第三話 羽民教

 瀘蘭は山間の街だ。西と南の狭間にあり、脚力の無い旅人は中継地点に利用する。

 そのため客桟はどこに入るか選べるくらい多い。それでも川が近く静かな場所という条件を満たす店は少なかった。

 ようやく見つけたのは街外れの高台にある客桟だった。

 他の建物に比べてひと際大きく、煌びやかな装飾が施されているあたり宿泊料が高額であろう事は想像に容易い。

 だが他に良い客桟は見当たらず、ともかくは値段を聞いてみようと入店した。

 しかし店主から宿泊料を聞いて威龍は思わず大声を上げた。


「一泊銅二⁉ それも一人で⁉ 嘘だろ! 高すぎる!」

「そう言われましてもこれがうちの標準です。ああ、お子様も一人分頂きますよ」

「食事付きか? 別料金?」

「こちらからご用意はしておりません。ご入用であれば、館内に料亭がございますのでご利用ください。平均で一食銅一程度でございますので」

「食事に銅一は高いって。米をひとすくい分けてくれるだけでいいよ」

「申し訳ございません。食材だけのご提供はしておりませんので、外へお願いいたします」


 隊商の月給は成果により変動するが、威龍は基本的に銅八、多くても銅十だった。

 ろくに金を使った事が少ない威龍にとって、たった一泊で給料の半分近くが無くなるのはなかなかの衝撃だった。


(それくらいあるけど、定住して仕事に就くまで無駄遣いはしたくないな……)


 自分たちだけで生活するのは初めてだ。何があるか想定すらできていない以上は出費を抑えたいところだった。

 ううんと威龍が決断しきれず唸っていると、哉珂が当然のように銅を六枚出した。


「とりあえず一泊頼む。なるべく他と離れてて静かな部屋がいい。あるか?」

「ありますとも。ただ大人数用の部屋なので割高になります。お一人銅三」

「分かった。それでいい」

「哉珂! ちょっと待って。もうちょい安いとこないか探そう。さすがに高いよ」

「大人を舐めるなよ。これくらいは問題ない。それに雛を休ませるのが先だろう?」

「……そうだね。うん。じゃあ絶対返すから今は借りる。有難う」


 哉珂は威龍の腕の中で苦しそうに唸る雛をそっと撫で、にこりと優しく微笑んでくれた。威龍は言葉に甘えて宿泊を決め、与えられた部屋へと入った。


「ここが部屋? 宴会の会場の間違いじゃないの? 隊の全員が寝られるよ」

「そこまで広くもないぞ。馬車以外で生活するの初めてか?」

「うん。お金出して泊まる必要なんてなかったんだ。何あの壺。いる?」

「店の威厳を示すためだよ。うちはこんな高級品を変えるんだぞって分からせる」


 部屋は広いだけではない。装飾品はいかにも高価で、何が描かれているのか分からない掛け軸に使い勝手が悪そうな大きく華美な壺。

 ぎゅうぎゅう詰めで土にまみれる馬車生活を送って来た威龍には、まるで意味の分からない異世界だった。


「人間て意味の無い見栄張るよなあ。俺は雛がゆっくり元気に過ごせればいいよ」


 余裕がある時ならこの優美さを楽しんだだろうが、威龍が大事なのは雛だ

 ふかふかの長椅子にそっと寝かせて手を放すと、雛はくしゃりと顔を歪めた。布団が嫌だったのか、じたばたと暴れて威龍の膝によじ登ってくる。

 威龍を椅子代わりのようにして腹に寄りかかり、それで落ち着いてしまったのか横になろうとしない。


「雛。ちゃんと横になろう。お布団ふかふかで気持ち良いぞ」

「やあ! や! やあ!」


 雛を抱き上げ布団に寝かせようとしたが、やはり雛は嫌がり威龍の腕にしがみ付いて横になろうとしなかった。


「どうしたんだ、雛。隊商の布団より良い布団だぞ」

「いや、抱いてやったほうが良い。有翼人の羽の変色治療は後ろから抱くんだ」

「そうなの? 何で? 羽潰れちゃうよ」

「有翼人の羽は心だという。羽で愛情を感じ、それが薬になる。羽が潰れるくらい強く、信頼してる相手に抱いてもらうのが一番気持ち良いんだよ」

「どういう仕組みなのそれ。神経無いのに気持ち良さなんて感じる?」

「知るか。そういう生態なんだよ。ともかく抱いてやれ」

「ふうん。有翼人って不思議だなあ。ごめんな、雛。俺全然分かってなくて」


 雛は腹の前で威龍の両手をがっちりと掴み、あっという間にうとうとし始めた。

 小さな手でしがみついてくる様子はとても愛おしくて、威龍は温かい雛をぎゅっと抱きしめる。


「そんな掴まなくても放さないから大丈夫だぞ。ずーっと抱っこしててやるからな」

「お前も横になって休め。腹の上に乗せて抱いててやれば良いだろう」

「うん。風通しが良い窓の近くの方が良いかな。ちょっと汗かいてるみたいだ」


 それから威龍は雛を抱いて一晩眠り、昼になると雛はだいぶ元気になっていた。

 土気色だった頬は以前のように赤みが差し、黒かった羽もいつものように青く輝いている。


「良かった! 元気になったな! もう気分悪いとこないか? 痛とこないか?」

「んっんっ」


 威龍が雛にぐりぐりと頬ずりをすると、雛も嬉しそうに頬ずりを返してくれる。

 ようやく元に戻った雛の姿に安堵していると、ふいに雛の腹からぐうと音がした。 


「あはは。お腹空いたんだな。雛はいっぱい食べるもんな」

「健康な証拠だ。ここの食事高いし、街に降りるか」

「そうだね。雛。食事がてらお散歩するぞ。お外に出るからな」

「んっ」


 雛を連れ回すより宿の中で食事を摂りたかったが、一食銅一はあまりにも高い。街には庶民が使う店があるだろう。

 威龍は雛を抱っこして客桟を出た。


「雛は魚がいいよな。他に食べたい物あるか?」

「おさかなっ!」

「雛はもうそんな喋れるのか。成長早いな。じゃあ適当な飯屋に入ろう」


 海が無い山間で魚は高価だ。食にこだわりの無い威龍の手は伸びないが、雛の好物ならば話は別だ。品目に魚のある店を探して回った。

 客桟以上に飲食店は多かった。さすがに露店で買った立ち食いは雛が落ち着かないので入れる店を捜し歩く。

 だがしばらく歩くと、すれ違う人々から横目に見られているのに気が付いた。


(鳥獣人は希少だ。獣化すれば見られるけど、今は人間だしな。何だろ)


 鳥獣人と知られると奇異の目で見られる事はよくあった。鳥獣人に関わらず、絶対数が少ない獣種が獣になる様はどこに行っても面白がられる。

 だが今の威龍は人間だ。獣人は自ら獣人と名乗らなければ人間と見分けがつかない。

 当然、威龍が鳥だなんて気付きはしないはずだ。


「哉珂。俺すごい見られてる気するんだけど。気のせいじゃないよね」

「こいつはお前じゃない。雛を見てるんだよ」

「雛を? やっぱり青い羽って珍しいの? 俺有翼人と暮らしたことないんだ」

「いや、この辺りは羽民教なんだよ。有翼人は漏れなく注目を浴びる。羽民教は知ってるか? 宗教なんだが」

「全然知らない。隊商は土地に定住しないから土地独自の文化に詳しくないんだ」

「だよな。羽民教はその名の通り羽の民。純白の羽を持つ天使って想像上の生き物を祀ってて、有翼人はその遣いである『神の子』とされている」

「え……何それ。何か気持ち悪いんだけど……」

「宗教は信者以外には意味不明なもんだ。若干引くが迫害する土地よりずっと良い」

「中央の蛍宮けいきゅう辺りは有翼人狩りやってたもんね。何千人も殺されたって」


 有翼人は土地に寄り扱いが大きく異なる。

 獣人優位の土地では手酷く迫害される。獣人から見て有翼人は、人間が獣の血を乱用した異種族のように見えるからだ。

 特に老齢の世代には顕著で、全く仲間意識が持てないらしい。その代表格が獣人を優位とする蛍宮という国だ。

 だが人間優位の土地では良いも悪いも特別扱いは一切無い。

 獣の血を持たない彼らにしてみれば、どちらも『容姿が人間と異なる』という同じ括りの事象なのだ。

 それどころか、荷運びができないという前提条件が目に見えるのは、業務の適材適所がしやすい――と、好意的な者が多い。悪くても無関心なだけに留まる。


「受け入れられないなら羽民教の土地に根付くのは止めとけ。華理が無難だ。人間が造った国で、有翼人も多いし専用商品の流通もある」

「そっか。とにかく華理に行くのが良」

「あの、そちらは新たな教祖となられる神子様でしょうか」

「はい?」


 先行きの明るい話に安堵していると、老齢の女性が突如話しかけてきた。

 何の変哲もない女性だが、祈るように手を合わせて雛を見ているのは気味が悪い。

 威龍は思わず雛を隠すようにきつく抱いて背を向けると、さらに威龍を隠すように哉珂がずいっと前に出た。


「旅行中ですよ。瀘蘭の住民じゃありません」

「まあ! では幸福をお運び下さったのですね! なんと有難い!」


 威龍には女性の言っている意味が分からなかったが、困惑している間にもぞろぞろと人が集まり始めた。

 誰もが輝かしい物を見るような顔で雛を拝んでいる。


「ささ、どうぞお納めくださいませ」

「こちらも」

「私も」

「いえ、あの、俺らそういうんじゃないんで。止めてください」


 集まってきた人々は食べ物だったりお金だったりを差し出してきた。

 雛に直接受け取ってもらおうと必死に腕を伸ばしてきて、威龍は露骨に嫌そうな顔を見せてしまう。


「ほっとけ。相手にしてたらきりがない。さっさと食事して戻ろう。上着で羽を隠せ」

「うん。ごめんな、雛。暑いけどちょっとだけ頑張ってくれよ」

「んっ」


 一人一人断りを入れてはきりがないほどの人数が集まってしまい、威龍たちは一目散に逃げ出した。

 しばらく走り、あまり客入りのない飲食店へ駆け込みようやく一息吐いた。

 雛の好物である魚の定食を注文し、身をほぐして口移しで食べさせてやる。


「気味悪いね、この町。羽民教って皆ああいう感じなの?」

「大体は。でも迫害されるよりずっといい。瀘蘭にいる間は好きにさせとけ。角を立てたら動き難くなる」

「そうだね……」


 雛は威龍の膝に座り、大好きな焼き魚をむぐむぐと頬張っている。

 まだ箸が使えないので威龍がほぐして少しずつ口へ運んでやるが、もっともっとと急かしている。

 すっかり元気に見えるが、よく見れば内側の羽根はまだ黒い。元に戻ったのは威龍が直接触れていた部分だけのようだ。


(そうだ。雛は俺が守ってやらなきゃ。問題になるような事は徹底的に避けないと)


 威龍は鳥の雛のように口を開けている雛に魚を食べさせてやる。

 雛の幸せそうな笑顔は何物にも代えがたい癒しで、威龍は誓うような気持ちでしっかりと抱きしめた。

 雛が満腹になると客桟に戻ったが、店主はにやにやといやらしい笑みを浮かべて近寄ってきた。

 まさかここでも羽民教かと思ったが、告げられたのは現実的な話だった。


「一人銀一に値上げ⁉ 銅二が銀一って十倍じゃないか! 何だよその値上げ!」

「申し訳ない。季節柄どうしようもなくてですね」

「はあ? 季節がどう関係あるの。客が増えたようには見えないよ」

「まあ色々と。難しいなら申の刻までにご退店お願いしますよ」

「そんな! もう一刻しかないじゃないか! 今から客桟探しなんて無理だ!」

「へえ。ならお一人銀一をお支払いいただくしか御座いませんね」


 銅二十で銀一となり、銀十で金一となる。

 隊商は物々交換も多いため多少の前後には慣れている。だがこんなかけ離れた額は誤差では済まされない。

 威龍はどすどすと部屋へ戻ると乱暴に長椅子へ座り込んだ。


「何だあれ! そんな金持ちじゃないのは見てわかるだろ!」

「予想はしてたよ。有翼人様は羽民教に貢がれるから払えるだろって考えるんだ、瀘蘭の商売人は。見てみろ」


 哉珂に窓の外を見るよう促され、見てみると数名の人々が押し寄せていた。

 誰も彼もが拝んでいて、それは先ほど出くわした羽民教に他ならなかった。


「うわ……嘘でしょ……完全に見世物じゃん……」

「羽民教の土地にいる有翼人の宿命だな。だがさすがに高すぎる。立地は惜しいが他へ移ろう」

「そうだね。良いとこあるといいんだけど」

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