第二話 別れ(二)

 威龍と哉珂は馬車から外の様子を窺った。隊員は方々へ逃げ惑い、足の速い獣人は獣に姿を変え走っている。

 走っている隊員は何かに追われているようだったが、追っている者を見て威龍はびくりと震えて固まった。

 それの全体像は人間のように見えるが、顔半分と腕は獅子で背には蝙蝠のような羽がある。目は血走り左右の眼球はぐるぐると回っていて落ち着かず、閉じる事を忘れた口からはぼたぼた血が流れている。

 人間でも獣人でも、新人類の可能性を秘めた有翼人でもない。まるで異形だ。


「何だよあれ! 化け物じゃないか! 何だよ!」

「知るかよ! いいから逃げるぞ! 雛を寄越せ!」

「う、うん!」


 哉珂は雛を抱き上げ威龍の手を引いて走り出した。

 幸いにも化け物は追ってこなかったが、馬車の辺りから響く悲鳴は止まなかった。

 悲鳴が聴こえなくなったのは馬車が見えなくなった辺りで、隊員の無事はもう分からない。威龍も哉珂も肩で息をして、高台の岩場でようやく腰を下ろした。

 仲間を置き去りにした事への後悔で威龍は俯いた。しかしふと雛の羽が目に入り、異変に気が付き血の気が引いていく。


「羽が真っ黒だ! どうしたんだ、どうしたんだ雛!」


 雛の綺麗な青い羽はどす黒くなっていた。脂汗をかいて顔は土気色だ。

 見た事もない雛の異常に威龍はがたがたと震えたが、哉珂は落ち着いた様子でそっと雛の頬に手を添えた。


「有翼人の羽は心の機微で変色するんだ。体調にも影響する」

「何それ。どうして。そんなの聞いたことないよ」

「分からん。そういう生態らしい。ちゃんと休んだ方が良いな」


 哉珂は腰に下げていた鞄から地図を取り出し広げた。つつっと紙面を撫でると、とんっと一か所を指差した。


瀘蘭るうらんが近いな。小さい街だが寝泊りする客桟きゃくさんくらいあるだろう」

「けど馬車、皆が襲われたままだよ。憂炎、だって……」

「無事なら華理で合流するさ。けど自然に離隊できるならその方がいいだろ。犯罪者だって突きつけるのは嫌じゃないか?」


 憂炎とは物心ついたころから一緒だった。育ててくれたのも仕事を教えてくれたのも憂炎だ。そこに悪意があったかどうかは分からないが、それでも親だった。

 だが今、雛が威龍の指をきゅっと握っている。雛は威龍しか頼る相手がいない。


「雛を守るために必要ならやるよ。俺は雛を守るんだ。雛を育てるんだ!」

「よく言った。よし。じゃあ瀘蘭に行こう。雛を守る準備をするぞ」

「うん!」


 威龍は雛をぎゅっと抱きしめ、哉珂と共に歩き始めた。

 自宅だった馬車がどうなったかを振り返りはしなかった。


 休憩しながら進んで大分経った。

 日が暮れてきて威龍の気は焦ったが、飛べば暗闇に瀘蘭の街灯りは確認できた。

 最短経路を辿りながら進むと真っ暗になる前に威龍達は瀘蘭に到着した。


「着いた! よかった。結構人が多いね。上から見てたよりずっと大きいや」

「まずは泊まる場所の確保だ。客桟を探そう。良い店があるといいんだが」

「うん。雛、もうすぐ休めるから頑張れよ」


 威龍は雛を抱っこする手にぎゅっと力を込めた。

 見渡す限りでも商店は多く露店も多い。もう夜が間近のためかどこも店じまいを始めているが、旅人を歓迎する客桟もちらほらと見られる。

 威龍と哉珂は一番手前にある客桟へ足を向けたが、その時だった。


「威龍!」


 呼ばれて振り向くと、そこにいたのは憂炎と曄だった。二人とも心配そうな顔をしていて、曄は涙目で抱きついてきた。


「よかった! 無事か! 近い街に寄ると思ったんだ。正解だったな」

「まさか待っててくれたの?」

「当たり前だろ! ん? おい! 雛はどうしたんだ! 羽が黒いじゃないか!」

「具合悪いんだ。休ませたいから客桟で何泊かしようと思って」

「それは駄目だ。華理の出店日に間に合わなくなる。馬車で寝かせれば良いだろう」


 憂炎は街の外へ目をやり、その視線の先には隊商の馬車が停めてあった。

 隊商の定期入場制度を設けていない街は停留場の無い場合が多い。歓迎し出店をさせてくれる土地もあるが、閉鎖的な街では経営の妨げになるとして邪魔者扱いされる事も少なくない。

 瀘蘭はまさにそうだったようで、人々はじろじろと馬車を睨んでいる。

 憂炎も曄も気まずそうにしているが、それ以上に憂炎への気まずさがあった。


(悪意の有無はどうあれやってる事は犯罪だ。悪意があれば口封じで何かされる可能性だってある)


 威龍はもはや憂炎を信じられなくなっていた。哉珂の言っている事が全て本当かどうかは分からないが、最悪の事を考えれば安全を確保するのが先だ。

 威龍はちらりと哉珂を見ると、哉珂は小さく頷いてくれた。

 哉珂の力強い視線に背を押され、親代わりだった憂炎にまっすぐ向き合った。


。俺らここで抜ける」

「……はぁ?」

「威龍⁉ 何言ってるのよ!」


 今までは父と呼んでいたがあえて名前で呼んだ。憂炎も曄も目を丸くしている。


「雛をちゃんと育てたいんだ。定住して雛と一緒に暮らす」

「いや、でも子供二人でどうするってんだ。仕事だって無いじゃないか」

「それは俺が付いてく。国に保護してもらえばいいからな。俺らの違約金だ」


 隊商は自由参加ではなく労働契約を交わしている。

 契約満了前の自己都合離隊は違約金が必要となるが、雛は威龍の養い子扱いで契約を結んでいないため違約金が必要なのは威龍と哉珂だけだ。

 哉珂は腰の鞄から財布を取り出し、威龍の分も含めて金二枚を憂炎に渡した。


「有難う。後で返すよ。稼げるようになったら絶対」

「気にしなくていい。行くぞ。有翼人は水道水が苦手だから川の近い所が良い」

「雛が静かに寝れる場所がいい。街の真ん中より少し外れた方がいいかな」

「威龍! 待って! 待ってよ! 本当に行っちゃうの⁉」


 叫んだのは憂炎ではなく曄だった。眉をひそめて顔を青白くして震えている。

 曄とは兄妹のように育ってきた。最も近しい家族のような存在で、離隊など信じられないのだろう。

 心配してくれているのも別れを惜しんでくれているのもよく分かったが、それでも威龍の決心は揺らがなかった。


「うん。雛と暮らす。もう決めたんだ。もう隊商では暮らさない」

「どうして! ずっと一緒だった私達より雛の方が大事なの⁉」

「うん」


 曄は衝撃を受けたようでびくりと震えた。

 自分の言葉が曄を傷付けると分かっているけれど、威龍が抱きしめたいのは腕の中で眠る雛なのだ。

 目に涙を浮かべる曄に背を向け、威龍はぺこりと憂炎に頭を下げた。


「今まで有難う。みんなに挨拶できなくてごめんって伝えて」

「本当にそれでいいのか。子供だけで生活のは楽じゃないぞ」

「それでも隊商で暮らすよりはずっといいよ。それじゃあ元気で。行こう、哉珂」


 曄はまだ何か言いたげだったが、憂炎はそれ以上は何も言わず曄を諫めていた。

 それが有難くもあり、身勝手ながら寂しくも感じていた。


(……さよなら、父さん)


 哉珂は一度も振り向かず客桟へ向かい、威龍も振り向かず哉珂の背を追った。

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