第11話 13年目 その4

 しばらくして、2階から少年が降りてくる。雲がかかっていたとはいえ、それなりに明るかった満月の光が欠け、急に暗くなったので、不安になったらしい。幼子のようにめそめそと泣きながら、少年は、寝台に座る男の胸に飛び込んできた。とても思春期の少年とは思えない、幼い振る舞いだった。それを見た男はたしなめるべきかどうか迷ったが、自分自身が病気のことで心細く、人の温もりを求めていたときだったので、今回ばかりは大目に見て、少年の思う通り甘えさせることにした。

 たとえ、その共に過ごす相手が頼りになる者ではなかったとしても、1人でないことはありがたいことだった。男は、こんな夜に自分が孤独ではないことを感謝した。こんな時に自分1人だったら、喀血と死の恐怖に耐えられず絶望し、発狂していたかもしれない。


 泣きじゃくる少年を抱きしめながら、男はなぜか、今は亡き自分の母親のことを思い出していた。子ども時代、病気がちでよく寝込んでいた男は、今以上に神経質で、風邪を引いて熱が出るたびに、自分はもう死ぬのではないかとおびえて泣いていた。そんな時に男を元気づけてくれたのが母親だった。彼女は、男が不安で眠れないとき、同じ部屋で眠り、ずっとそばにいて抱きしめてくれた。

 しかし、そんな風に優しかった母親も、もういない。彼女は10年以上前の、市が男の一族を残して移住計画に踏み切った頃に、霧の被害で肺を悪くして亡くなっている。あのとき、市の上層部が病弱な母親だけでも一緒に避難させてくれたら、自分は天涯孤独にならずに済んだのにと、男はかつての仲間たちの非情さを、未だに許せないでいる。


 だけどもうよいのだ、と男は独りつぶやいた。重い病のため、彼にはもう長い時間は残されていなかった。貧しく質素な生活から抜け出す一発逆転の可能性も、霧の被害や内乱がふいに止んで以前の平穏な暮らしが戻ってくる奇跡も、もはや望むべくもない。それならせめて、この子との安らかな時間が、少しでも長く続いてくれたらと、男は願った。せめてこの夜だけでも、そしてできれば明日の朝までは、この温もりを感じながら、安心して気分よく眠っていたい。

 

 そんなことを考えながら、男は静かな眠りへと落ちていった。月の赤い、月食の晩のことだった。

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白い霧と錆びた月 紫野晶子 @shoko531

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