第九話 神の子の失踪

 雛と外を歩く時は布製の抱っこ紐を使っている。

 薄珂と出かけるにあたりいつも通りの支度をしていると、薄珂が見たことの無い形状の抱っこ紐をくれた。


「この抱っこ紐すごく安定して良いな! 紐っていうか袋だな、もう」

「普通のぶら下げる抱っこ紐は羽の重さを支えられないからね。支えられないなら袋に入っちゃえばいいかなって。生地は立珂がこだわった。目が粗い通気性の良い生地なんだけど、これなら熱がこもることも無いから赤ちゃんも気持ち良いんだ」


 今までは布でぶら下げてるような状態だったが、これは素材も形状も独特で、体をしっかりと支えてくれた。

 羽を出せる作りになっているので、羽を避けてぐるぐる巻き付ける必要もない。


「すごい楽だこれ。両手が空くのいいな。腰の鞄から物を取り出しやすいし」

「鳥になった時も便利だよ。これごと掴めるから何かあった時に逃げやすいんだ」

「あ! 良い! すごい良い! それが一番良いよ!」

「でしょ。あ、歩きながら羽掻き回してあげて。常に暑がってると思った方がいい」

「わしゃわしゃ?」

「そうそう。雛は羽もっと間引いた方が良いかもね」

「間引く? 抜くのか?」

「うん。羽根って髪みたいに伸びて増えるんだ。自然に抜ける分もあるけど、発育の良い子は増える方が早くてかなり重くなる。意識的に運動するようになるまでは背中より小さくした方が良いよ。動くの億劫だと運動不足になって足腰弱るから」

「そんな事もあるのか。うん、ありがと。雛、一緒にいっぱい運動しような」

「これもあげるよ。いざという時は抱っこ紐切って鳥になるだろうけど、結構頑丈なんで切れないんだこの紐」


 薄珂は懐から小刀を取り出しぽんと渡してくれた。滑らかな白い柄に菖蒲が掘られていてとても上品だ。

 土と埃にまみれて生きてきた威龍が扱うにはあまりにも線が細く扱い難そうだが、商品ではなく私物をくれるのはとても嬉しかった。


「有難う。助かるよ。大事にする」

「切れ味良いから気を付けてね。飛んで逃げる余裕の無い敵だった場合はまず目潰すと良いよ。絶対逃げれるから」

「傭兵と同じこというのなお前。ちょっと前に会った傭兵の人もそんな事言ってた」

「あはは。俺はお医者さん直伝だよ」

「どんな医者だよ……」


 羽民教は有翼人を神秘的な存在のように見ているが、薄珂が教えてくれる事はとても現実的で盲目的な信仰よりもずっと意義を感じられた。

 哉珂もそうだが、生きるために必要な知識を与えて貰えるのは有難かった。


「あ、威龍待って。ここ寄ろう。薬屋。赤ちゃん用の薬買っておいた方が良いよ」

「保湿薬なら買ったぞ」

「それより汗疹の薬が必要だよ。余分に持ってる方が良いから。かゆみ止めも」


 薄珂が足を向けたのは以前入った店とは違う店だった。

 だがその店はいかにも高級店という雰囲気で、隊商にいた頃はぶつかったりして弁償問題になったら大変だから避けて通るような店だ。

 けれど薄珂はすたすたと入り、威龍は隠れるようにして後に続いた。

 店に入ると、会計台に五十代ばかりの男が肘をついていた。

 男は威龍を見て一瞬嫌そうな顔をしたが、薄珂の顔を見るなり勢いよく立ち上がりばたばたと駆け寄ってくる。


「薄珂様! 何故このようなところに! 随伴はどうなさいました!」

「今日は友達と一緒なんだ。有翼人の赤ちゃん用の薬欲しいんだけどあるかな」

「ありますとも。一式ご用意します。赤ん坊というと立珂様用ではないですよね」

「こっちの彼が抱っこしてる赤ちゃん用。腰下げに入るようにしてくれる?」

「畏まりました。少々お待ちを」


 先程の不満げな顔はどこへやら、男は笑顔で薬をあれやこれやと持ち出し威龍の腰下げ鞄に入る分量を確かめていく。

 縦に詰め込めるように細長い瓶に薬を入れ替え、それぞれの蓋に用途と容量用法の書いてある紙を括りつけてくれるという行き届いた提供もしてくれた。


「これで良いでしょう。重くありませんか。重すぎるようなら多少調整できますよ」

「大丈夫です。全部でいくらですか?」

「いえいえ! 薄珂様からお代なんて頂けません。どうぞお持ち下さい」

「これ使うの薄珂じゃなくて俺なんです。だからお代はちゃんと払います」

「ははは。薄珂様のお連れ様なら問題ありません。お気になさらず」

「威龍。いいよ甘えちゃって。じゃあ貰ってくね。次の納品は麗亜様と来るよ」

「はい! 有難う御座います! 心よりお祈り申し上げております!」


 そして薄珂は軽く頭を下げると、本当に支払いはせずに出てしまった。


「薄珂! これいいのか、本当に。安くないだろ、これだけ揃えるなんて」

「いいんだよ。俺の方が上で彼は従う立場だと認識させる意味もある――ってのが麗亜様の方針だから」


 これほど上から目線の発言が同じ歳頃の子供から出て来るのは驚くべき事だ。

 だがそれ以上にこの薄珂が敬称を付けて呼んだ麗亜という人物が気にかかる。


「その麗亜様ってのが誰だかは聞いてもいいか……?」

「明恭の皇陛下だよ。宮廷相手の商売方法を教えてくれたんだ」

「皇陛下⁉ え⁉ この前言ってた皇太子は⁉」

「それは蛍宮の前皇太子だよ。俺は蛍宮から来たんだ。あ、次の配達先すぐそこだ」

「え、あ、ああ、うん……」


 もはや何に驚けばいいのか、実は驚くことじゃないのかという気がしてくるほど薄珂は当然の様に名を呼び、さらっと次の話題へ移る。

 本当は突っ込んでほしくないのか、心底どうでもいいのかもう分からない。

 混乱しつつ歩いていたが、薄珂がぴたりと足を止めた。どうやら目的地に着いたようだったが、その建物の様子を見て威龍は眉をひそめた。


「この家なんだけど……」

「……ここ?」


 門があるのは分かるが、その足元には大きな箱や袋が幾つも積んであってこんもりと埃をかぶっている物もある。


「家は家でもごみ屋敷に見えるんだけど?」

「だね。変だな。ここは元神子の有翼人がいるはずなのに」


 あまりの汚さに威龍は一歩引いたが、薄珂は気にもせず近付きごみを手に取った。


「お、おい。汚いって」

「うん。でもこれちょっと……」


 薄珂は高貴な身分とは思えないほど躊躇なく手を突っ込んで中身を確かめ始めた。

 出てきたのは服や水筒、石鹸や洗剤、何が入っているか分からない瓶、壺など用途に統一感のない品々だった。

 とても意味がある物には見えないが薄珂の表情は真剣で、威龍もつられて手を伸ばしてみる。しかしその時、くいっと何かに袖を引かれた。


「神子様を連れてごみ掃除などお止め下さいませ」


 威龍を呼び止めたのは老齢の女性だった。首に羽根を模した飾りを付けている。

 言わずもがな羽民教教徒だろう。

 反射的に雛を隠そうと背を向けたが、その気まずさを物ともせず薄珂がずいっと前に出てきた。


「ねえ。ここの住人どうしたか知ってる? ごみ凄いけど」

「長いことお留守ですよ。神子でなくなったとはいえ神の子。きっと遠くまで幸福を運んでいらっしゃるのでしょう。荷物はそのままになってしまったのかと」

「いなくなった? 突然? それとも事前に挨拶でもあったの?」

「突然ですよ。神子様は災厄を治めに向かわれ、それは我々の知りえることでは御座いません。またお戻り下さると良いのだけれど」

「帰ってこない事もあるんですか?」

「ほとんどはお戻りになりません。何しろ災厄は世に多いですから」

「そっか。有難う」


 薄珂にとんっと背を叩かれ、威龍は薄珂の後についてその場を去った。

 足早に谷間の家に戻ると、朱と哉珂は書類を囲んで何か話し合いをしていた。


「ただいま。朱さん、ちょっといい?」

「お帰り。どうしたんだい、怖い顔して。良くない話かな」

「良くないかもしれない。元神子の有翼人が失踪してる。教会と契約するなら事件性が無いか調べてからにしたい」

「ふうん。それは確実に失踪なのかい? 家でとか旅行してるだけではなく?」

「分からない。でも元神子の自宅に配達された品が日用品ばっかりだった。どう見ても出かける事は想定してないよ」

「確かに。服とか洗剤あったな。あそこで生活を続ける奴じゃなければ必要ない」

「単に出かけてるだけじゃないのかい?」

「拉致誘拐監禁の可能性だってあるよ。羽民教は有翼人狩りとそっくりだ」

「え? 羽民教は迫害なんてしてないだろ。相当気持ち悪いけど」

「根本的なとこだよ。向けられる感情が何にせよ『有翼人は自分達とは違う』って認識をして同じ生命として扱わない」

「ああ、まあそうだな……」

「けど教会が関係してる証拠でもあるのかい? ただの犯罪かもしれないよ」

「教会じゃない証拠もないよ。調べないなら天一は手を引くよ。それと、立珂の身に危険が及ぶような判断をした場合はどうなるか分かってるよね」

「ふーん。薄珂がそこまで言うほどなら無視はできないね」


 薄珂は厳しい顔をした。その言葉から朱よりも薄珂が上位なのは明らかだった。


「奴らは何かをやっている。有翼人を失踪させなければならない何かを」


 薄珂の言葉はとても重かった。両手でしっかりと立珂を抱きしめる姿はとても力強く見えて、威龍もつられて雛を強く抱きしめていた。

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