第9話 異世界移動中
そして翌日、俺はしっかりとした造りの箱馬車に所在なく座っていた。
窓の外を流れる景色があまりに
流石、王家所有の箱馬車はスプリングが効いていて揺れも少なく、アスファルト舗装されていない道路にしては、乗り心地は最高と言って良かった。
(これでメンバーさえ良ければな)
俺は心の内でそっとため息をこぼす。
俺の目の前にはアディが座っている。アディの隣はリーファだ。
アディやリーファが気に入らないなんて有り得ない。
2人揃えば眼福としか言いようのない兄妹なのだ。
問題は俺の隣だった。
「ユウさまは退屈と見える」
皮肉いっぱいに俺をユウさまと呼ぶのはエイベット卿だ。
(なんで俺の隣がおっさんなんだ)
アディ、俺と席を替わってくれ!
俺は必死に心の中で訴えるのだが、残念な事に俺の願はアディに届かなかった。
「同じ景色ばかりだからな。見飽きただろう?」
アディは苦笑する。
金髪イケメン様の笑顔は俺の胸に痛い。
「いや。見事に整備された耕地で感心するよ」
窓の外には一面の小麦に似た作物……小麦モドキ畑が広がっていた。
アディが嬉しそうに笑う。
……いや、ホント胸に痛いから止めてください。
俺はそっと視線を逸らせた。
誤解するなよ!
俺の胸が痛いのはドキドキするからじゃない。ズキズキするからだ。
そう、俺の胸は罪悪感でいっぱいだった。
なにせ俺はアディに、獣人の事も不審人物の事もいっさい話していないのだ。
両方共ともすれば国の一大事になる重大事項だというのに……
話せない一番の理由はティツァに脅されているからだけど、それでも俺は、話そうと思えば話せる。
今、ティツァはこの馬車の後方を走っているはずだった。当然フィフィも一緒である。
驚いた事に、獣人は人間が馬車で移動する距離とスピードに楽々ついて来れるのだそうだ。
それどころか馬車なんか獣人から見れば亀みたいなものだとか。
「俺達の聴力は人より格段に優れている。人の聞こえない音が聞こえ、どんな小さな音でも簡単に聞き取る事ができる。馬車の中の会話など俺には筒抜けだ。詳しい意味はわからずとも単語のキーワードを拾う事はできる」
だからおかしな真似をするなとティツァは俺を脅した。
俺がアディに少しでも獣人の事や間諜の事を話せば、直ぐに馬車に飛び込んで俺を殺すと宣言する。
(殺す、殺すって物騒な奴だよな)
……それでも、俺は自分の身の危険さえ考えなければアディに全てを話す事ができた。
馬車の脇には馬に乗ったコヴィが警護に付いている。
他にもいかにも強そうな筋肉隆々とした騎士が何人も居る。
たとえティツァにすきを突かれたとしても、俺がアディに話す時間くらいは稼いでくれるはずだ。
そして、例えコヴィ達が失敗したとしても、ティツァが本当に俺を殺すかどうかは五分五分の確率だった。
(いや、八割方は大丈夫だと思うんだよな)
ティツァが俺を殺すという事は、獣人の立場をもの凄く悪くするという事だ。
今まで人に従順で、危険など何もないと思われていた獣人の恐ろしさを白日の下に晒してしまう。
ティツァひとりの行動で、全ての獣人を人間の敵にするような危険なマネを果たして本当にするだろうか?
俺は、99%は大丈夫だと思い直す。
でも、それでも……1%は残るんだよな。
99%と100%は、イコールではなかった。
ビビりだと笑わば笑え。
俺はまだ死にたくない。
しかも異世界で死ぬなんて絶対にイヤだ。
石橋を叩いて壊すとまで言われた俺のビビり具合をなめんじゃねぇ!
いや、全く全然威張れた事じゃないけどな。
俺は心配なんだ。……怖いと言ってもいい。
俺は、獣人の事をアディに話す事自体に、わだかまりを持っていた。
アディは良い奴だ。その事は俺が胸を張って保証する。
それでも俺は、俺の話を聞いたアディがどんな結論を出すのかが、わからなかった。
そしてアディの出した答えで、この世界が変わっていくのが……怖い。
俺は、奴隷制度は間違っていると信じている。
でも、アディは奴隷制度が当たり前のこの世界で生まれ育ったんだ。
環境が違えば考え方だって違う。
あのリンカーンだって奴隷を解放しようとした当初の理由は、奴隷のためではなくてアメリカという国家のためだった。しかも、それを隠すことなく堂々と言っている。
それが普通だったという事だ。
俺の信じている正義が、アディのものと同じだという保証はない。
俺の正義もアディの正義も、そしてティツァの正義もきっとみんな違う。
正義に絶対的な正しさなんてないんだ。
俺は、怖い。
……とてつもなく怖かった。
――――あ~あ、俺って本当にビビりだよな。
胸の罪悪感に蓋をして俺は心のオアシス、リーファに視線を向ける。
丁度こっちを向いたリーファはニコリと笑ってくれた。
(ハァ~、癒される)
美少女最高!
天使の微笑ってこういう笑顔を言うんだよな。
なのにだらしなく表情を崩した俺の目の前に、エイベット卿がヌッと顔を出した。
「せっかくの機会です、ユウさま。あなたの持つ異世界の知識でこういった耕地のより良い開発方法を教えてくれませんか?」
(えぇ?……面倒クサィ)
エイベット卿の顔には、できるもんならやってみせろという馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。
「ああ。それは良い考えだな。流石はエイベット卿だ。ユウ教えてくれ」
対するアディは本当に喜んでいた。
よせよ。
そんな話、女の子のリーファが気に入るはずがないだろう。
俺はやだぞ。せっかく俺に好意的なリーファを俺の話で退かせるなんて。
「まあ。ユウさま、ぜひお願いします!」
なのに、リーファは瞳をキラキラさせて俺にお願いしてきた。
……仕方ねぇなぁ。
建国10年といえば、国も治まり太平な世の中になって、そろそろ耕地の開発とかで収入を増やそうと考え始める頃だ。
「まず必要なのは目的をはっきりとさせることだ。生産性の向上を目指すのか、生産物の選択範囲の拡大を目指すのか。もちろん両方同時でもいいだろう。農業構造を改善し、国土資源の保全及び高度利用を考え――――」
俺は、得々と語った。
……語ってしまった。
ハッ! と気づいた時には、エイベット卿は見事に顔を引きつらせていた。
慌ててアディとリーファを見れば、何故か二人共キラキラとした瞳で俺を見ている。
「ユウ。やっぱりお前の知識はスゴイ」
「ユウさま。そのように真剣に私達の国の事を考えてくださって……」
宝石のような4つの青い瞳が心なしか潤んでいる。
白い頬が上気していた。
うん。
――――エイベット卿の反応の方が正しいと思う。
(どうすんだよ、これ?)
俺は、責任転嫁と思いながらもエイベット卿を睨んだ。
話を振ったのはお前だからな!
俺の視線に少しは非を感じたのだろう、慌ててエイベット卿が話題を変えようとする。
「陛下、昨日の事件の事ですが……」
そういえば昨日アディは、何か面倒な事件が起こったと言って夕飯に来なかったのだった。
「そうだ。アディ、お前一緒に来て良かったのか?」
何か事がある時に責任者がいないというのは、いろんな面で支障が出る。
俺は今更ながらに、アディがこんな所に居る事を心配した。
「ああ。大丈夫だ。ユウが心配するには及ばない」
アディは安心させるように笑って大きく頷く。
なんでも昨日の事件は、海で漁師が幽霊船を見たと騒いだのだそうだった。
「幽霊船……」
俺はポカンと口を開ける。
(異世界すげぇ。幽霊船まで出るのか)
「はっきりと見たわけではないらしい。なんとなくそんなような影を見たと訴えてきたそうだ。おそらく蜃気楼か何かを見間違えたのだろうが放って置くわけにもいかないからな。詳しい調査を命じて、昨晩はその結果を聞いていたんだ」
調査の結果、海には何の異常もなかったそうだ。
しかもよくよく話を聞けば幽霊船を見たと言い張る漁師は、普段から酒を浴びるように飲んでいる男で、幻覚を見るのかちょくちょく似たような騒ぎを起こすのだという。
「流石に城まで訴え出てきた事は今までなかったからな、こちらもそんな男とは思ってもみなかったんだが……男の村の村長が平身低頭して謝ってきたよ」
それはずいぶん傍迷惑な漁師だ。
(たいへんだったんだな、アディ)
しかし、俺の同情心はアディの次の一言で吹っ飛んだ。
「何より許し難いのは、そいつのせいでユウと一緒に夕食がとれなかった事だ。百叩きにしてやろうかと思ったんだが……」
いや、それはいろいろとダメだろう。
「――――アディ、緊急時と思われる時の報告に正確さを求めちゃダメだ。一分一秒を争うと思われる報告は何よりまず報告するという事に意義がある。事の真偽や詳しい情報の把握なんか後回しでかまわないんだ」
……と、先日俺の大学院の教授が言っていた。
最近災害とか多いからな。ボトムーアップ方式の緊急連絡体制が必要なんだとさ。
「流石は、ユウだな」
アディは嬉しそうに笑う。
ちなみにその酔っ払いと村長は、なんのお咎めもなしで帰したそうだ。
それどころか今後は、正しい情報をいち早く持って来た場合には報償を払うと約束までしてやったという。
「ユウなら、きっとそうしろと言うと思ったからな」
……買いかぶり過ぎだろう。
アディは本当に良い奴だった。
立派に王様をしていそうなのに、なんでこいつの目は俺に対する時だけ変なフィルターがかかるのだろう。
残念な美形ってこういう奴を言うのか?
「それよりユウ、さっきの土地改良の話だが――――」
……非常に不本意な事だが、俺はエイベット卿と目を合わせ一緒にドッとため息をついた。
箱馬車は、俺の気分を他所に、小麦モドキ畑の中を快調に走って行った。
アディとリーファに話しを促されてはつい語ってしまい、エイベット卿の冷たい視線に心が折れる。
そんな、まるで拷問のような悪循環を何度か繰り返した後に、箱馬車の旅がようやく終わる。
俺とエイベット卿は、はからずもまた同時に大きな安堵のため息をついた。
二人で心底嫌そうに睨みあい、またまた同時に視線を逸らす。
「ユウ。いつの間にエイベット卿とそんなに仲良くなったんだ?」
どこをどう見たらそんな誤解ができるんだ?
アディ、お前の頭の中には、年中花が咲いているのか?
「エイベットおじさまは、なかなか気難しい方なのに。ユウさまはやはり凄いです」
リーファは親戚だというエイベット卿を、私的な場所では『おじさま』と呼んでいた。
美少女のおじさま呼び、萌える!
クソッ。羨ましくなんか……ちょっぴりしか無いぞ。
そして、リーファ。君の頭の中にもお花畑があるんだね。
……イイ。美少女だし何でも許す。
美少女にお花畑最高です!
「エイベットおじさまも、やっとユウさまの素晴らしさをわかってくださったのですね」
エイベット卿は、もの凄く深いしわを眉間に刻んだ。
リーファのお花畑は、最凶……いや、最強かもしれない。
おっさんの不機嫌顔を正面から受け止めてニコニコしている。俺ならビビって逃げ出すレベルだ。
(流石、巫女姫……すげぇ)
「――――アディ、リーファ。あなた達はまだエイベットにそんな顔をさせているの?」
困った子達ねと、俺の後ろから声がかかったのは丁度その時だった。
エイベット卿とコヴィをはじめとした騎士達が一斉に礼をとる。
ティツァやフィフィといった獣人達もその場に跪き頭を下げた。
「おばばさま!」
「おばあさま。お久しぶりです」
アディとリーファが、花が咲いたように笑う。
俺はあわてて振り返った。
そこに居たのは、品の良い白髪の老婦人だった。
(……なんだ。大バ○さまじゃないのか)
当然、ゆばー○さまでもなかった。
こんな感じで、王太后様に対する俺の第一印象の感想は、我ながらたいへん失礼なものだった。
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