと笑い、笙鈴もくすりと笑った。

 二人は何か分かり合った様子だったが、威龍には二人が何を考えているかまでは分からなかった。ぴょいっと顔を出して二人をきょろきょろと見比べるが、哉珂はまるで考えるなと言うかのようにぐいぐいと背の後ろに押し込んでくる。


「それで、あなた方は何をしに来たんです? 一度は逃げたのでしょう」

「ああ。だが異形を見たもんでね。とても見過ごすことはできないだろう」


 教祖としては眉一つ動かさなかった笙鈴だったが、哉珂の一言だけでぴくりと眉をしかめた。それはほんのわずかだったが、確実に何かを知っている者の異変だ。


「何か知ってるな。教会は何を隠してるんだ。全てを話せばお前の目論見に手を貸せるかもしれんぞ」

「……そ」

「笙鈴様! お祈りの時間です!」

「は、はい!」


 こちらの話は聞こえていないだろうが、神官は話を邪魔するかのように叫び声を上げた。哉珂は舌打ちをしたが、笙鈴はぺこぺこと神官に頭を下げる。

 そして哉珂の背に隠れていた威龍の前にやって来て、雛へ向けて祈るような姿勢を取った。


「ちょ、ちょっと止め」

「聖堂の奥、特に地下へ入ってはいけません。羽根は一枚も落とさないで下さい」

「え?」

「皇子殿下が街に滞在なさっておいでのはず。お探しし、共に華理へお逃げ下さい。宮廷直轄地であれば教会の権力は及びません」

「……皇子って」


 薄珂のことか、思わずそう聞こうとしたが哉珂に後ろから片手で口を塞がれた。


「忠告は有難く受け取るよ。もう行け」

「はい。どうぞご無事で」


 笙鈴は御情けばかりにもう一度祈るような姿勢をすると、ぱたぱたと神官達の元に帰って行った。神官達も雛へ祈るような姿勢を取り、深々と頭を下げて去って行く。

 それはとても信心深いように見えるが、笙鈴の苦々しい顔がそれは演技だと言っている気がした。


「逃げなきゃならないような事態になってるって事でいいなこれは」

「……そうだね」


 雛を守るためなら今すぐ華理へ発つべきなのだろう。

 だが薄珂たちを見捨てていく選択は、威龍にはまだできなかった。

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