第3話



一瞬怪しい雰囲気を見せたものの、多少の会話を経て今のアザミに至る。


「憧れてたミリエスタの研究室、なんだけど……」


 再度辺りを見渡して、嘆息する。今のアザミにゆったりとこの世界を楽しむ余裕はない。視線を奥へ飛ばす。


 ミリエスタが奥の部屋に篭ったきり出て来ず、恐らくは魔学塔への道中で話していた人格を観測する魔法の開発を行っている。詳しくは分からないが、2時間近くかかると言っていた。


 魔法を開発する過程に興味がないと言えば嘘になるが、邪魔するのも忍びなく、大人しく待つ他ない。それにミリエスタは、アザミをそう簡単には受け入れないだろうから……。


 かといって2時間も椅子に座って何もせず待ち続けるというのも苦痛だった。


「……」




 しかし待ち時間が30分を回り、固まった腰が痛んできた頃のこと。不意にガチャリ、とドアが開く音が部屋に響いた。


 アザミが視線を向ける。目に映ったのは開いたドアの隙間から覗く夜と、その中からひょっこり出てきた桃色。


「誰や、自分」


 桃色の正体は一人の女。ピンク髪がよく目立つ美少女の口から飛び出したのは、関西弁訛りの言葉だった。


 いやなんで関西弁!……とアザミが思わないわけではなかったが、ここは『TOS』の世界。言語は日本語に統一されており、方言として関西弁が使われるのも当然……当然か?


 真意はゴマダンゴ先生にしか分からない。


 関西弁ピンク少女は、呆気に取られて答えられないアザミにハッと気づき、無意識に手で口を覆う。


「アカン、ウチとしたことが失念しよったわ。まずはウチから名乗らな。どうもどうも、ここでミリエっちと魔法の研究さそてもろてるサヤっちゅうもんや。今後おおきに、なぁ」


 サヤ、サヤ、……サヤ、誰だ?


 アザミは名前を脳内で反芻させるが、記憶に残っておらず全く聞き覚えのない名前だった。ここで研究をしているという発言からして、『ミリエっち』とはミリエスタのことだろう。するとサヤと名乗る女はミリエスタと親しい関係にあると推測できる。


 だが再度『TOS』のストーリーを思い返してみても、サヤという名前に聞き覚えは無かった。そもそもミリエスタに共同研究者がいるということ自体、本編で明かされていなかった。


「音ぎ、いや、……ネロ・ノーチラスだ」


 誤って本名を答えかけてしまったが、直ぐに気付いてネロを名乗る。


 ネロと聞いたサヤは目を丸くして驚いた。


「ホンマか? アンタが噂のネロっちゅうわけか! そいつは失礼したもんやな、ミリエっちの懸想人とは知らずに、なぁ」


 ミリエスタが想い人の名前を教えるほどに彼女と親しい関係。ならばますます、サヤの名前が初耳だったことに疑問が残る。


 いや待て、サヤの言い方的にネロとは初対面なのか?


 『TOS』はネロが主人公で、当然ネロの視点から物語が進められる。そのネロが彼女と会うのが初めてならば、読者であるアザミもサヤを知るのが初めて、ということになる。


「僕のことを知ってるんだな。ミリエスタから聞いたって言ってたが」


 一人称を“僕”に。口調も更にネロに近づけ、次こそアザミであるとバレないように“ネロ”を演じる。


 サヤは空いている椅子にどかっと座り、笑いながらアザミの質問に答える。


「知るも何も、あんだけぎょうさん恋愛相談されたら嫌でも覚えるわ。あぁ、アンタの名前を覚えるのが嫌ってわけやないで。そこは勘違いせぇへんように、なぁ」


 サヤはかなり饒舌だった。それも舌が早く回るのに噛むことなく、聞き取りやすい声。アザミには慣れぬ関西弁だったが、不思議と引き込まれるような話術。


 ピンクのツインテールを揺らしながら楽しそうに話すものだから、アザミは早々に警戒心を解き、興が乗るまま会話に応じる。


「でも、勝手に言っていいのか? その、ミリエスタが僕のことを好きだって。まだミリエスタが僕に明かしてない可能性だってあるだろう」


 実のところ、既にミリエスタはネロに恋心を明かし済みなんだが。


 それに対し、サヤはあっけらかんとした顔で言う。


「構わへんやろ」


「えぇ……」


「ウチはミリエっちがフラれたんも知っとるし、ネロ、自分がメアリスっちゅう女と乳繰り合っとんのも知っとるで? そいで悲しむミリエっちを慰めたんもウチや」


「乳繰り合うって……」


 アザミは言い淀むが、サヤの言うことに間違いは無かった。


 本編の最新刊近く、二人が結ばれた直近のことが描かれた本の中で、ネロとメアリスが同衾したと思われる描写が幾つもあり、ベッドの上でもメアリスが強いとまで書かれていた。つまり下品な言い方をすれば、ネロは非童貞である。




 話は変わり、サヤがアザミに尋ねる。いつの間にかテーブルを挟んだ反対側の席に座っており、上体を伸ばしてかなりの食い気味だ。


「せや、なしてアンタがここにおるんか? う〜ん……ここはミリエっちの研究室。今は夜。そいでアンタは女持ち……」


 顎に手を当てながらぶつぶつと呟き考え始めるサヤ。そして一つの結論に辿り着いた。


「なぁるほど。つまりは成功したんやな……略奪愛っちゅうやつに!」


「……は?」

「夜に男が女の部屋に来るのは夜這いしかあらへん! 自分の女に満足できんようなった男が、別の女に癒されに来る。一夜が忘れられんくて毎晩になり、体だけの関係が遂には心まで結ばれて……」


 斜め上の妄想を聞かされ、アザミは呆けてしまう。サヤの妄想は留まるところを知らずエスカレートしていく。


「そいで、アンタはミリエっちと閨を共にしに来たっちゅうワケやな」


「怒ってもいいですか?」


 メアリスが聞けば卒倒しそうな妄想だった。確かに、この時間帯に彼女持ちの男が別の女の部屋に居るというのは、あまりよろしくない。現にアザミがミリエスタの研究室に居るのだが、サヤのように想像が掻き立てられるシチュエーションであることに間違いはない。


 ただ、サヤの場合は少々過激すぎる。妄想がネロとミリエスタの閨事についてまで発展されてしまうと、アザミはどう反応すればいいのか分からなくなってしまう。


 サヤのボルテージは上がるばかり。興奮が上限に達したサヤは、息を荒くし、頬が紅潮し、何故か体をモジモジさせている。


「な、なぁ……ウチもその、混ぜてくれへんか? 悪いようにはせぇへんよ? 寧ろ満足させたるから、なぁ」


 遂には妄想の閨事に自分まで混ざると言い出した。アザミの脳裏に“ピンクは淫乱”という言葉が浮かぶ。妙に納得しつつ、しかし納得している場合ではないと、慌ててサヤを静止する。


「ちょ、ちょっと待ちましょう。止まって下さい」


「ウチ、ミリエっちほどやないけど、その……デカいで? アンタの女はちっこいて聞いたし、デカい方が好きなんやろ? 満足できるんやろ?」


「駄目だこの人。話を聞かないタイプだぁ」


 サヤが自分のローブに手を掛ける。アザミの脳が危険予知信号を鳴らした。


「はぁ、はぁ……もも、もう待てへん」


「やめて止まって! それ以上はホントに駄目ですって!」


 自分の目を手で覆い隠すべきか、脱ごうとするサヤを無理にでも抑えるべきか。二択に悩み動けずにいるが、時間は無情にも過ぎていく。サヤの両手がローブの裾を捲り始め、



「『茈欲(シヨク)』!」


「あばばばッ⁉︎」



 その瞬間、紫の光が宙を走った。それはサヤの背中にクリーンヒットし、体を痙攣させながら床に倒れる。ぴくぴくと手足を動かすかも立ち上がる素振りは見せず、一言も話さないところを見るに気絶したようだ。


 サヤを気絶させた者は、呆れながら奥の部屋から姿を見せる。


「はぁ……これだからサヤをネロと会わせたくなかったんだよ……」


「た、助かったよミリエスタ」


 ミリエスタは受けた謝意に対して首を横に振る。


「ううん、サヤが今夜来るってのをすっかり忘れてたから……ボクが悪いよ。キミからの感謝は受け入れられない」


「いや、それならそれで構わないけど……この人は? サヤって言ってたけど」


 自分が気絶させたとはいえ、倒したままにしておくのはあんまりだと思ったミリエスタがサヤを抱え上げる。そのまま部屋の隅に置かれていたソファまで運びそっと下ろす。


 サヤはもぞもぞと動き、止まったかと思えば寝息を立て始める。そのまま眠ってしまったようだ。しゃがんでその頬を軽く突き、ぷにぷにとした感触を堪能しながらミリエスタは質問に答えた。


「彼女はサヤ・アーバンリーフ。ボクの友達で共同研究者、ってとこかな。訳あってボクとコンビを組んで魔法について研究してる」


「へぇ……ネロとは初対面みたいだったけど。さっきも“会わせたくなかった”って言ってたし。何かネロと会わせなかった理由があるのか?」


 ネロの視点からは語られず、ミリエスタが話題にも出さなかったサヤという少女の存在。深い理由はなく、単に気になった程度の興味で尋ねる。


「……サヤはちょっと思い込みの激しいところがあってね。キミも先程経験したんじゃないか? 一から十まで聞いてた訳じゃないけど、多分メアリスやボク関連で話してたら急にエスカレートした、とか」


「凄いな、ドンピシャだ」


「やっぱりね……勘違いしてほしくないから言っておくけど、ずっとあんな感じじゃないよ。普段は良い娘なんだよ?」


「それはこの短い間でも分かった。なら、尚更ネロに会わせてあげるべきだったんじゃないか? サヤだけ仲間外れみたいにするのは……可哀想だろ」


 ミリエスタは口を開いて何か言いかけるが、直ぐに噤んで何も言うことはなかった。その態度にアザミは察して、肩をすくめる。


「……オーケー、言いたくないことなら無理に言わなくてもいいよな」


 こくり、とミリエスタは頷く。


 話を逸らすように、アザミは質問を変える。


「そういや人格を観測する魔法はどうなったんだ? わざわざサヤを止めるために出てきただけなのか」


「あぁ、違うよ。実はそのサヤが必要だから、ボクが彼女を呼んだんだ」


 頬をつついていたところ、サヤが小さく唸り抵抗を見せた。頃合いだと判断したミリエスタは立ち上がり、何処かから取り出した毛布をサヤに掛ける。


「魔法理論でサヤの力が必要になってね。ボク1人じゃ完成し切れないから、どうしてもサヤに頼らざるを得なかった。先程、訳あってサヤとコンビを組んでるって言ったけど……彼女、魔力適正と魔法理論の才能はあるのに肝心の魔力が皆無でね。実験や魔符の作成が出来ないんだよ」


「ん? いやちょっと待ってくれ。なんだかもの凄い重要な事をサラッと言わなかったか?」


「重要も何も、事実だし。まぁそれが原因で実家を追い出されたり、魔学会から出禁扱いされてるけど……」


「やっぱり超重要じゃねぇか!」


 思わず大声を出してしまい、寝ているサヤの体がビクッと動く。アザミは慌てて口を押さえ、再び寝息を立て始めたのを聞き届けてから再び口を開ける。


「本人に無断で、勝手に言っていいのかよ」


「彼女の協力を得るならば、いずれ知っていたことさ。とまぁ、そんな訳で主にサヤが理論構築、ボクがその助手兼実行役を担ってるんだよね」


「へぇ……」


 『TOS』の本編にも描かれていなかった設定。ミリエスタの魔法研究の一片に触れる事が出来たのは中々に稀有な体験、寧ろ全世界でもアザミとゴマダンゴ先生しか知らないような設定だ。


 ミリエスタの新たな一面を知る事が出来て喜ばしいと思うと同時に、この場に居るのが、サヤと話したのが、ネロではなくてアザミ自身である事が悔やまれる。


 邪魔者である自分が幾らヒロイン達のことを知ろうが、彼女達はそれを望まず一切喜ばず、ここに居ないネロのことを想うだけなのだから。



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